今朝は氷点下となり少し冷え込み、カーテンを開けると庭はうっすらと雪化粧していました。
空は昨日とは打って変わって、明るく、美しい朝焼けの空。
東側のブラインドを開けると、いつもの如く朝の太陽が顔を出す直前でしたが、太陽が昇る位置からは垂直に光の柱が立っていました。初めて見る光景なので、早速カメラに収めたのが下の写真です。 (時間は7時)
ただ、写真ではよく見なければ気づかない位ですが、実物はもっとはっきり見えていました。
お日様におっすとあいさつ冬の朝
昨日描いた絵(模写)
○“わたし”はあなたである。“わたし”はあなたの存在の中核にあり、“あなた”のエッセンスである。それのみが本当に存在する“あなた”自身である。それが「一切衆生悉有仏性」の“仏性”である。“仏性”があなた自身の真実であり実相である。その“わたし”の生命のエッセンスにわたしは色々のアイディアの衣裳を着せて此の世に送り出すのである。このいろいろのアイディアの衣裳があなたの個性となっていて常に“あなた”と“他の人”とを識別する標識となっているのである。
○“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、“わたし”はアイディアで賦彩(いろづけ)するのである。その賦彩(いろづけ)が“個性”としてあらわれるのである。それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな偏りもない、賦彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生まれる人間としては無くてはならぬ属性として賦彩されたものが個性である。それゆえに“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異なるが“個”の中に“普遍者”があり、“普遍者”は共通であるから、その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。
(谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)
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