廃線跡の道は、ここからは下りに転じ、ひたすら終着の下津井漁港前を目指す。
暫く下ると県道393号に合流し、その先でこれを横断しさらに下れば、「東下津井
駅跡」で、ここまで500mほどである。
右手を見上げれば大きなリゾートホテルの建物や、ブラジリアンパーク・鷲
羽山ハイランドの遊具が林立しているのが見える。
垂直落下するターボドロップや、世界一怖いと言われるスカイサイクルに乗る
人々のの悲鳴が今にも聞こえてきそうな近さである。
旧下津井電鉄は、沿線の最高所である林~福田~稗田あたりの駅間が比較的
長いものの、それ以外の駅間は随分と狭く、天城~藤戸に至っては400mしか離
れてはいない。ここの500mはそれに次ぐもので備前赤崎~阿津間も同じである。
この事は電鉄が地域の利便性を考慮して、市内電車並に市民の足としての役割を
十分に果たしていたのであろうと思われる。
そんな電鉄が、この先では延々と2Kmも擁しながら徐々に下り終着駅を目指して
いる。「東下津井駅跡」を過ぎた辺りですぐに南下し、そこから海岸線を進めば近
そうなものをあえて下津井城址の有る城山(89m)を回り込むように下っている。
これは当時導入したドイツ製の蒸気機関車でも、勾配がきつくて上りに無理
が有ったからだと思える。当時の燃料は低カロリーの泥炭で満載して出発して
も途中燃料切れになることが有ったらしい。ここ鷲羽山の坂でも乗客が降りて、
列車の後押しをしたと言うエピソードも残されていると言う。(続)
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