TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

following Kuniyoshi to Osaka-Minami 1

2011-05-15 | art
***国芳に従って大阪ミナミへ***
 江戸じゃあちょっと名の通った国芳ってェ絵師がやって来て、「上方でわっちの絵画会をやってるから連れてってぇやる」と言われました。まるでとび職のような格好してて怖かったから、逆らわないほうがいいと思って付いて行きました。
          
第1の部屋は武者絵ですか。凄い筋肉に彫り物を施した武者たちの勇ましいお姿。着物の柄から鎧や刀の鞘の装飾や意匠に至るまで細かく描かれています。特に水中を描いた『通俗水滸伝豪傑百八」シリーズ気に入りました。それから、予習で知って凄いなと思った絵も生で見れて感激。
                  
国芳もやう正札附現金男 野晒悟助:部分

 国芳印イケメン・シリーズの1作品ですが、着物の髑髏柄が猫で作られてるのと蓮で作られているのと、下駄が髑髏になっていてだまし絵になってるのが素晴しいです。
 描かれているのは、山東京伝の読本『本朝酔菩提』(1811年刊)の登場人物。悟助は葬儀屋で、野に晒されたしゃれこうべの地紋の着物をまとった侠客。京伝51歳の作品で、この5年後歿します。国芳先生が描いたのは1845年頃だということです。
 国芳先生は動物などを擬人化した戯画でも有名ですが、海に住む生物も表情に富んでいてなごませてくれます。


説話-龍宮城 田原藤太秀郷に三種の土産を贈 部分

よく見ると、蟹が両腕で刀を高々と持ち上げていて、先頭の鯛はこちらを向いて睨んでいるし、手前には片ヒレを挙げて何やら叫んでいる勇ましい魚(うなぎ?はたまた川魚の鯉?)が泳いでいます。
 役者絵、美人画、子ども絵、風景画、動物画、風俗画…どれも細かく色彩豊かで見ていて飽きませんが、目がチカチカしてきました。一気に見るのはしんどいです。
 完成作品だけでなく、何かの理由で彫られなかった版下絵や、修正した下絵などの展示もあって、これは貴重な資料。昔は墨で描いていたから失敗したら消しゴムで消せないのでどうしていたのだろう?という疑問が解消されました。上から紙を張って描いていたんです。実物で見ないとその凄さはわかりません。
 真面目な絵の中にもどこかクスっとさせてくれる遊び心をわすれない国芳先生の絵の本領は、私などは戯画にあるのではと思うのですが…
 下の画像は、「朝比奈義秀小人遊」(1842年頃)部分ですが、剛力無双の朝比奈という鎌倉前期の武将が小人島へ行ったという設定の絵の中で、沢山いる小人の一人が朝比奈のへその穴を覗いているのが俗っぽくって大できです。


 え、なんです?先生。「さっきから先生先生言ってるが、わっちゃあ未だ先生にゃなりやせん。先生ていうなぁね、そらアノ豊国みたいな人サ」ですって?そりゃまたしつれいしやした。じゃ私もお弟子さんみたいに国芳親分ってェ呼ばせていただきやす。絵画会の後は通天閣連れてっておくんなせェ。
国芳死絵 1861年芸斎芳富画:お供は前年24歳で亡くなった弟子