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Ikku's 「zoku hizakurige 12」 part1

2011-09-10 | bookshelf
***『続膝栗毛十二編』上***
『続膝栗毛十二編上中下』十返舎一九(58歳)作画
1822年文政5年 河内屋太助、鶴屋金助、村田屋次郎兵衛、伊藤與兵衛板


一九叙
 要らぬ物をさして長物と呼ぶ。下手の長談義とも。長口上は退屈だ。この膝栗毛もそもそも初編を出版して六年過ぎて漸く東都へ帰着満尾にいたる。
 長旅の路費はもとより趣向も尽きたので長いは無用。気のきかぬ化物と共に栗毛の足を洗う。戯作を何冊も編数を重ね生きてゆけた例はない。予の生前の悦び、道中の程(さいはい)なれば、___筆をとり収める。 十返舎一九誌
 
板元 英盛堂述の附言 アリ


 中山道は東海北陸の中間で、上方筋および北国道の往還なので人煙は常に絶えません。駅舎も繁昌しています。中でも板橋宿から高崎までは諸方への分かれ道が多い為、往来しげく馬借は暇がありません。旅店も清潔で、飯盛やおじゃれも杓子当たりがいい。安売りの名物が多く、蕨(わらび宿)の奈良茶(なら茶漬)が人気があり、酒は上尾・博労・新田の酒屋が名高く、熊谷梅本の蕎麦切、木犀(もくさい)の茶漬、本庄の補元丹(天寿補元丹という漢方薬)など芳ばしく四方に匂っています。高崎の煙草の煙が豊なのは御代のありがたさ故。
 弥次郎兵衛・喜多八は、心のまま足に任せて早東都(江戸)への帰り道、新町駅を出て本庄宿へさしかかる所。長持ち人足が謡を唄いながら通り過ぎた後から、先払いの人足(大名行列が通る知らせをする人)が「したァにしたァに。かぶりものを取りましょうぞ」と来たので、2人は面倒臭いので棒鼻の茶屋へ入ってやり過ごすことにしました。
 腰掛けた向うに、田舎の金持ちらしき人が3名、器物などを眺めて講釈や薀蓄を語り合っていました。それを聞いた弥次さんが「あの唐人(道理のわからない人をののしって言う言葉)の寝言を聞いたか、あの手合いの言う事ァさっぱりわからねぇ」と言えば北八は「そうさ。世界にゃあいろいろの化物があるものだ」と同調します。


 この人達は草津温泉で弥次たちの向かいの部屋で泊っていた人達だったので、弥次たちに気付き声をかけ、牡丹酒を勧めます。酒は水筒に入っていて、とても上酒でした。弥次たちが江戸者だと聞くと、「東都では今、文晁子(ぶんちょうし)という画家が流行っていますね。ご存知ですか」と聞いてきました。北八が「本調子の二上がりの方が流行っている」と答えれば、「三弦の事ではない、画のことだ。」と言い、別の者が「画といえば、今でも江戸は古筆(こひつ)が流行ってますね」と言うと、弥次が「湿気の多い所だからね、わっちも去年はこひつ(こしつ:持病のこと。江戸っこなのでヒとシが逆)で難儀したが菖湯で治りました」とたわいのない挨拶をするので、「ハハハハ。古筆も流行りと云えます。狂歌は今は俳諧歌の風製に習って、以前とは違うと聞きましたが、六樹園(石川雅望。1754-1830年。国学者・戯作者。狂名:宿屋飯盛。蔦重の親友です。一九もお世話になった人です。)はご存知ですか」と聞かれて、北八が「いいえ、知りませんが、三ぞうえん(不明)なら本町にあります」と答えて話がかみ合いません。「コリャお前方は江戸衆ではないな」と言われたので北八が「なぜなぜ」と聞くと、江戸っ子なら今言った名前を知らない筈がないというので、「江戸は田舎と違い広いから、町内の者でも知らない人はいくらでもいる」と北八が言うと、別の金持ちが牡丹酒の話題に切り替えます。確かにその酒は江戸にはないくらい美酒でした。持ち主はその酒を入れている竹製の吸筒を自慢します。
 すると近くにいた旅僧がそれを見て、「それは貫筒というのですが知っていますか」と話しかけてきました。そしてその筒をどうやって入手したか質問します。金持ちの田舎者は、京都の四条通の古道具屋で見つけて吸筒に良いと思って、帰国後腰に差して持ち歩けるようにしたのだと説明します。それを聞いた旅僧は「それは公家衆が雪隠へ行けない時に用を足す小便たごだ」と教えます。
 弥次さんたちは急に胸がムカムカして、みんなゲイゲイ吐き出しました。旅僧は気の毒な事を言ったが許してくださいと言って逃げて行きました。弥次さんたちも茶屋を出ます。北八一首、
  吹筒のすいも甘いもくわぬ身の 呑みたる酒々何と小便
2人は笑いながら歩いていると木犀という建場に至ります。ここは小川屋という茶漬の名物があります。それから岡部村に入り、この駅は岡部六弥太(岡部六弥太忠澄:1184年一の谷の戦いで平忠度を討った武将)の古跡と聞いたので、
  薄雪(あわゆき)ときえしむかしのもののふや 今は岡部と名のみ残れり(?)
 こうして深谷宿を過ぎて行くと、向うから酒を飲みながら歩いてくる2・3人連れが来たので、どうして酒を飲んでるのか聞けば、酒がなければ退屈だからだと言い、弥次さんたちにも勧めます。見れば先刻と同じような吸筒なので断りますが、その吸筒はどうしたのかと尋ねます。本庄のがらくた店で買ったと聞いて、北八は「それは公家の小便たごだ」と知ったかぶりします。しかし、それは出処がわかっているもので、特別に作り変えたものだったので旅人は北八の事を変な人だと思って、さっさと行ってしまいました。
 熊谷宿に着くと、蕎麦を食べようと梅本という有名な蕎麦屋に行きます。途中に布施田という評判の旅籠屋もあります。2人は梅本に入って「ぶっかけを熱くして二膳たのみやす」と注文します。さっそくきた蕎麦は、ボリュームもあり下地の塩梅もよく、美味しい蕎麦で、弥次さんは「コリャ一首やらずはなるめぇ」と
  熊谷の宿に名高き故にこそ よくもうちたりあつもりのそば
   (一の谷の戦いで熊谷直実が討った平敦盛にかけた)
 そこへ伊勢参りの男と子供の抜け参りがやって来て、男が蕎麦を一膳だけ注文して自分だけ食べて子供が欲しがっても分けてやらないのを見た弥次さんが、不憫に思って子供におごってやるからいくらでも食えと言ってやります。子供はにっこりして、三膳食べると「ありがとうございました」と元気よく去って行きました。
 「子供というのは腹が膨れると元気になる。現金なものだ」と弥次さんが笑っていると、近くで見ていた客が、あれはあの手合いの狂言だと教えます。北八は弥次に業さらしだと言ってお店を出ます。既に夕刻で次の駅まで四里八町あるから熊谷宿で一泊することにして、旅籠屋へ入り、北八は早速下女を口説いて夜部屋へ来るように約束しました。通された奥の座敷は、平常は住居として使われている部屋でした。見れば、本庄の茶屋にいた旅僧もいました。「かんづつ先生たちか」と旅僧は2人に挨拶します。
 夜、宿の亭主が旅僧に、百万遍をやるのでお経を唱えて欲しいと頼みに来ました。僧はお布施目的に承諾します。終って戻ってきますが、お酒を持ってきますがお布施を持ってこないので、催促するためにお説教をしてあげましょうと宿の亭主に持ちかけ、お説教の中でお布施を忘れないようにとさりげなく言います。亭主は忘れた訳ではないといって、酒を用意したので来てくれ言い、旅僧は部屋から出て行きました。下女が3人分の布団を敷いて行って、弥次が寝かけた頃、僧が生酔いで戻ってきました。旅僧は、弥次北が小便たごで酒を呑んだ事を馬鹿にしながら、隣の座敷にいた新造(新米女郎)に小金を渡したから後で寝てやろう、と隣の間へ入ります。
 悪口を聞いた弥次は、仕返しに旅僧の夜具を外の縁側へ放り出し、行燈の火を消して寝た振りをしていました。すると「だれだ、よさっしゃい。おら、やだ。しつこい人だ。あっちへいっしゃい」と新造の大声がして、僧はこそこそ座敷に戻ってきました。「床がない。床はどこだ。テンツルテンツル」と僧がひとり洒落を言うのが可笑しくて、弥次は「フッフックックック」と噴出してしまい、僧に気付かれてしまいました。
 僧は、寝床がなくて寒いから弥次の布団の中へ入れてくれと入ってきたので、弥次はびっくりして起き上がりました。すると今度は北八の布団の中へ入りますが、北八はよく寝入っていたので何も知らず、目が醒めて、約束した下女だと思って僧の手を取って引き寄せてねぶりついたら、思いも寄らぬヒゲむしゃだったので肝を潰し跳ね起きて投げ飛ばしました。外にあった煙草盆に頭を打ち付けた旅僧が「頭がわれた」と北八にしがみつくのを、北八は突き飛ばし殴ります。台所の方から亭主などが来て見ると、僧も北八も襦袢ひとつで取っ組み合いの大騒ぎ。

 弥次が起きてきて、悠々とこれを取り鎮めました。酔いの醒めた僧は面目なく謝って、大笑いとなりました。3人とも寝ますが、旅の疲れもあって、あっというまに朝になり、3人とも起きて、僧が昨夜の不始末を語りだして笑い、そこそこに支度を整えて、宿を出立しました。

『続膝栗毛十二編』上 終

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