気の向くままに

山、花、人生を讃える

「桃、栗3年」

2012年12月10日 | 信仰

≪心の窓を開く≫

前の記事で、実際に「心の窓が開く」ということを書いたが、今日『生命の実相』の第38巻を読んでいたら、6月28日のところに、次のように書かれていました。

○神は開いた心の扉からのみ来り給うのである。心を開いて待つことが神を招く方法である。

前の記事とピタリ重なることが出てきたのでうれしくなりました。

 

≪雪の結晶≫

今朝は8センチの積雪。初雪であり、1年ぶりに見る白い世界である。

雪の結晶は写真でしか見たことがないから、一度本物を見て見たいものだと思う。

○あなたは雪の結晶だ。生命を表現するために完璧な、この世に二つとない個性をもって、神の世界から舞い降りてきた。

○ひとひらの雪の結晶でさえ、あれほど緻密な模様をしていて、なおかつ一つとして同じものはないのだよ。それをデザインしている宇宙が、“たまたまの偶然”なんていいかげんなことをすると思うかい?                                                『10代のための神との対話』より

なんでもない平凡な言葉なのに、どうしてこうも美しい表現ができるのだろうと感心します。

谷口雅春先生が『目を開けばどこにでも「美」はある』とどこかに書いておられたのが思い出されます。

 

≪桃、栗3年≫ 

昨日、先日の剪定作業をしたところへ道具を忘れたので、そのお宅へ電話して取りに行くと、当日留守をしていた奥さんが出てこられて、さも嬉しそうに「おかげでさっぱりしまして、本当にありがとうございました」礼を述べられました。このような挨拶は毎度のことですが、こんな嬉しそうに言われると、こちらまでうれしくなってしまいます。

体験談発表の時、

「今はシルバーで剪定の仕事をしています。時給800円。」というと、どっと笑いが起きました。

実は、このあと、「これがいいんですよ、いかにも働いている気がして楽しいです」と言いたかったのだが、笑いが起きて、その後何と言ったかよく覚えていない。「しかし、楽しいです」ぐらいのことは言ったと思うが・・・。

また『10代のための・・・』からの引用ですが、

○サム、成功の意味を決められるのは、あなただ。たとえば、あなたの心が歌いだすような気分になる、何かをすること! 何時間も夢中になれるようなこと。「タダでもやる」こと、これでいくらもらえるかなんて考えもしないで、「僕にやらせて!」と言いたくなること。 

 僕はこの最後のフレーズが気に入っている。私にとって剪定はホントにそんな気持ちにさせてくれる仕事です。

 今年から剪定試験をするようになり、今年の夏、その旨の電話があり、試験に合格すれば時給1000円にするということでした。受ければまちがいなく時給1000円になっていましたが、私一人その実技試験を拒否しました。私より1年あとに加わった3人は試験を受けて1000円になりました。

家内曰く、「怒ると、やっぱり損をするようにできているねえ」だと。

こうなると面白くないので、今度は受けることにしています。

(なんじゃ、そりゃ)。

まあ、そうおっしゃらず・・・

遠慮なく上げてもらって、愛行に使わしてもらおうと思っている次第です。

 それにしても剪定を初めて3年目、「桃、栗3年、柿8年」というから、いまは桃、栗と言ったところ。これからは、柿8年を目指しましょう。

ちなみに、「桃、栗3年、柿8年」の後に続く言葉を知っていますか?

正解は「ダルマは9年、俺は一生」です。 (武者小路実篤のことば、かな)

コメント
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