夜明け前の雲海を撮る下見のため、宇陀市大宇陀区栗野地区を訪ねた。
ネット検索をしていて、この地にある「大蔵寺」からの見事な雲海が載っていた記憶があったのだ。
これは是非下見しておかなければ・・・ということで、雨の中、訪ねた。
この辺り、古代には「阿騎野」と呼ばれ、皇族たちの狩猟地であったところです。
大蔵寺は松山地区(大宇陀地区)と吉野方面を結ぶ国道370号沿いの栗野地区にあり、国道から急な細い坂道を1kmほど登ったところにありました。
対向車が来ればどちらかが1kmバックしなければならぬ細い参道を登ります。
お寺としての駐車場はなく、とうとう庫裡のある境内まで乗り込んでしまった。(関係者以外、乗り入れ禁止であったが、雨のため・・・お許しを・・・反省!)
庫裡の縁側には、境内の草刈り作業をされていたのか、農道具が置かれており、無住ではなさそうです。
庫裡とは渡り廊下で繋がった茅葺き屋根の「辨事堂」があり、案内看板には明治時代の美術界を指導した「岡倉天心」が寄進したものであると記されていた。味わい深い庵の佇まいです。
庫裡から上に向かうと、急な石段を登りきった場所に鐘楼門が建ち、大きな釣り鐘がかかっています。境内には、本堂、大師堂などが立ち並びます。なかなか立派な佇まいです。
まず鐘楼については、案内看板によると
『鑄鐘 藤原吉政 享保九甲辰年十月十三日 重要美術品候補 戦時中供出免除の逸品』。享保9年とは1724年、つまり286年前のこと。
『造立 鐘楼門 享保十六辛亥年四月二十四日』
本堂は、重要文化財。鎌倉時代の建築。寄棟造、杮(こけら)葺き。
大師堂も、重要文化財。鎌倉時代の建築。宝形造、杮葺きの建物で、弘法大師を祀る大師堂としては日本最古とか・・・。
十三重の塔もあったらしく、その跡地が示されていた。
この大蔵寺を調べると、かなり古いお寺なのだ。大蔵寺の寺伝によると、用明天皇の勅願により聖徳太子が創建したと伝えられている。平安時代初期には37歳の空海(弘法大師)が入山し、真言宗最初の道場と定めたとされる。
弘法大師が高野山を開く前に道場にしたとされることから「元高野」とも呼ばれ、信仰されてきたという。
なかなか由緒有る寺が、ひっそりと村里に佇んでいる。
奈良にはこのような隠れた寺(私だけが知らないだけ・・・)がまだまだあるのです。
さて、肝心の雲海が見られる場所は??
お寺の境内から遠くの山並みは樹木に遮られ全く見えず、途中の参道からも見えず・・・。木々が生い茂り・・・かなり昔の情報だったようだ。
結局、撮影ポイントは判明せず、雨が降る中、境内をウロウロするだけでした。
後で、気付いたことだが、境内の裏山に登れば・・・ひょっとして・・と思われたが・・・傘をさしての山登りは無理。
まぁ、撮影ポンイト探しとは・・・こんなものなのでしょうね。
▲通りかかった大宇陀区の風景
▲帰途、立ち寄った本郷地区。雨に打たれて下向き加減のヒマワリがありました。その向こうに見えるのが『又兵衛桜』です。緑の葉っぱで覆っております。