スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

明日香・小山田遺跡

2015-01-18 13:19:48 | 大和・飛鳥・宇陀・吉野の里散歩
15日に報道されて一躍脚光を浴びた飛鳥・小山田遺跡の現地説明会に行ってきた。

この遺跡は、甘樫丘の南側裾にあり、県立明日香養護学校の改築工事の調査で判明したもので、遺構の大きさや付近の地形などから、古墳は石舞台古墳より大きいとされ、舒明天皇の初葬墓の可能性が高いという。日本書紀に記される「滑谷岡」の可能性があるとか。

発掘現場は、明日香養護学校のど真ん中にあり、発掘箇所は高い塀で囲い、周りの高台からも覗き見ることが出来ない。


桜井市忍阪区にある宮内庁が管理する舒明天皇押坂内陵(段ノ塚古墳)がある住人のスターアニスとしては、この「滑谷岡」を見ない訳にはいけない。押坂内陵にも使われている板石状の榛原石の実物を確かめなければならない。

舒明天皇は641年に崩御。翌年、飛鳥の「滑谷岡」に埋葬され、その2年後の643年に押坂内陵に改葬されている。
この年代と符合するように、現場で見つかった土器などから7世紀中ごろの築造とされることから、舒明天皇の初葬墓と言われている。

また、645年の乙巳の変(645年)で滅びた蘇我蝦夷の墓や当時の大王の墓とする見方もある。
いずれにしても貴重な遺跡の発見であり、これからの調査に期待される。



▲説明会は10時からとなっていたが、9時からの前倒しで始まった。発掘現場には、150人ずつのグループに分けて案内された。




▲舒明天皇押坂内陵(段ノ塚古墳)で使われている同じ榛原石が見られた。


▲7世紀半ばごろの巨大な方墳の一部とみられる石敷き溝が現れていた。また、板状の榛原石の加工石が積まれている。


▲一番乗りだったため、ゆっくり見学できた。


▲報道のTVカメラも見られました。




▲説明会資料より










今日の説明会でも上空にヘリコプターが旋回していた。
そういえば、12月25日頃にも、飛鳥と我が里の上空にも報道各社のヘリコプターが飛び回っていた。今思えば、これがこの大発見の一報だったのでしょうね。

それにしても、この方墳の頂上部とされるところには、養護学校の校舎が建っている。これらの建物を建てるときに、何故、発掘調査をしなかったのか・・・・・。調査をしておれば、良かったのに・・・と思うのですが。当時は、そんな気運はなかったのでしょうね。

説明会を終えての帰り道、小山田遺跡の近くに住まわれる方に聞くと、養護学校の敷地は、昔は雑木林のこんもりとしたところだったとか。飛鳥のここら辺り何処を掘っても、何かが出てくるところで・・慌てて、建てたのは・・・ちょっと・・と、言われていた。

今、建っている校舎の下は・・・どんな遺跡が残っているのだろうか。


コメント (6)
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