ども、砂川でwす。
かねてからこの年明けに大阪歴史博物館で平野区喜連(旧喜連村)の特集展示がはぢまる、と聞いてましたので、行ってきました。
「喜連」の名は、「万葉集」にあらわれる「伎人くれひと郷」に由来すると言われ、古代以前から渡来人などが行き交う要地でした。
中世にはしばしば戦乱の舞台となり、防御のための環濠が設けられたと伝えられます。
近世になると、一つだった村は東喜連・中喜連・西喜連の三か村に分かれ、のちに幕府領と藩領という異なる支配のもとに置かれることになります。
複雑な支配関係のもとで、村の人々は、18世紀初めの大和川付け替えを契機とする用水問題など、共通するさまざまな課題に対処していきました。
特別展示室内はカメラ撮影お断りだったので、何も写せませんでしたケド、噂の「畳5枚規模」の古地図をじっくり拝見しました。
大学時代は日本古代史専攻だった私、なかなか興味深かったです。
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常設展示も久しぶりに・・・。
自分の生まれ育った街の歴史を知るのは、けっこう大切なコトですよね。(^^)