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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

のだばし址(東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-08-22 | Weblog
パチンコ店の店員に教えられたとおりJR大阪環状線のガードを潜る。
京阪京橋駅・京阪モールとJR京橋駅の建物の前を、駅を行交う人の間
を縫って、ぶつからないようにかわしながら南に抜ける。

 この辺りには京街道の道標があったらしいが、この難所を通り抜ける
に一心で、残念ながら見落としてしまった。



 この二つの建物を見ながら、何年か前ここでJR線から京阪線に乗換
えている事を俄に思い出した。その時は僅かな乗換え時間に急いでいて、
余り廻りは見ていなかったのだが、この建物の風景、乗り換えの導線に
は僅かな記憶が残っていた。


 
 駅ビルの南に出てここを右折する。100m程で道が二叉に分かれるが、
そこに二人地蔵尊が祀られていた。二体仲良く並んだお地蔵様で、右側
は交通災害の身代り、左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵らしい。



 何処に行っても街道筋にお地蔵様は本当に多くて、昔から庶民に親し
みを込め、敬愛されていた信仰が見て取れる。
 その左側の道が旧道で、400m余進むとで左に折れると、その近くに
昭和13年に立てられた「のだばし址」の碑が立っていた。


  
 旧野田橋は、旧鯰江川に架かっていた。
長さ「十五間五尺五寸廣二間(凡30m)」の橋で、小橋とも呼ばれ、江
戸時代には京街道の入口にあたる重要な橋とされていた。
大坂の町には12有ったとされる公儀橋(公儀が管理する橋)の一つだ。



 旧道は左に折れ、土佐掘通りに出ると右折するが、この間が野田橋の
架かっていた名残の場所らしい。
川は昭和5~6年の寝屋川の改修に伴い埋め立てられ、橋は撤去された。



 「のだばし址」の碑の背中合わせには、「皇紀二千六百年」の碑も立っ
ていた。神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った石碑のようだ。

 この先京街道は土佐堀通りと言う幹線通りに出ると、その終点がいよ
いよ近づいてきた。(続)

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