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気の向くままに

山、花、人生を讃える

人生、笑って行こうぜ!

2022年09月07日 | 人生

散歩していたら、早くも彼岸花が咲いているのを見つけた。
先日はコスモスと、夏の名残の真っ赤なカンナが並んで咲いていて、花の饗宴の如くであったが、今日見た彼岸花は一輪だけ草むらから頭をもたげ、ひっそり咲いているという感じだった。

 

さて、下の絵手紙は友達から来たもので、思わず笑ってしまうユーモアあふれるものなので、紹介させてもらいます 。

             

 

次は、わたしがネット上で見つけて気に入り、人生、どんな時にも笑って生きていきたいものだとの思いで模写したもの。

桃の方は、友達が趣味で栽培していて、その収穫したものをたくさん届けてくれたので、その礼状として描いたものです。ずいぶんヘタクソな字と思われるでしょうが、ヘタクソがいいんです(笑)。

      

 

何はともあれ、人生、有り難いことばかり。感謝!!

ありがとうございます。


父よ、母よ

2022年09月01日 | 人生

芭蕉の句で「父母のしきりに恋し雉の声」というのがあるが、私も、自分が子供の頃の父母が脳裏に浮かんできて、懐かしく思い出すことが多くなった。それで、ちょうどよい絵があったので、それを模写し、「父よ、母よ、ありがとう」という言葉を添えた。

それを見ていると、本当に父母にこれを届けたい気持ちになってきた。

       


この驚きの事実

2022年08月06日 | 人生

先日、放送大学チャンネルのある番組を録画したものを見ていたら、その講義の中で教授がこんな話をしていました。

○水素はビッグバンの時につくられた、これだけです。ここで強調しておきたいのは、私たちの体の中には138億年前につくられた水素がたくさんあるということです・・・・と。

 

水素は一個の原子核の周囲を一個の電子が回転しているという一番単純な元素で、138億年前のビッグバンの時、最初につくられた元素であることは知っていました。しかし、その後も水素はつくられているとわたしは思っていた。ところが教授が言うには、すべての水素はこのビッグバンの時につくられている。だから、今私たちの体の中にある水素は138億年前につくられたものだ、というのだから驚きました。いやあ、自分の身体の中に、138億年前に創られた元素があるというのですから、凄いですね~。

 

ついでに書かせてもらいますが、私たちの身体には窒素、炭素、リンなども多く含まれていることはよく知られています。それらは元はと言えば、太陽の中の核融合反応によって作られたもので、その太陽が寿命を迎えて爆発すると宇宙に飛び散る。その時に飛び散った元素たちが、巡り巡って私たちの身体となっている。だから、文字通り我々人間は星のかけらで出来ている「太陽の子」であり「星の子」であると、天文物理の先生は言います。

 

いやあ、それにしても、宇宙にあるものは皆どこかで繋がっていて、バラバラのものは何もないんですねえ。

 

   


ウオーキングとゴミ拾い

2022年06月11日 | 人生

私はできるだけ毎日1時間ほど歩くようにしているが、そのついでというわけで、風の穏やかな日には、ゴミ袋とゴミをつまむ道具を持ち、ゴミ拾いしながら歩いています。

 

3日前、ゴミを拾いながら歩いていると、若いおかあさんが寄ってきて、「すみません、クマのキーホルダーが落ちていませんでしたか?」と声をかけられた。クマのキーホルダーなら先ほど拾ったばかりなので、「あ、ありましたよ」と言いながら、ビニール袋の中から取り出すと、「あ、それそれ、良かったあ。どうもすみません、子供が電話をしてきて、探してきてというもんですから・・・」といって、喜ばれた。私は私で、落とし物ではないかと考えもせず、すぐごみ袋に入れてしまったのだが、子供の大切なものをゴミにしてしまわないで良かったと喜び、ちょうど良いタイミングで出会えたことに感謝したことでした。

 

また、昨日は、私より少し年配らしいおじさんが赤い花をじっと見ていたので、私が「こんにちは」と挨拶した。すると、「これ、きれいな花だねえ」とさも感心したように言う。私はこの時、ちょうどカメラをぶら下げていたので、せっかくだからとその花(タチアオイ)を写真に撮った。そして、「この花は植えられたものか、それとも一人生えだろうか」「そういえば、今まで、ここに咲いているのを見たことがないねえ」などとしばらく立ち話をしたあと、自然と並んで歩き始めた。少し歩くと、ゴミが落ちていたので、それをわたしが拾う。するとそのおじさん、さも驚いたように、

「あんた、ゴミを拾っているのか」というので

「あ~、歩くついでだからね」

「いや、そんなことを思いつく人なんかいないよ」としきりに感心する。そして

「あんた教師か」と聞く。

「いやいや、ただの人だよ」といって笑ったのだが、

「あんた教師か」と言われたのがおかしく、何故かうれしくもあった。

                     

ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


花の絵でも描いてみたら・・・

2022年06月01日 | 人生

一昨年の今頃の時期、何となく絵手紙が書きたくなり、ブログの中にあった簡単な紫陽花の絵を見つけ、これなら描けそうと思い、昔買った水彩色鉛筆で描いた。そして、せっかく描いたからというので、友の誰かにその絵手紙を出したくなった。それで、絵に短い文章をつけ足してポストに投函。

送られた友はどんな反応をするだろうか、想像すると楽しかった。それが下の絵手紙です。絵も字も、まるで小学生低学年並みだが、これが記念すべき初めての絵手紙でした。 (笑)

     

で、これを見た彼氏、「ん、俺にはこんな女(ひと)いないがなあ・・・」と不審に思いつつ、差出人を見たらしい。私はそれを聴きながら「いたずら成功」と、喜んだ次第です。(他愛のない話ですみません)

 

あれから2年、昨日は家内の友達が、枇杷をもってきて、私に「これを書いて」というのだった。
こうして私などに初めてのリクエストが来ました。本来なら「とんでもない」と辞退するところでしたが、せっかくの乙女(笑)からのリクエストだからと思いなおし、恥ずかしながら、描きあげたのが下です。

       

最初に描いた紫陽花との差は歴然で、これでも、「我ながらうまくなった」と悦に入っている次第です。そして写真を撮ったあと、さっそく「うれし、恥ずかし」の気分でポストに投函したのでした。(他愛のない話ですみません)

 

しかし、とは言っても、「俺は強いんだぞ」と多くの人々を苦しめ、悲しませておきながら、自分の心は一つも傷まないらしい「あの人」には、下手でもいいからお花の絵でも描いてみたらどうかと勧めたくなるのです。あるいは、お国の民謡をピアノの伴奏に合わせて歌うとか・・・。そうやって少しは人間らしい心を取り戻し、ウクライナに早く平和が戻ることを願う次第です。

他愛もない話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

後記
2ヶ月も空白のままにしているのに、投稿記事に「いいね」をいただき、心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。


嬉しい、有難い

2022年05月30日 | 人生

「嬉しい、有難い」ばかりの気持ちになりたいと思いつつ、今日も青年は頑張っています。笑、笑、笑

     今日の一日が有難い。

     目が見えて有難い。

     耳が聞こえて有難い。

     言葉を話せて有難い。

     字も、絵も書けて有難い。

     紙もペンもあって有難い。

     おいしく食べれて有難い。

     いろいろな野菜、穀物、果物が有難い。

     自由に歩ける足が有難い。

     ものごとを考えられて有難い。

     空気が有難い。

     空が、大地が有難い。

     木々の緑が有難い。

     色とりどりの花が有難い。

     鳥たちが囀り有難い。

     妻が有難い。

     子供や孫が有難い。

     数えればきりがない。

     有難いことばかりに囲まれている。

     ああ、嬉しい!

     ああ、楽しい!

     ああ、有難い!

          

           

                     

     (絵はすべて模写です)

 


笑っていれば良いのじゃよ

2022年01月12日 | 人生

花屋さんの店先にある花を見ると、その色彩の美しさに目を見張る。
このように実物の花が美しいのはもちろんだが、上手な人が描いた絵手紙の花の色彩の美しさにも目を見張る。
そして、自分も真似して描いてみる。色彩の美しさには癒し効果があるのだろうか。

描きあがれば、下手だなあと思いつつも、何か嬉しい。

   

 

   

先日、家内の誕生日があった。
そしてきれいな雪の中の椿の絵があったので、これを描いて、
誕生日祝いの花に添えたら喜んでくれると思って描いてみた。(上の右の絵)

 

 

元の絵が良かったので、自分もこの大黒さまのように、いつも嬉しそうな笑顔で
いたいものだと思いつつ・・・。


涙こぼれそうな話

2021年10月05日 | 人生

私が尊敬している絵手紙教室の先生(Tomoyo Kanemoto)が、Facebookに毎日絵手紙と日々感じたことを書いておられ、それがとても素晴らしいので、私は毎日楽しみに見せてもらっています。そして今日はまた特別に感動し、わたしまで涙がこぼれそうになりました。そんなわけで無断ですが、ここにも紹介させていただきたく思います。以下はその今日の文章をそのままコピーしたものです。

 

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

昨日の朝 久しぶりに両親に電話しました。

「お母さん 産んでくれてありがとう 」って言ったら テレ屋の母は

「生もうと思って生まれたわけじゃない 勝手に生まれてきたんや」だって

「私 幸せだから ありがとう」と伝えて

お父さんと代わりました

全然照れ屋でない父は いつでも「智代愛してるよ」とか平気で言います

「お父さん 私を生ませてくれてありがとう」 って伝えました。爆笑

「私 お父さんとお母さんの娘に生まれてこれたこと 本当に幸せで有り難いと思ってる」って

そしたらね 父の 苦労話

中学生の頃は 午後から授業に出たことは無かったって 戦争からボロボロになって帰ってきた父親が病の末亡くなり 母が坐骨神経痛で寝たきりになり 幼い弟と妹を食べさせないといけないから朝は4時に起きて薪でご飯を炊いて お味噌汁は作っていたそう

昼までで学校を早退するのは母親のおしめを替えるため それを川まで行って洗う 家は貧乏で貧乏で 親戚中も遠のいて 理不尽なこともいっぱいあったのだとか

中学生の男の子が一家を支え 誰も頼れないなんて 

いつも聴いている話だけど 中学生の男の子が母親のおしめを川で洗っているところを想像したら 涙が出ちゃった

あの頃は もう死んでしまった方が楽だと 何度思ったか と話す父

「あの時 死を選んでいたら智代はこの世には生まれてなかったから 頑張ったから良かった」って

久しぶりに父と長電話をしました。

そういう父の苦労があったから 今の私が居るんだなぁ〜 って しみじみね

そんな誕生日

午後からは 灘の絵手紙教室で 皆んなにそんな話をして 絵手紙の折帳を観せました

                                                                           (以下省略)

 

お父さんが中学生の時、午後の授業を受けたことがないというところを読んだとき、私はてっきり「あ、お父さんはおさぼりの常習犯で、昔は悪ガキっだったんだな」と思ったのですが、それとはまるで違った話で、本当に驚き、「こんな苦しい日々に負けることなく懸命に生きて、こんな素晴らしい(厳しい)人生を歩む人もいるんだ」と、本当に感動させられました。そして、「この親にして、この子あり」ということを感動しながら感じさせられたお話でした。


俳句の思い出

2021年02月17日 | 人生

船会社は多分どこも似たようなことをしていると思いますが、文化費が会社から支給され、その文化費で月刊誌や週刊誌を毎航海毎に購入し、それを航海中に皆で廻し読みをしていました。

 

わたしが船会社に就職して4年目、4度目の乗船の最初の航海でしたが、出港して1週間ぐらいしたときのこと、8時から12時の4時間の当直を終え、それから昼食をいただき、くつろいだ気分で自分の部屋のソファにもたれ、回覧されてきた月刊誌のページをペラペラめくり、何気なく文芸欄を読み始めました。

 

すると、その文芸欄には万葉集か、古今和歌集か覚えてませんが、「あかあかと」という形容詞が複数の歌に使われていることや、その「あかあか」とはどんな感じかということに触れ、そのあと、芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」という句が紹介され、言葉は同じ「あかあか」でも、ニュアンスが違うということが説明されていました。

 

その「あかあか」のニュアンスについてはともかく、わたしはこの芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」を読んだというか、目に入ったというか、その瞬間に、意味も何もわからないのに、いきなり脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受け、真っ暗になった脳裡の中に芭蕉の横顔が見え、その芭蕉は山の斜面を黙々と歩いていました。傾きかけた秋の日差しがその横顔を照らし、その横顔は如何にも「内に激しさを秘めた」と云う感じで、赤く染まっていました。

 

ふと気が付けば、太陽から凄い気迫がほとばしり出ているのにびっくりし、心配するような感じで「芭蕉は?」と芭蕉に意識を向けると、芭蕉は少しもその気迫に負けてないで、物凄い気迫で太陽からの気迫を跳ね返していました。しかし、太陽はただ照っているだけですし、芭蕉も静かに黙々と歩いているだけです。その静かな中にも、目に見えない気迫が迸り、ぶつかり合っていて、その気迫に打たれたとき、自分の中の血流が一瞬脳裡に見えたかと思うと、今度はいきなり海の大波となって私に押し寄せてきました。あまりのことにビックリし、思わず「何事だっ!」と心の中で叫びながら前方を見ますと、エネルギーか気迫の象徴のように大波が次から次へとウワ~ン、ウワ~ンと唸りを上げ押し寄せて来ます。それは、実際に実物以上のリアルさでした。その大波に、ソファに座った上半身を前後に揺さぶられながら、私はただ茫然自失。なすすべもなく、ただ呆気にとられ、成り行きを見ているだけでした。

 

やがてその大波もおさまりましたが、私の中の血流は寄せては返す漣のように、余韻の如く、打ち震えるように、いつまでもひたひたと波打っていました。そして1ヶ月ほどは、「どうしてこんなことが起こりうるのか」と不思議でならず、「不思議だ!不思議だ!」の思いが湧くばかりでした。

 

昔から、「狐に化かされる」とか、「狸に化かされる」とかの言い伝えがありますが、私の場合は「海坊主」に化かされたのかもしれません。しかし、こんな経験をさせてもらえるなら、何回でも化かされてみたいものだと思います。

 

その2航海後だったか、俳句とは何かを知りたいと思い、せっせと俳句の本を読んでいて、芭蕉の面影を追うように、無性に秋の山に登りたくなっていました。そして、サンフランシスコ郊外の港に着いたとき、10月の始めだったと思いますが、そこから見えた200か300メートル位の低い山に、道に迷わないだろうか、予定の時間までに戻れるだろうかと心配しながら、夢中になって登ったのですが、これも記憶に残る思い出です。 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

【後記】
ややこしくなるので詳しいことは書きませんが、「不思議だ、不思議だ」と言っていたときに、時たま掲示板に貼り付けられていたカーフェリーからの「高級船員募集」との貼り紙を見て、急にカーフェリーに変わろうという思いになり、即決し、洋上から無線電話でフェリー会社へ応募しました。そして、なんなくカーフェリーに転職することができ、その半年後に婚約し、さらにはその半年後に結婚しました。
それまで、特別な事がない限り、その船会社を辞めるつもりはなかったので、まさに運命の急展開と言える出来事でもありました。


番組「スピリチュアル・ジャパン」を見て

2021年02月03日 | 人生

昨日、テレビの番組欄を見ていて、BSⅠの「スピリチュアル・ジャパン」という放送があるのを見つけたので、録画して見ました。昨日は節分にちなんだ「鬼」をテーマにしたものと、「雪」をテーマにした、それぞれ30分の2回の放送でした。

 

その内容は、日本にいる若い外国人男女の二人が、外国人の立場から日本人は「鬼」を、あるいは「雪」をどのようにとらえているかを現地取材しながら日本人のスピリチュアルな面を探求していくという、そんな番組で興味あるものでした。

 

「鬼」については東北地方の取材で、恐ろしく忌み嫌うべきものというイメージではなく、親しみをもって捉えられていることや、さらにはその家の守護をしてくれる守り神として祭られている地域もあり、守り神というそんなとらえ方まであることが紹介されていました。(外国にも鬼がいるそうだが、怖いものとしてとらえられているらしい)

 

そして、何故豆なのかと質問した時、あるお寺の坊さんが「豆(マメ)」は「魔滅(マメツ)」の意であると答えていて、「あ、なるほど~!」と思った事でした。

 

そして道行く人に「あなたにとっての鬼とはどんなものですか?」というような質問を数人にしていたが、全員が「鬼は外にいるのではなく、自分の内に住む魔」という意味で答えていました。

 

このように誰でも自分の内に魔(鬼)がいると思うのですが、この魔とどう向き合っていくか、ある意味では、対人関係以上に難しいかもしれませんね。親鸞聖人のような人でさえ「煩悩具足の凡夫」とか、「心は蛇蝎の如く」と嘆いていられるし、西洋ではあのパウロも同じように嘆いているとのこと。

 

しかし、こんなふうに嘆いている親鸞やパウロが何故民衆に説教などしたのだろうか。
この人たちは、その内に住む魔を嘆いてばかりいたのではなく、「魔」のさらなる奥には「聖なるもの」があることをはっきりと見抜いていたのではないだろうか。
親鸞上人は「善人なおもて往生す。増して悪人をや」と説いているし、
イエス・キリストも「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」と教えている。

 

もう一つのテーマ「雪」の方も、その取材地は雪国、即ち東北でしたが、こちらは「かまくら」が紹介されていました。沢山の小さい「かまくら」にはロウソクが灯され、とても幻想的でしたし、大きな「かまくら」では子供たちがその「かまくら」の主(あるじ)となり、訪れる客たちに「中に入ったんせ」と声をかけ、餅を焼き、甘酒や焼いた餅をふるまったりしていて、まるでおとぎ話を見るようでした。

 

子供の頃、正月に遊ぶカルタには「かまくら」の絵があり、「かまくら」の中に入ってみたいと憧れたものでしたが、そんな取材をしながら、雪国の人たちは、雪を恐れるのではなく、雪と調和した生活を営み、雪を神聖なものとしてとらえられていることが紹介されていました。

 

こんな番組を見ていたら、「雪の結晶」に関する好きな文章を読みたくなり、抜き書きしていたものから検索したところ、次の4つが掛かってきたので掲載します。

 

○雪のひとひら以上に完璧なものを見たことがあるだろうか?その精妙さ、デザイン、対称性、一つ一つが雪の結晶としてあるべき姿を保ちながら、同時に個性的でもある。まさに神秘的ではないか。あなたがたは、この自然の驚くべき奇跡に驚異の念をいだくだろう。雪の結晶についてこれだけのことができるわたしなら、宇宙についてどれほどのことができると、あるいはできたと思うか? 

 

○いいかな、わたしはすべての花であり、虹であり、空の星であり、すべての星をめぐるすべての惑星上のすべてだ。わたしは風のささやきであり、太陽の温かさであり、それぞれが信じられないほど個性的で、しかもこの上なく完璧な雪の結晶のひとつひとつだ。

 

○なぜ、同じ雪の結晶が2つないのか?それは、不可能だからだ。「創造」は「コピー」ではないし、2つとして同じ雪の結晶はないし、同じ人間はいないし、同じ考えはないし、同じ関係もないし、同じものが2つ存在することは絶対にない。宇宙は――そしてその中のすべては――単数でしか存在しないし、同じものは他にはないのだ。          
                                  以上はニール・ドナルド・ウオルシュ著『神との対話』1~3巻より

 

○あなたは雪の結晶だ。生命を表現するために完璧な、この世に二つとない個性をもって、神の世界から舞い降りてきた。地上に着くと、あなたと同じように息をのむほど美しい個性をもつほかの者たちと一緒になって、より大きなスケールで美しい景色をつくりだす。やがてあなたは形を変え、一つに溶けあい、小川をさらさらと流れていく。そして、天へと昇っていき、消えてしまう。(あなたはそこにいるが、ただもう目には見えないのだ)あなたはこうして、来たところへ帰り、再びサイクルが始まる。雪の結晶の旅は、魂の旅の完璧なたとえだ。   ニール・ドナルド・ウオルシュ著『10代のための「神との対話」』より


聞いて嬉しくなる話

2021年01月06日 | 人生

去年の暮れ、生長の家の研修会で発表する機会を得たが、私の前に発表したAさんの話が良かったので、その話を紹介させてもらいます。

 

Aさんは「人間神の子といっても、いろいろ問題が起きて来ますとね、どうしても神の子を忘れる時がありますね」と言って、つい最近にあったという次のような話をされた。(以下は凡そのあらすじです)

 

彼女の娘さんは体調がすぐれず、自分に自信が持てないらしく悩んでいたので、Aさんは日頃から生長の家の教えを知らせてあげたいと思っていたので、生長の家の練成道場の研修生になることを薦めた。すると娘さんは切羽詰まっていたのか、「行くよ」と、素直に応じてくれて研修生となった。

 

ところが2ヶ月半の研修予定も残す所10日となったとき、一向に変化がないことにいら立ち、焦りを感じた娘さんから、研修生になることを薦めたお母さんを電話で非難し責めてきたとのこと。
しかし、次の日の夜にまた前日とは打って変わった様子で電話があり、その時のことをAさんは次のようにお話しされた。

 

○その時、娘は「おかあさ~ん、生んでくれてありがとうね~」と言ってくれたんです。「どうしたのかな」と思っていると、「お母さん、やっとわかった!やっとわかったんだよ~」と言ってくれたんです。それで30分ぐらい泣きながらお互いに心の底から話が出来まして、その時に、娘も本当に神の子なんだと気づかせてもらうことが出来ました。

 

とこのように話され、それからしばらくして娘さんは研修から帰ってきて、次のように話したという。

 

○「自分が信じられず、マイナスの感情に捉えられ希望が持てなかったが、真理の言葉を繰り返しているうちに自分の中に強い気持ちが湧いて来て、やっと人間は「神の子」ということが信じられるようになった」とのこと。

 

そして、今は毎日「ありがとうございます」という言葉を何回も繰り返し唱えているという話であった。すると、他の家族にもその言葉が伝播して孫まで「ありがとうございます」というようになり、お父さんも、「御飯ですよ」と呼びかけると、「ありがとうございます」との返事が返って来るようになったとのことだった。

 

そして、「このように一条の光が射せば、すべての暗闇が消えて明るくなる」という話をされたのでした。

 

わたしも堕落して立ち直れずにもがいていた時があり、生長の家の「人間神の子」の教えに触れて感動し、立ち直れた一人なので、このような話を聞いて、また感動がよみがえり自分のことのように嬉しくなったのでした。

 

そして、70歳を超えた今も、次のような文章に接するたび、気持ちがうれしくなり、また鼓舞されたりで、
明るく前向きな思想に出会えたことを有難く思っている次第です。

 

○高き理想、気高き感情をつねにもつことは若さをいつまでも保つ上に異常の効果があるのである。心が常に向上精神に燃え、いっそう高きもの、いっそう清きもの、いっそう天的なものに憧れるかぎり、その人の心は老いず、その人の心が老いないかぎり、その人の肉体は老いないのである。

 

○人間はそのまま神の子であり、仏である。魂を磨くと磨かぬとにはかかわらないのである。
しかしそれを磨くのは、その神の子、仏性を人生に実現するためである。
本来神の子であるから、神の子らしく実現したとき喜びを感ずるのである。
                 
                             (谷口雅春著『生命の実相』より).


変な爺さん

2020年12月15日 | 人生

以下は私が40代後半ごろの話です。

 

それは岐阜県美濃地方の山に登り、その帰りに喫茶店に入ったときのことです。
店に入ると、中は煤けたように薄汚れていて、客はわたし以外には誰もいませんでした。とは言え、私は気にもしないでコーヒーを飲みながら山の地図を広げ、今登って来た山を思い出しながら登山の余韻を楽しんでいました。

すると、そこへ一人の老人が店に入ってきました。手拭いを首に巻き、さも畑仕事から帰ってきたような姿でした。
私はとっさに「薄汚れた店に、薄汚れた老人が入ってきた」と思いました。
一瞬視線があったかと思うと、やけに親しそうにニコニコしながら近づいてきて、「何かな?」と思いながら見ていると、
私のところまで寄って来て、その向かいの席に座ったのでした。まるで友達と待ち合わせでもしていたかのように。
私は「他に席はいくらでも空いているのに、何よこの爺さんは!」と呆れながら爺さんの顔を見ました。

 

しかし、お爺さんはニコニコとさも親し気に私を見ています。

それは、まるで少し前の記事でアップした幼児の笑顔とそっくりです。

 

それでも私は「楽しみな時間を邪魔されてはかなわない」と思い、無視を決め込んで視線を地図に戻します。

しかし、「それにしても、きれいな目をした爺さんだなあ」とその目が気になります。
「いやいや、余韻を楽しむために店に入ったんだから、楽しみな時間を邪魔されてはかなわない。無視、無視」
と、地図に神経を集中しようとします。――お爺さんが話しかけたそうにしているその視線を感じていたので。



しばらくすると、案の定「どこかへ行ってきたんですか?」と、ニコニコ話しかけてきました。
本当に親しげで、幼児のような柔らかで澄んだ目でした。
しかし、その時は邪魔をされたくない一心ですから、これ以上話しかけられたくないというように、
「はあ、山へ行った帰りです」と、そっけなく答えました。

そして視線を地図に落とし、集中しようとしたのですが、お爺さんの目が気になって集中できませんでした。



仕方がないとあきらめて、残っていたコーヒーを飲みほし、席を立ちました。
そうしたら、なんと、なんと、そのお爺さんも私と同じようにコーヒーを飲みほして席を立ちました。
わたしは驚きながら「なに?この爺さんは」と、思いました。
「変な爺さんだ」と思いつつ勘定を済ませ、外へ出て50CCのスクーターにまたがりました。



ヘルメットを頭にかぶっていると、少し遅れて出てきた爺さんも、またまた、ニコニコと楽しげに隣の50CCにまたがるではありませんか。まるで、それはお茶目をしているようでした。そして、また同じようにヘルメットをかぶりました。
私もついお可笑しくなり、ついに「お爺さん、元気で良いですねえ」と私から話しかけました。

爺さん:わしゃー、これでも83になるわね。いまゲートボールをやってきた帰りだわ。
わたし:へぇ~、83ですか。とてもそんな年には見えませんねえ。よくゲートボールをするんですか?
爺さん:毎週2回やるんだけど、これがわしの楽しみだわ」と、ちょっと照れたように言いました。
わたし:そうですか。・・・・・じゃあ、どうぞ元気でやってください。
爺さん:ありがとう、あんたも気をつけて帰りなさいよ。
わたし:はい。さようなら。

というわけで、そのおじいさんと別れました。

これだけの話で、まるで夢の中の一齣のようですが、是非またいつの世でかお逢いしたいと思っています。

と、言うわけで、この日のことが無性に懐かしいという話でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


我が「あこがれの人」

2020年12月12日 | 人生

6、7年前のことですが、生長の家の勉強会で或る信徒の家を訪問し、そこの主人に「生長の家」を信仰し始めたきっかけについて尋ねたことがありました。するとその主人は、まだ小学生の時の戦後間もない頃の話だといってこんな話を聞かせてくれました。

 

その頃、お母さんは病気で臥せっていた。どんどん痩せて行き、おばあさんがもう助からないだろうといっていたのを覚えているという。

 

そんなある日、見知らぬ一人の男がやって来て、「少しでいいから話を聞いて欲しい」と言う。父親が忙しいからと再三断るが、その男はしつこく「少しでいいから聞いてくれ」と言うので、玄関先で少しだけ話を聞いた。どんな話をしたかは知らないが、最後に男は「今の話が分かったら、大分気分もよくなっている筈だ」と言って帰って行ったという。

 

父親が臥せっている母の元に戻ると、母が「何だか今、急に気分がよくなった」と言う。それで父親が先ほどの男の話をすると、母は「その人の話を聞きたい」と言うので、父親はすぐその男の人を探しに行った。が、見つからないので近所の人に、「こんな話をしていった男がいるが知らないか」と尋ね歩いたが、誰も知らないという。

 

それ以後も心当たりを探し、やがて戦後東京の方から疎開してきた若林という隣村にいる人だとわかった。
それで若林さんの家を訪ねて、事情を話して再び自宅まで来てもらい、話をしてもらうことになった。
おばあさんは、「こんな病人にどんな話をするのだろう」と心配そうだったという。

 

若林さんが来ると、臥せっている母親の近くに寄り、最初「ありがとうございます」は言えるかと聞いた。
母親は「それ位なら言えます」と答えた。
若林さんは「それは良かった」と言い、次のように話した。
「これから毎日、目がさめている間、ご先祖様やお父さん、お母さん、それからお世話になったすべての人々を思い出しながら、ありがとうございますと言いなさい。それが出来たら、今度は障子や柱、畳や天井、目に見えるもの凡てに「ありがとうございます」と唱えながら感謝しなさい。きっとよくなりますよ」と、およそこんな話をしていった。母は言われた通り、「ありがとうございます」口で、疲れれば心で唱え続けた。

 

そして、3日後、それはお彼岸の日だった。見ると仏壇にお供えしてあったお彼岸団子が目に留まり、それを食べたいと言い出した。家のものが心配して、もう少し良くなってからという者もいたが、結局、その団子をうまいと言いながら食べた。その後急速に回復に向かい、やがて買い物にも出かけるようになった。

 

村の人たちが良かったねと言ってくれるので、お母さんはその経緯を話す。すると、村人たちも若林さんの話を聞きたいと言い出し、それでまた若林さんを呼んで話をしてもらった。その時集まった人の数は80人だったという。その時の話を父は次のようにメモしている。

①大自然、太陽系、宇宙の創り主は誰か?
太陽、地球、そして夜空の星は一定の法則によって精確に運行されている。

②地球上の「人間を頂点とする凡ての生き物」は誰が創造したのか?

③いのちある生き物は神によって創られている。特に人間は神の最高の自己顕現であり、「神の子」である。

④だから私たちは一切の人々に感謝し、天地の万物に感謝し、心からありがとうございますと合掌すれば、そこに神の愛が顕われ、病は消える。神様は病気を創り給わず、病気は本来ナイからだ。

⑤人間は神の子・仏の子であり、大自然・大宇宙を創造した大生命を頂いている。
天地すべてのものと和解した時、そこに神――神の愛が――顕れる。

 

今まで感動させられた話はたくさんありますが、この話ほど深い感銘を受けたことはありません。
若林さんは有名人ではなく、言ってみれば名もなき人であるが、世の中には、こんな人もいると知ったことはとても大きく、それ以来、若林さんは遥か遠いながら、私の「あこがれ」の人になりました。自分の名前を「若林」と変えたいぐらいに。(笑)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


あれから10年

2020年12月08日 | 人生

師走とは思えない暖かな日が続いています。
私のシルバーでの剪定仕事も残すは3回のみとなり、少し未練もあり、寂しさも感じているが、一応当初の目標であった10年が過ぎ、そろそろ区切りをと思い、今年いっぱいでやめさせてもらうことにした。

 

10年前はどんなことを書いていただろうかと、過去の記事を見ていたら、はじめて剪定作業に従事したときのことを、こんなふうに書いていた。

 

寒い日が続いていますが、2月3日、地元の遺族会の敷地の植木を5人で剪定しました。
わたしの記念すべき晴れの初陣でした。
天候はピンポイント予報では最高気温は5度、北風も強いとのことで心配しましたが、やりはじめたら、寒いどころか、夢中で汗ばむほど。

私が任されたのは、車の出入り口の両側にある、サザンカの生け垣でした。
昼休みをはさんで9時から16時までみっちりかかり、午後には手の握力もなくなるぐらいでしたが、それも忘れて夢中でした。ときおり時雨もきましたが、夢中になっているので、時雨も、ただ目の前を通り過ぎて行くという感じでした。
長時間、こんなに夢中になったのは久し振り。
あとの何とも言えない充足感に、夢中になっている時間のスバラシサをしみじみ感じさせられました。
寒さと時折の時雨も、終わって見れば、初陣を飾ってくれる完璧な舞台装置でした。
あの世で回想するとき、このシーンでは笑みが浮かびそうである。



と書いていて、この時のことは今もよく覚えている。
ともかく、あれから10年過ぎたわけで、早いものだと思う。
私はシルバーをやめても退屈することはないと思うが、さてこれからどうするか。
親しい友への年賀状には、

       70代 恋一筋に 生きようか              

などと書いて、思わずにんまりしたことだった。

馬鹿を言いつつ笑い合える友がいることは、実にありがたいことである。

その一方で、シルバーのそんな仲間たちと別れるのはちょっぴり寂しいのである。

 


心配無用

2020年12月05日 | 人生

また、6年前の記事の再アップですが、読んでいただければ幸いです。

 

少し長いですが、以下は本からの抜き書きです。

○考えて見ると吾々を『肉としての人間』と自覚する限り死刑の宣告を受けた死刑囚と同じであります。・・・・・生活難も何もないのに、ただ『自分は死刑囚だ』と考えるだけで苦しいのであります。釈迦もその苦痛を脱するために家出せられた。父王の嘆きも顧みる暇がなかったのであります。それは人間を肉の方から見たらまさにその通りであります。ところが人間は肉ではないのだ。その中に宿っているところの不滅の理念こそ人間である。『内に宿るキリスト』『一切衆生悉有仏性』の其の『仏性』こそ本当の自分である。その仏性が仏性たらんとして慈悲を行ずるために此の世に生まれて来たのが出生であり、また『父と子』の理念を実現するために生まれて来たのが出生であると云うことが判るならば、はじめて親孝行の心が油然(ゆうぜん)と湧き出て来るのであります。吾々の本当の親は神様でありますが、その『親と子が一体である唯一神の理念』が現実になるためには現実の親と現実の子が地上に顕れねばならない。父母ありしがために、神のいのちが地上に神性受胎を実現するところの機縁が与えられたのであります。 『愛と光の生活』(谷口雅春著)より

 

○われわれは宇宙に満つる「神の生命そのもの」であると云っても、「仏性即自分」であると云っても、それが実現するためには陰陽の結びを必要とするのであります。父母陰陽の結びと云うものは、吾々「仏性」なる自分が神聖受胎する神聖なる機縁を与えて下さったのであります。これが父母の愛であります。斯う観じて来ますと、父母の恩が海よりも深く山よりも高きことが判って来るのであります。吾々は親の肉体本能のために犠牲になったのではなく、親の愛が、愛の念波が、宇宙普遍の生命――仏性――を引出してここに神聖受胎せしめられたのであります。決して親の「無明」によって、十二因縁をたどって人間は受胎したのではありません。 『愛と光の生活』(谷口雅春著)

 

いやあ、すばらしいなあ。(素晴らしい芸術品を見ているような思い)
ほんと、思想の芸術だなあと思います。
これを読んで、感銘と共にはじめて「なぜ親孝行しなければならないか?」その意味が分ったような気がしました。

 

わたしは今シアワセな日々を送っていて、「こんなことなら今まで何にも心配することなどなかった。心配は全部無駄だった」と、時々思ったりします。心配したことが無駄になったのなら、「ああ、良かった」と喜べばいいようなものですが、おかしなもので、損したような気分になるのです。だから、これからは心配などしないで、もっとゆったりと楽しく生きようと思います。

 

「退行催眠」治療の記録が書かれた本を読みますと、本に書かれている範囲でのことですが、生まれ変わりの回数が20回前後と云う人が多いようです。それで仮に20回生まれ変わっているとすると、普通の臨終は5回ぐらいで、あとの15回は、いわゆる不幸な死という、ざっくばらんに言うとそんな程度の割合になると云う記事を読んだ記憶があります。この割合はともかく、誰でも過去に何回かは飢饉による飢え死にとか、疫病などの流行り病や個人的な病死、地震や津波といういわゆる天災、あとは紛争とか戦争、個人的な争いなどで死んでいると思ってまちがいはなさそうです。

 

とすると、わたしも例外ではなく、何度かは世間で言う不幸な死を経験していることになります。しかし、過去にどんな不幸な死に方をしているにしても、今、こうして幸せに生きています。それを思うとなんだか不思議な気がするのですが、それとともに、ここでもやっぱり心配するだけ損だなということを思ったりします。

 

それに、周囲の人は、非業の死をとげた人を見て「気の毒に」と思うかもしれませんが、本人は、病気や傷ついた肉体の苦しみから解放されて、きれいな花園の中を気持ちよさそうに歩いているかもしれません。それからしばらくすると、この下の写真のように生まれ変わって来るわけです。そして、まわりの人たちから、「わあ、かわいい!」「笑った、笑った」と、まるで、天使が笑ったかのようにうれしそうにはしゃがれたりします。

       

 

どうですか、この笑顔。まさに、天使のいのちを宿した顔ではありませんか!
だから、肉体的視点から見れば、生まれて死ぬ、それだけのことであり、魂的視点から見れば、

○仏性が仏性たらんとして慈悲を行ずるために此の世に生まれて来たのが出生であり、また「父と子」の理念を実現するために生まれて来たのが出生である。

 

というわけで、これからも心配はやめましょうと、またまた思ったことでした。
有り難き哉、神性受胎!