簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

紀伊田辺(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-05-08 | Weblog
 串本を出た列車は、西から少しずつ北に向きを変えながら、やはり海岸線に沿
って進む。
紀伊半島が海に落ち込む辺りだけに沿線は急こう配区間が有り、トンネルが多く、
小さな曲りを幾つも繰り返しながら進む。



 70分ほどで到着する途中の白浜は、「アドベンチャーワールド」や、南紀白浜温泉
が知られた人気の地である。
且つては東の熱海、西の別府と並んで新婚旅行の人気地として知られた時期もあった。



 その先で、車窓に賑やかな町並みが戻ってきたら紀伊田辺である。
ここまで凡そ90分程の行程で、新宮や串本を発った列車の多くは、この駅停まりだ。
ここで御坊や和歌山行に乗り換えることに成る。



 駅に「田辺の三人」と書かれた看板が有った。
似顔絵が書かれていて、上から南方熊楠、植草盛平、武蔵坊弁慶の三人で、当地
が生んだ偉人・有名人と言うことらしい。



 南方熊楠については、明治・大正・昭和にかけて活躍した生物学者であり、民俗
学にも造詣の深い人物として知られている。今年が生誕150年の年に当たり、その
頭脳は「歩く百科事典」と言われるほど卓越していたと言うことぐらいは知っていた。



 武蔵坊弁慶は、紀伊の国は西牟婁郡、田辺の生まれ、新熊野の別当職湛増
法眼の倅 幼名は鬼若丸。後には源平の合戦で源義経の腹心として活躍したこ
とは良く知られていて、馴染みのある人物だ。
ただこの植草盛平と言う人物のことは全く知らなかったので、あとで調べてみると、
日本武道家で、合気道の開祖とされる人物とあった。



 駅前や周辺には三人の縁の地や銅像などもあるらしいが、残念ながら見て歩く
だけの時間がない。(続)



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軍艦・エルトゥールルの悲劇(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-05-05 | Weblog
 潮岬半島から平成11年に架けられたループ橋とアーチ橋の二本の橋を渡り、
紀伊大島に入る。海を臨むことが殆ど無い、島の中央部を貫いている道を東に
向かうとそこが樫野埼だ。
ここには日本最古の石造り灯台である樫野埼灯台が建っている。



 この辺りは黒潮が岬にぶつかることにより、海蝕が進む崖や岩礁が入り組んだ、
複雑で厳しい海岸線となっている。
近くの海金剛は「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれている。



 そんな地で、折からの台風に煽られた一艘の軍艦が岩礁に激突し座礁した。
機関部に浸水した艦は、水蒸気爆発を起こし沈没した。
明治23年9月16日の夜半、500名以上の犠牲者を出した、オスマン帝国(現在の
トルコの一部)の軍艦・エルトゥールル号の悲劇である。



 灯台下に流れ着いた僅かな生存者は、崖をよじ登り、燈台守に助けを求めた。
通報を受けた村は、住民たち総出で生存者の救出と介抱に当った。その結果69名
が救出され、無事生還した。



当時の村民は生活が貧しかったにも関わらず、衣類や食事を出し、中には非常時
の為にと飼っていたニワトリすら惜しみなく提供したと言われている。
この事実が衝撃的なニュースとして全国に報道されると、瞬く間に多くの義捐金・弔
慰金が寄せられた。



 このことが日本とトルコの友好関係の礎となり、後のイラク・イラン戦争の折のトル
コ航空による日本人脱出劇を生んだのは「親日国トルコ」を語るエピソードとして
記憶に新しい。
こんな歴史は灯台そばに立つ「殉難将士慰霊碑」や「トルコ記念館」で知ることが出
来る。(続)



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本州最南端・潮岬(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-05-03 | Weblog
 紀伊山地から延びた陸地が、半島となって太平洋に突き出し、海に激しく落ち込
む潮岬半島の突端が潮岬である。
本州最南端の地で、東京都の八丈島とほぼ同じ緯度に位置している。
ここは、台風の進路予想などではお馴染みの場所だ。
「台風〇号は、潮岬の沖合〇キロ付近を、北北東に向けて・・」などと良く耳にする。



 その岬の先端には「望楼の芝」と呼ばれる広大な芝生広場が広がっている。
むかし日清戦争を受けて海軍が造った物見櫓の遺構が残されているだけに、太平
洋が遥か彼方まで何も遮るものもなく見通せる場所になっている。



 近くの潮岬観光タワーは、7階建ての円柱形をした建物で、エレベーターで昇る
海抜100mの展望台からは、地球の丸さが実感できる眺望が楽しめる。
又反対側に目を転じれば、世界遺産・那智の山並みまでが見渡せる。
ここでは300円を払って入場すると「本州最南端訪問証明書」を発行してくれる。







 また、この施設に併設されたオーシャンビューのレストランでは、串本沖で獲れた
新鮮な魚介料理のほか、近畿大学が完全養殖に成功したマグロが「近大マグロ」の
ブランド名で提供されていて、安価に食べることが出来る。



 ここから800mほど西に行くと「日本の灯台50選」にも選ばれている、白亜の潮岬
灯台が30mの断崖上に建っていて、内部は有料で公開されている。
現在の石造り灯台に成ったのは明治11年と言うから、ゆうに100年以上もの間、海
上交通の要衝を行く船舶を照らし続けていることに成る。(続)

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橋杭岩(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-05-01 | Weblog


 「ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ巡航船・・・♪」
列車が串本駅に到着する少し前、車窓左手にはその大島が見えて来る。
それは正式には紀伊大島と言うらしい。
東西約8Km、南北約2.5Km、周囲が28kmほどで、島に住む人口も2000人を数える
と言う和歌山県下では最大の島である。



 かつてはその島に向け、フェリーや巡航船が頻繁に行き来していたそうで、就航
した当初は20分ほどを要したらしい。
離島振興策により島に念願の橋が架けられたのは、平成11年9月のことだ。
ループ橋とアーチ橋の二本の橋が、1キロほど離れた潮岬半島とを結び付けている。
これで待望の本州と繋がり、島を結ぶ船は姿を消すことになったのだそうだ。



 この地には昔に遡れば、「弘法大師立岩伝説」が残されている。
それは天邪鬼が大師に向けた、離島と陸地を結ぶ橋の、一晩の内の早や架け競
争の誘いである。
無理を承知の天邪鬼であったが、大師が山から切り出した大岩を軽々と海に立て、
橋杭を並べていく姿を盗み見て、驚きの余り邪魔をしようと鶏の朝鳴きを真似たの
だそうだ。
それを聞いた大師は、朝が来たものと思い作業を途中でやめてしまい、その状態
が今に残されているのだと言う。





 国の天然記念物に指定されている「橋杭岩」である。
大島に向けて丁度橋でも架けようとするかのように立ち並ぶ奇岩は、海による浸
食の為、岩の固い部分だけが残り、建ち並べた橋の杭のように見えるのだが、こ
んな伝説を聞き知ると岩の並ぶさまにはなにか違った姿も見えてきそうだ。(続)



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