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気の向くままに

山、花、人生を讃える

詩を朗唱したかった

2012年12月08日 | 信仰

1日の講師研修会で体験談を発表しました。

この研修は大半が信仰ガールさん(白鳩)で占められるので、相愛会とは勝手が違い、緊張が予想されたので、何度も練習していきました。

当日、100名以上いたと思うが、このような大勢の前で話をするのは初めて。その100名の方がこちらに視線を注ぎ、耳を傾けていて下さることが話しながらよく伝わってきました。それは緊張どころか、温かい雰囲気に包まれるような気持ち良いものでした。おかげで、いい勉強をさせてもらいました。

発表が済んでホッとしたが、一つ心残りがあった。

発表では一例として谷口雅春先生の詩『朝の太陽』を朗唱させてもらいましたが、『天使の声』も朗唱すればよかったと思った。(まだそれぐらいの時間は残っていた)

 

      『天使の声』

    或る日、私は心の窓を開いて、

    大生命のみ空から光線のように降り灌ぐ生命の讃歌に耳を傾けた。

    鳴呼!声のない奏楽、声を超えた合唱

    けれども私はその声を聞いていた。

    宇宙の囁き、神の奏楽、天使のコーラス。

    わたしの魂は虚空に透きとおって真理そのものと一つになった。

    何と云う美しい旋律だろう。

     「これが真理そのものか!」とわたしは恍然と嘆声を漏らした時、

     「お前は実在そのものだ!」

    私はこう云って天使たちが私を讃える声を聞いた。

 

 散歩しながら唱えようと思いついたそのはじめの頃はぎこちなかったが、何度も唱えているうちに、だんだんうまくなっていきました。うまくなってくると、気持ちも乗るようになり、詩と自分がだんだん一体化し、景色を楽しみながら、詩にも集中でき、景色に溶け込み、詩にも溶け込んで、いい気持ちになって何度も繰り返し唱えていました。

「或る日、私は心の窓を開いて、」とありますが、ここを唱える時は、唱えるたびに本当に心の窓が開く気がしました。わたしはその頃、いつものんびり日々を楽しんでいたのであって、けっして心を閉じてなどいなかった。それでも、いつも心の窓が開く気がしました。それで本当に心には窓があることを実感し、「或る日、私は心の窓を開いて、」と唱えれば、実際に「心の窓が開く」ことを発見し、それがまた愉快でうれしいのでした。

ともかく、せっかくの機会だから、大勢の前でこの詩を朗誦すれば良かったと、それが惜しまれた。まあ、「逃した魚は大きい」ということだろうが、しかし、あの頃の散歩していた気分が思い起こされて懐かしかったし、あらためて、この詩の素晴らしさを思ったことでした。

    天も地も朝の光や冬木立

最近はすっかり散歩からも遠ざかっていましたが、発表させてもらってから、また、暇を見て散歩するよう心掛け始めた次第です。

こういう詩を暗記してしまうと、いつも素晴らしい宝を持ち歩いているのと同じで、自分自身が嬉しくなりますね。

暗記で思い出しましたが、今では『甘露の法雨』はもちろん、『天使の言葉』も、『七つの灯台の点燈者の神示』も、『聖使命菩薩讃偈』も暗記してしまいました。おかげで、今まで長く感じられていたものが短く感じられ、読誦がうんと楽になりました。