奈良県桜井市穴師にある『穴師坐兵主神社(あなせにいますひょうずじんじゃ)』を訪ねました。
昔、境内にあるモミジの枝ぶりの美しさが忘れられず、ついに紅葉を見ることに・・・・。
<2007年11月の紹介記事>
この地はもと穴師大兵主神社の鎮座地であったのです。
穴師坐兵主神社は弓月岳にあり、巻向坐若御魂神社は巻向山中にあった。
応仁の頃、上社が焼失したため三社を当地に合祀したものです。
▲境内は落葉が掃かれていました。
▲神社の入口です。
▲神社入口横にある「相撲神社」。中央の草が生えていないところが土俵。4本の木に囲まれたスペースで、ここが相撲発祥の地なのです。昭和37年に、横綱の大鵬関と柏戸関をはじめ幕内力士全員が来られ、土俵入りが行われたこともあったのです。
▲この参道を歩くと、心が静まります。
▲少し、枯れ枝が目立ちましたが・・・。それでも、綺麗です。
<穴師坐兵主神社の縁起>
纏向川に添い、弓月嶽の麓を通って、大和高原の上に出て伊賀、伊勢に行く道は、大和と東国を結ぶ重要な交通路であった。これが重要であるだけに、同時にその大和平野への出口は、また東国の勢力から大和を渡る要点でもあった。これが当社がこの地に早く設けられ、国土繁栄(農耕乞雨信仰)、平和安全(鎮武信仰)の神として重要な国家の祭祀を受けるものであった。いわば、南隣の三輪山に鎮る大物主神が、出雲系の三輪族の祖神として、国土開拓神の信仰を集めたのに対応し、当社は、生産と平和の神としての国家的信仰によって始った神社であるといえる。有名な野見宿彌の角力の説話が当社にあるのも、それが天皇の国土統治の象徴として行われた呪術であるとされるように、当地は、古代大和、ひいては日本の一中心であったのである。
(全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年より一部抜粋)
大和の神社などは私には読めません。古い歴史がわからないと適当には読めませんね、歴史そのものです
どこも紅葉の真っ最中、いやピークを過ぎつつあるのでしょうか?今が新緑とともにいちばんきれいな季節ですね
道がわからず、途中で人に聞きながら行ってきました。
きらびやかな長谷寺の後、こちらの神社にきたのですが、
なぜか、心が落ち着きました。
相撲神社では大鵬、柏戸の土俵入りが行われたのですか!
その当時は大騒ぎだったでしょうね。
穴師社の紅葉は綺麗でしたね。ここは雰囲気があります。相撲神社の歴史も凄いですね。
どの写真も構図がよく綺麗に撮られています。