草双紙・浮世絵に関する書籍を読んでいると過去の無知や間違いが判明します。『国芳展』に行く前に予習しようと読んだ本に載っていたのが、Ikku's joke 2 で国芳画の左甚五郎の大判三枚続の浮世絵。傍に猫がいるし派手な着物着てるから甚五郎も国芳みたいな人物だったのかな、と思っていたら、これ左甚五郎に見立てた国芳の自画像画だったのですね。
この絵が制作されたのは1845-52年で、幕府の取り締まりが厳しく、彼は禁令を逆手にとって諷刺絵を描いていました。これもその一つで、彫物の顔は役者(役者絵も禁止されていた)の似顔絵で、中にはキリスト教の宣教師(ザビエル頭)の仏像も見られます。絵のタイトルは『名誉右に無敵左り甚五郎(めいよみぎにむてきひだりじんごろう)』。
国芳は自画像を描く時、顔を描かない代わりに判るように猫と国芳の紋(芳桐)を近くに描き入れていました。猫といえば、最近家の近所の野良たちが騒がしいのですが、江戸時代には野良猫はいなかったようです。街並みを描いた風俗画の道路に犬は描かれていても猫が見当たらないのはそのためで、猫は高価で家の中でしかいなかったそうです。江戸で猫が飼われていたのは、鼠捕りの為でした。猫のいない家では鼠が出ると、鼠をよく捕る評判の猫を借りてきたそうです。
この絵が制作されたのは1845-52年で、幕府の取り締まりが厳しく、彼は禁令を逆手にとって諷刺絵を描いていました。これもその一つで、彫物の顔は役者(役者絵も禁止されていた)の似顔絵で、中にはキリスト教の宣教師(ザビエル頭)の仏像も見られます。絵のタイトルは『名誉右に無敵左り甚五郎(めいよみぎにむてきひだりじんごろう)』。
国芳は自画像を描く時、顔を描かない代わりに判るように猫と国芳の紋(芳桐)を近くに描き入れていました。猫といえば、最近家の近所の野良たちが騒がしいのですが、江戸時代には野良猫はいなかったようです。街並みを描いた風俗画の道路に犬は描かれていても猫が見当たらないのはそのためで、猫は高価で家の中でしかいなかったそうです。江戸で猫が飼われていたのは、鼠捕りの為でした。猫のいない家では鼠が出ると、鼠をよく捕る評判の猫を借りてきたそうです。