気の向くままに

山、花、人生を讃える

嬉しい「春の使者」

2021年02月14日 | 

「春の使者」とは一般的に何を指して言うのかとYahooで調べたところ、色々の樹木や山野草の花、あるいは渡り鳥だったりと色々で、特に「これ」と決まったものではないらしい。それで、人それぞれの「春の使者」があって良いのだと知った。

 

それで私にとっての「春の使者」は何かと言えば、やはり「蕗の薹」を一番に挙げたいと思う。何故かと言えば、私が子供の頃、父親が春先になると、この蕗の薹を指先でちぎり、みそ汁に入れてその風味を楽しんでいたのを思い出す、その懐かしさがあるからである。

 

この蕗の薹は、もうだいぶ以前から私の住む地域では見られず、山へでも行かなければ見られなくなった。
そして私が40歳を過ぎて山に登り始めたころ、蕗の薹を見つけると懐かしくて、思わず「あっ、蕗の薹!」と心が歓声をあげた。

 

その蕗の株を家内が友達からいただいて花壇に植えていたものが、一昨年は2つぐらい出来、みそ汁に入れて懐かしい風味を楽しみ、そして去年は6つできて、天麩羅にして食べさせてもらった。

 

昨日、そろそろ蕗の薹が出ている頃ではないかと思いつき、花壇を見れば、7つ程出来ていた。もっと増えることを期待していたので、去年より一つ増えただけなのでちょっと寂しいが、それでも無事に7つも出来てくれたのだから嬉しい。

  

『野草の名前』と言う本によると、蕗の古名は「山生吹(やまふぶき)」と言われていたようで、趣のある名だと思うが、現在は最後の吹(ふき)だけが残り、蕗になったと推測されている。

 

ともかくそんなことで、私にとって「蕗の薹」はうれしい「春の使者」なのである。

 

 下の写真は昔、山で撮った蕗の雄花

  

  

  雌花  やがてタンポポのような白い綿毛となって飛んで行く。

  

『野草の名前』という本には。「山生吹」の「生」は生きるとか、生まれるの意味を持ち、「吹」は吹き出すとか盛り上がるなどという意味合いがあり、自生する蕗の様子を語っている、と書かれていて、蕗の薹や雄花、雌花から 成る程と思ったことでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする