ども、砂川です。
高校時代の恩師、国語科の西野小枝子先生が執筆された「もしその角を曲がっていたら」、読み終えました。
以前、同人誌に寄稿されていた小説をいくつか読ませていただいたコトがありましたケド、まる一冊、すべて西野先生の作品とあり、ページを繰るのが楽しかったです。
第一部と第二部からなり、第一部は西野先生の自叙伝とも言える私小説的なものでした。
平野区の旧家に生まれ、進学校から有名国立大学へ進み、嘱託という形で毎日新聞大阪本社の出版編集長の秘書になるも、男社会の中で多くの苦労をし、純粋すぎる性格がゆえに心身ともに疲弊します。
東京へ行き、私立の女子高校、小学校で教職に就き、ご自身の深い情熱をもって教育の現場で奮闘されましたケド、高度経済成長期の日本社会が持つ様々な矛盾に苦しみ、大阪へ帰り府立高校の採用試験を受け・・・。
幼い頃の家族の記憶や生い立ち、ご自身が結婚されてからの仕事と主婦業の両立に苦しんだ日々、変わりゆく家族模様の中での葛藤が鮮明に描かれています。
「60数年生きている間に、ほんの小さな存在である私の身の上にも多くの出来ごとがあった。目の前にある時は、小さすぎて真相がよく見えず、通り過ぎてしまってからことの重大さを、己の未熟さや愚かさを思い知り、顧みて恥ずかしさに赤面し、悔いに身を捩じらせても、詮無いことで時は止まることもなくなお流れて行き、決して後戻りすることなどできない。そんなふうにして生きて来た私に、喜びも哀しみも、恥ずかしいことも時に誉ある輝きにも恵まれて今に至っているが、私と言う存在は今は亡き父や母から生まれ、秋の日の今日、有形無形のものを含めて私から娘へ受け継がれて更に先へ続いていくことを考えると、このように在ることの命を、限りなく愛おしく思う」
第二部は5編からなり、誰もが心に持つ闇や傷をさまざまな手法であぶり出すように描かれています。
でも、そこに投げかけられるテーマはまるで謎かけのようで、答は読み手によって変わるのでしょうね。
恵まれない家庭で多感な時代を過ごす少女の悲鳴が聞こえてきそうな「隕石」、まるで夢を見ているように場面が切り替わる「男は伸し餅のような」、不思議な感覚に包まれる「夢で見る夢」など、その表現手法は多様です。
全編通して読み終えると、西野先生の教師、母親、妻、嫁、そして年老いた親に対しては子供、というさまざまな立場の中で、ただ一所懸命に突っ走ってこられた人生を振り返り、もう一度ご自身を見つめ直したい、という強い意思が感じられます。
様々な人生の節目、岐路に立った時、「もしその角を曲がってたら」と誰もが考えます。そんなふうにそれぞれの人生が織会って、ほんの短い時間でしたケド、西野先生に巡り合えたご縁をありがたく思います。
紀伊國屋書店やジュンク堂書店でも取り扱ってられるとのコトですので、みなさんもぜひ読んでみて下さいね。