簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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倉敷アイビースクエア(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-12 | Weblog
 倉敷河畔から、土産物等の店舗が犇めく路地のような通りを抜けると、
「倉敷アイビースクエア」がある。
赤煉瓦と蔦(アイビー)が美しい、高い塀に囲まれた複合観光施設だ。



 元々ここは、関ヶ原の合戦以降、徳川幕府の直轄地(天領)となり、
倉敷陣屋(倉敷代官所)が置かれた場所である。
明治維新の動乱で、長州藩騎兵隊を脱退した一味に襲われ代官所は灰燼
に帰し、辺りは焼け野原と成り、放置されたままの荒れ地になっていた。



 大原家等の出資を受け、「有限責任倉敷紡績所」が資本金10万円で設
立された。それを受けてここに倉敷紡績の本社工場が建てられたのは、
明治22(1889)年の事である。

 以来同社の主力工場としての地位は、大正4(1915)年倉敷駅北に出
来た万寿(ます)工場(後に倉敷チボリ公園、現在は倉敷みらい公園等)
に、倉敷工場の名称を譲る昭和29(1954)年まで続く事になる。



 その後工場跡地は、新たな「アイビースクエア」として改装工事が進み、
昭和44(1969)年には倉紡記念館が、その3年後には児島虎次郎記念館が
整備され、昭和49(1974)年5月23日には竣工式が執り行われている。



 シンボルである蔦(アイビー)は、工場内の温度・湿度を調整する目
的で、井戸水を循環させる冷房との相乗効果を狙って植えられたものだ。
夏は緑の葉を茂らせ、冬には落葉する事で、夏は暑さを凌ぎ冬は陽を受
け入れる、自然に内部の温度調整を果たしていた。



 赤煉瓦と蔦の絡まる回廊を取り巻いて、ホテル、レストラン、多目的
ホール、手作り体験工房、土産や飲食のショップ、ブライダルチャペル
等が配置されている。
古き工場の面影を随所に残しながら、新しさとの調和が良くはかられた
魅力的な施設となっている。(続)





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