水口は東海道50番目の宿場町と、水口岡山城の城下町、両方の顔を併
せもつ町で、名物や名産の土産もあり、大いに賑わったと言う。
旅籠の数は多い方であったが、遊女はいずそのせいか、宿泊は余り振る
わなかった。

その変わり「女の声にて わやわやいう」と伝えられる客引きの留め
女の勢力が強かった。
「物をいわせよといえども、女どもは耳にも聞き入れず、無理に家のう
ちにひきこむ」ほどで、旅人がやり込められている。

位置的には石部・土山両宿の間にはさまれていて、「京立ち石部泊ま
り」の言葉が示すように、京を朝立ちした東下りの旅人の多くが最初の
宿とするのは「石部宿」である。
石部からは三里半(13.7㎞)の道程で、余程の健脚でもないとここま
では辿り着けないし、土山からも二里半七丁(10.6㎞)有り、鈴鹿超え
の旅人は土山泊まりが多かったようだ。

水口宿の三筋町は、「三筋の辻」で一本に集束されここで石橋を渡る。
江戸初期の頃は、ここに「京口御門」があり、宿場の出口、東海道の西
側の入口であった。
城下町として、宿場町として、三筋町を形成して栄えてきた町はこの
辺りが西端となっていて、門を出れば、初期の頃の東海道ならこの先は
真っ直ぐに西に延びていた。

石橋は、城の壕の一部とされる馬渡川に架かる橋である。
うっかりしていると見落としてしまいそうな小さな橋で、当時の幅のま
まなのか、ここだけ道路の道幅が絞られたように狭くなっている。

橋を渡ると直ぐに、近江鉄道線の線路である。
東海道は踏切でそれを越え西に進むが、左側に見えるのが同鉄道の水口
石橋駅である。(続)



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