伝飛鳥板蓋宮跡から何日間かの定点撮影です。
わずかな撮影日でしたので、感動的な光景に出会えず・・・空振りに終わりました。
この宮跡は、舒明天皇(飛鳥岡本宮)、皇極天皇(飛鳥板蓋宮)、斉明天皇(後飛鳥岡本宮)、天武天皇・持統天皇(飛鳥浄御原宮)の宮が建てられていたところ。それぞれの宮の遺構が出土した飛鳥でも重要箇所なのです。
蘇我入鹿が中大兄皇子・中臣鎌足らによって暗殺された「乙巳の変」の舞台。
この地からは入鹿が居を建てたとされる甘樫丘(あまかしのおか)や耳成山、香具山が臨めます。
遺構が復元され、敷き詰められた一つ一つの石に、朝陽が夕陽が照りつけます。
幾度と無く焼失した宮が、カメラレンズを通して陽炎のように浮かび上がるのを感じながら撮りました。
▲6/12 夕焼け空 近くの田圃に映える夕陽を入れたかったのだが・・・。遺構の石が少しだけ色付いた。
▲6/20 夕焼け空 もっと焼けて欲しいと願ったが・・・ここまで。
▲6/23 夕焼け空。なかなか思い通りには・・・焼けてくれません。でも、このあと、6/25に掲載の飛鳥寺の田圃への映込みになるのです。
やはり、我慢が必要なんですね。
▲6/24 早朝の東の空 少し色付いたのだが・・・。
▲6/24 早朝の西の空
▲6/25 夕焼け空。この黒い雲が焼けてくれれば・・・と願いつつも・・・ここまで。
なかなか思うような「焼け」に出会えません。
もっと通い続けねばなりませんね。
わずかな撮影日でしたので、感動的な光景に出会えず・・・空振りに終わりました。
この宮跡は、舒明天皇(飛鳥岡本宮)、皇極天皇(飛鳥板蓋宮)、斉明天皇(後飛鳥岡本宮)、天武天皇・持統天皇(飛鳥浄御原宮)の宮が建てられていたところ。それぞれの宮の遺構が出土した飛鳥でも重要箇所なのです。
蘇我入鹿が中大兄皇子・中臣鎌足らによって暗殺された「乙巳の変」の舞台。
この地からは入鹿が居を建てたとされる甘樫丘(あまかしのおか)や耳成山、香具山が臨めます。
遺構が復元され、敷き詰められた一つ一つの石に、朝陽が夕陽が照りつけます。
幾度と無く焼失した宮が、カメラレンズを通して陽炎のように浮かび上がるのを感じながら撮りました。
▲6/12 夕焼け空 近くの田圃に映える夕陽を入れたかったのだが・・・。遺構の石が少しだけ色付いた。
▲6/20 夕焼け空 もっと焼けて欲しいと願ったが・・・ここまで。
▲6/23 夕焼け空。なかなか思い通りには・・・焼けてくれません。でも、このあと、6/25に掲載の飛鳥寺の田圃への映込みになるのです。
やはり、我慢が必要なんですね。
▲6/24 早朝の東の空 少し色付いたのだが・・・。
▲6/24 早朝の西の空
▲6/25 夕焼け空。この黒い雲が焼けてくれれば・・・と願いつつも・・・ここまで。
なかなか思うような「焼け」に出会えません。
もっと通い続けねばなりませんね。
お天道様の気まぐれにお付き合いも大変ですね。
棚田だけではなく、遺構の石畳にも目を付けられるのがすごい。
カメラマンの皆さんが、棚田に夕陽が写り込むのを撮られているのをみて、棚田の他に映えるものがないか・・・と思ったとき、板蓋宮跡の敷石と周りの水田を思いつき、この時期しかないと通いました。
でも、なかなかタイミングが合わず・・・この場所で構えた日は、いい夕焼けに巡りあいませんでした。
朝陽はいいですね。清清しさが朝焼け雲に表れてきますね。
この板蓋宮跡からの朝陽の光景は、住宅が映り込んで・・・ちょっと厳しいので・・・ついつい西方面の夕陽になってしまいます。
もう少し、朝陽が北側に移れば・・・撮り頃になるのでは・・・と思いますが・・・。