簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

高輪の大木戸跡(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-05-29 | Weblog



 右手に「東京タワー」が見え隠れし始めている。
大門の交差点からは、芝増上寺であろうか、瓦屋根を被った山門らしき建物が窺
えるが、行きかう車や、駐車中の配送車両などに隠されて良く見えない。



 その先で金杉橋を渡る。
左手奥を流れる芝浦運河に通じる古川らしいが、殆ど高速道路が覆いかぶさって
いて、陽が当たらないし、魚も住めないだろうなどと、川がかわいそうに思えてくる。
そんな川にも漁船や釣り船に交じって、提灯を吊るした屋形舟が舫われている。
東京には、今でもこうして江戸の町人のように屋形舟で川遊びをする風流が残って
いるのであろう。このあたりが日本橋からは丁度4キロ地点である。



 田町のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見の地」の碑が立っている。
隆盛の孫の西郷吉之助の力強い揮毫である。
この地には旧薩摩藩の屋敷が有り、明治維新の前夜、江戸を火の海から守るため、
江戸城の無血開城が話し合われた。
当時このあたりは海に面した砂浜に街道が沿っていたところで、江戸時代の海岸線
が最後まで残された場所でもあると言うがそんな面影は今どこにもない。



 その先に石垣と大木が茂る小公園のようなものが見えてきた。
「高輪の大木戸跡」である。
木戸と言うのは、治安の維持や交通機能を目的に、街道の両側に石垣を築き、そ
こに門を構えた場所のことで、開けられるのは明け六つから暮れ六つの間(凡そ現
在の午前6時頃から午後6時頃)で、夜間は閉めて通行止めにした。



 この高輪の木戸は、道幅約六間に造られたもので江戸の南の出入り口にあたり、
ここを出るといよいよ江戸とは別れることになる。(続)





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