簾 満月「バスの助手席」

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神宮寺山古墳(津山線・乗り潰しの旅)

2019-05-27 | Weblog


 法界院の駅を出て踏切を渡り、車の行き交う県道を越え、500m程行くと市街
地の住宅街のど真ん中に、国の史跡に指定された「神宮寺山古墳」がある。
標高20mに満たないこんもりとした丘に築かれた前方後円墳で、全長約150m、
後円部の高さ13m、径は70mの三段築成、前方部の長は75mの二段築成である。



 現在では前方部の大部分は開発され墓地に転用され、真新しい現代人の墓が
林立している。後円部の頂付近には天計(あまはかり)神社が建立されていて、
全容を伺い知ることは出来ないが、丁度その辺りが中心埋葬地に当り竪穴式石
室が有ったといいその蓋石と思われる石が露出していて観察することが出来る。



 葺石が施され、埴輪が建てられた墓からは、刀や剣などの武器の他、鍬や鎌、
斧、鋸の鉄製工具など多くの副葬品が出土しているらしい。
全国に数多ある古墳の墳丘は盛り土によって築かれているが、その盛り土の様子
を伝える資料はほぼ無いに等しいそうだ。僅かに「人々を連ね立てで、川の礫を
運び 伝え上げて墓山を造った」という記述が播磨風土記に有るそうで、これは
墳墓の外側を覆う葺石の様子を伝えるものだと言われている。



 一帯はすぐ横を県下三大河川の一つ旭川が流れ、その川の西岸にあたる高低差
のない平坦な沖積平野である。この墳墓の葺石も旭川から人を連ねて運び上げた
ものなのか、興味は尽きない。墳丘からはその旭川など岡山市街地が一望できる。



 巨大な古墳が数多く知られる吉備地方に有って、この墓の規模は十指に入る。
そのことからも4世紀後半から、5世紀前半にかけて、大きな力を持って実り
多い平野を統治した大首長の墓ではと考えられている。(続)



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