津山線の前身、中国鉄道本線の開通から5年後、この寺の山門近くに設けら
れた仮停車場はその5年後に1㎞ほど離れた現在の場所に、現駅が簡易停車場
扱いで開業すると閉鎖された。
その簡易停車場が駅に昇格するのは明治41(1908)年9月の事である。
岡山駅を出た列車は駅前の喧噪を抜け、やがて山陽新幹線の高架や山陽本線
と別れを告げると賑やかな市街地の中にある最初の駅・法界院に停車する。
古の面影をとどめる木造瓦葺きの駅舎が有り、1面2線島式の広いホームを持
っている。それはかつてこの付近に駐屯した旧日本陸軍第17師団の兵員や物資
移送の為の引き込み線があった名残だ。
この師団が置かれたのは明治40年の事で、歩兵第三十三旅団司令部も置かれ
ていた。翌年三月に行われた開庁祝賀会は「師団に通じる各街路には余興の催
し物もあり付近の見学客は、毎列車満員で、市内は群衆の山をなした。」
(「ふるさとの想い出 写真集岡山 昭和53年 国書刊行社)
当時の地元新聞は、簡易駅の賑わいをこのように伝えている。
現在では自衛隊が駅の北方2㎞ほどの所に三軒家駐屯地を構えている。
その駅近くの旧陸軍の跡地には岡山大学津島キャンパスが開かれていて、構内
には多数の旧陸軍施設が残されているらしいが、残念ながら未だ目にする機会
に恵まれていない。
またそのほかにも岡山商科大学や岡山理科大学、その付属中学・高校、市立
中学校などが多く立地し、朝夕は通学利用の多い学生の町でもある。
その為津山線を走る数少ない快速の停車駅であると同時に朝の通学時間帯には、
岡山から僅か2.3㎞しかないこの駅止まりの列車も運行されている。(続)
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