温泉街の中心にある松原公園の横には、漂泊の詩人と言われた「若山牧水」の
銅像が建っている。着物に帽子を被った姿は、当時の旅装であろうか。
牧水は、この土肥の地をこよなく愛したのだそうだ。
定宿を持ち、再三この地を訪れていて、その宿泊数は延べ100泊近くにも及んだと
言われ、多くの旅情溢れる作品を残している。
この碑には「花のころに 来なれて よしと思へりし 土肥に来て見つ その梅の
実を」と刻まれていて、大正14年の作という。
ここから500mほど温泉街を歩いたところに「土肥金山」が有る。
1370年代から金の採掘がおこなわれた歴史を持ち、かつては日本有数の金の産
地として知られ、江戸・慶長年間に第一期の黄金時代を、その後明治から昭和
にかけては第二期黄金時代を迎え、佐渡金山に次ぐ生産量誇ったという。
その後昭和30年代には採掘すべき鉱石が枯渇、終に昭和40年に閉山し、昭和
47年に坑道を公開し、観光施設に生まれ変わった歴史を持つ。
公開されている坑道の長さは凡そ350m、途中には電気仕掛けの等身大人形が、
江戸時代の採掘の様子を再現していて、30分ほどで見て回ることが出来る。
坑道を抜けると、山で作業中の坑夫と親方の怪しげな会話が聞こえてくる・・・と
思ったら、どうやらこの地の方言による会話らしい。
併設された黄金館には、ジオラマで再現した江戸時代の様子や、金鉱石、金
製品の展示があるが、中でも見ものは重さ250Kgの金塊、時価10億円を超える
と言うからため息が出る。(続)
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銅像が建っている。着物に帽子を被った姿は、当時の旅装であろうか。
牧水は、この土肥の地をこよなく愛したのだそうだ。
定宿を持ち、再三この地を訪れていて、その宿泊数は延べ100泊近くにも及んだと
言われ、多くの旅情溢れる作品を残している。
この碑には「花のころに 来なれて よしと思へりし 土肥に来て見つ その梅の
実を」と刻まれていて、大正14年の作という。
ここから500mほど温泉街を歩いたところに「土肥金山」が有る。
1370年代から金の採掘がおこなわれた歴史を持ち、かつては日本有数の金の産
地として知られ、江戸・慶長年間に第一期の黄金時代を、その後明治から昭和
にかけては第二期黄金時代を迎え、佐渡金山に次ぐ生産量誇ったという。
その後昭和30年代には採掘すべき鉱石が枯渇、終に昭和40年に閉山し、昭和
47年に坑道を公開し、観光施設に生まれ変わった歴史を持つ。
公開されている坑道の長さは凡そ350m、途中には電気仕掛けの等身大人形が、
江戸時代の採掘の様子を再現していて、30分ほどで見て回ることが出来る。
坑道を抜けると、山で作業中の坑夫と親方の怪しげな会話が聞こえてくる・・・と
思ったら、どうやらこの地の方言による会話らしい。
併設された黄金館には、ジオラマで再現した江戸時代の様子や、金鉱石、金
製品の展示があるが、中でも見ものは重さ250Kgの金塊、時価10億円を超える
と言うからため息が出る。(続)
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