気の向くままに

山、花、人生を讃える

或る重要な「質問」&「回答」

2019年07月23日 | 人生

少し前の生長の家の月刊誌を見ていたら、質問・相談コーナーにこんな質問が出ていました。

 

≪質問≫これまでいろんな宗教の集まりに顔を出してきました。どの宗教も決まって、「誰一人として悪い人はいないし、皆いい人だ」と言うのですが、それならなぜ、たくさんの殺人事件などが起きるのか、その問いに答えていないように思います。自分の宗派を伸ばすことばかりに躍起になっているのは、本末転倒のような気がしてなりません。(60歳 男性)

 

と、このような質問です。そして、これに対して次のように解答されていました。

 

≪回答≫

生長の家でも、「人間の本質は“神の子”であり、皆いい人であって、悪い人はいない」と教えています。
なのに、なぜ殺人事件などが起きるのでしょうか?

 

それは、「自分が神の子である」と気づいていない人が多いからです。
気づいていないから欲や嫉妬や恨みにとらわれ、人を殺したりなど悪を犯すことがあるのです。

 

では、皆いい人がなぜ悪を犯すことができるのかというと、人間には悪や善を為す自由があるからです。
いい事でも(善)、誰かに強制されてしかできないなら、その行為はほんとうの善とは言えなくなります。
善か悪かを自由に選択できる中で善をなすとき、初めてその人は善をなしたということができるのです。

 

人々に善と悪から善を選択してもらうには、「人間は神の子で神性、仏性を宿している」ということに気づいていただくことが必要になります。あなたは、「自分の宗派を伸ばすことばかりに躍起になっている」と宗教を評しますが、宗教の布教活動の本来の目的は、「人間の本質は皆いい人で、神性、仏性を宿している」と気づいてもらうことにあるのです。

 

生長の家では、殺人などが起きている世界を「現象」と呼び、殺人のない、完全円満ですべてが調和している世界を「実相」と言い、この実相が本当にある世界であって、現象は仮にあらわれている世界だと説きます。ですから、仮存在である現象世界の悪を攻撃しても悪はなくなりません。

 

そしてこの世には、心で認めたものが現れるという法則(唯心所現)がありますから、善を現すには、善いこと、物事の明るい面を認め、表現することで、善が広がり悪が消えていくのです。生長の家は、そうした生き方を「日時計主義」と言い、その実践をお勧めしているところです。

 

と、このように書かれていました。

 

つい最近、ある一人の人間によって、30人以上もの人たちが犠牲となる痛ましい事件が起きました。
そして、神仏がいるなら、どうしてこのような理不尽なことが起きるのか?というのは常に投げかけられる問題です。
上の回答を読まれた人は、さらに「ならば神がいるとして、なぜ神は、このような犠牲になるような人たちを助けようとしないのか」という疑問がわいてくるかもしれません。しかし、質問への回答はここまでなので、中途半端のようですが、ここで終わらせてもらいます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする