簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

錦織一里塚(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-07 | Weblog




 富田林の寺内町に多少の未練を残しながらその町中を抜け、川西駅で
近鉄線の高架線を潜り、旧道に入る。
ここからは左手遥かに金剛山地を望み、ほぼ近鉄線を見ながら進む道で
ある。1.5キロメートルほどで、滝谷不動駅前に下りてきた。
日本三大不動の一つと言われ、目の神様として信仰を集める滝谷不動尊
への最寄り駅である。毎月28日の例祭には大勢の参拝客で賑わうと言う。



 駅前から旧道を暫く歩き、錦部小学校の先で国道170号に合流する。
日差しもきつくなり、国道のアスファルト道を歩くのが暑くなってきた。
暫く進むと、左手前方に大きな温泉マークの看板を掲げた建物が見えて来
たので、てっきり日帰り温泉かと思ったが、何と温泉病院とある。



 その建物の丁度前あたりの道路沿いに、台地状にこんもりと盛り上がった
土地が有る。車なら気が付かず通り過ぎてしまいそうな場所であるが、歩き
ならふと、休みたくなるような木陰が気になる場所である。



 「錦織一里塚」と書かれている。
数本の木が植わり、石碑と案内板が建てられていて、その奥に古い宝篋印
塔が残されている。
元々街道の両側に各一基築かれていたもので、頂には一本松が植えられて
いたらしい。



 こんな暑い日なら、木蔭は道行く人々の、格好の休憩場所になっていたの
であろうが、今でもそんな雰囲気の感じられる場所である。
不完全ながら、一里塚が一対で残っているのは府下ではここだけらしい。
この先には近鉄の汐ノ宮駅が有り、そこを過ぎれば道はいよいよ富田林から
河内長野に入ることになる。(続)




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富田林寺内町(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-04 | Weblog


 富田林市に入ると、町並みの向こう、小高い山の上に何やら得体のしれ
ない白い塔のようなものが見えだした。
当初は、工事中の塔にシートでも架けられているのかと思ってみていたが、
どうやらそうではなく、近づくほどにその異様さが際立ってきた。



 そんな白い塔に気を引かれているうちに、街道は富田林の寺内町に入っ
て来た。寺内町とは、サインによるとお寺を中心に畑屋敷、町割りなどを整
備し、周囲に土居を廻らした自治的都市特権を得た町のことで、高野街道
と富田林街道の交わる交通の要衝であるこの地には、永禄年間の初頭に
造られたものだと言う。





 近世以降、南河内の一大商業地として発展し、酒屋、米屋、紺屋、鍛冶屋
など多くの町屋が残され、この辺り一帯が国の伝統的建造物群保存地区に
指定されていて、ここには観光と思しき人の姿もチラホラと見受けられる。



 規則的に割られた道筋に建つ屋敷群は、堂々とした大屋根を持つ低い家
並みで、重厚感が有りそれが見事で、板塀や、千本格子、出窓などの構え
はどの家もシックで落ち着いた佇まいを見せている。
特に、旧杉山家、仲村家など、文化財的価値の高いものもあり、ここには江
戸時代の町屋30棟余りが残されている。



 街道歩きで通り過ぎるだけではなんだか勿体なくて、ゆっくり時間を掛けて、
じっくりとみてみたい・・・そんな町並みである。

 古い町並みの通りからも見通せる先ほどの白い塔は、観光案内板による
と「PL大平和祈念塔」と言うものらしい。
そういえば、富田林には高校野球でお馴染みのPL学園が有った。(続)



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巨大古墳群の町(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-02 | Weblog
 安堂で大和川を渡る。
橋の袂の道路脇に、一寸した公園風の緑地が有り、銅像や石碑などが建
てられている。説明によると江戸時代、水はけの悪い河内平野を複雑に入
り組んで流れる旧大和川は度々氾濫し流域の人々は降雨のたびに洪水に
苦しめられていたと言う。



 その付け替え工事に腐心したのが、流域村で庄屋をしていた中甚兵衛と
言う、ここに建つ銅像の人物で、その指は大和川を差している。
幕府の命により工事を請け負ったのは姫路藩で、今から300年以上も前の
ことだ。ここは「大和川治水記念公園」と言う場所である。



 大和川の堤防をおり、近鉄線を過ぎると正面に前方後円墳で、允恭天皇
陵のこんもりとした森が見えて来る。
街道はここでそれに行き当たり、左に直角に折れると余り広くはない旧街道
らしい趣の道に入ってくる。



 右手に見え隠れするのが仲津媛皇后陵で、その手前に道明寺が見えて
来る。真言宗の尼寺らしく、和菓子の材料として知られる道明寺粉は、この
寺の尼僧が粳米を挽き粉状にしたのが始まりとか。
門前に、そんな道明寺(さくらもち)でも売る店が無いものかと、密かに期待
していたが見事に外された。





 西名阪自動車道を越えると、右手に小山が見えて来る。
応神天皇陵と伝わり、墳丘415メートル、全国第二位の大きさを誇る前方後
円墳である。さらにその先には、墓山古墳や日本武尊の白鳥陵、清寧天皇
陵などがあり、多くの古墳が集まる宝庫である。



 ここらあたりは、神社・旧跡など取り巻く景色も良く、古い石の標があり、
案内サインも充実していて、古街道歩きが楽しくなるような道が続く。(続)




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