私の住む奈良県桜井市には、古代からの貴重な歴史的文化遺産が無数に点在し、手付かずの自然環境が日常生活の佇まいの中で息づいています。
周りの山々に目を向ければ、山城跡であったり、小高い丘には著名な古墳。杉やケヤキの老木が聳える森には、神社・仏閣がある。多くの信者を受け入れ、また観光の名所にもなり、新たな遺跡発掘に事欠かないところです。
磐余(いわれ)、磯城(しき)、纒向(まきむく)、泊瀬(はつせ)、三輪(みわ)など、古代統一国家の中心舞台であり、文化の発祥地でもあったのです。
三輪神社(大神神社)、長谷寺、談山神社、安倍文殊院、巻向遺跡、そして最近話題の茶臼山古墳と、著名なところは既に紹介されてはいますが、一歩、村の中に入った鎮守の森や山裾、また空き地には歴史的遺産を伝えるところがあり、その標として石碑が建てられています。
今は、訪ねる人もまばらな往時の地を訪ねてみることにしました。
第一回目は、万葉集発燿讃仰碑(はつようさんごうひ)と雄略天皇の歌碑、そして泊瀬朝倉宮跡です。
まずは、桜井市出身の文芸評論家・保田與重郎(明治43年~昭和56年)の揮毫による『万葉集発燿讃仰碑』を訪ねました。
桜井市内から初瀬に向かう黒崎地区の空き地に車を停め、畑仕事をされていた方に訪ねると、碑の存在に加え、「泊瀬朝倉宮跡」の場所まで教えて下さった。
その方は、おそらく神社の氏子であり、泊瀬朝倉宮跡を保存されている一人とお見受けした。宮跡を是非訪ねて欲しい・・としきりと言われる。思い入れがあるのだろう。
万葉集発燿讃仰碑(はつようさんぎょうひ)は、国道165号線に接する「白山比咩神社」境内にあった。いつもこの神社前を通るのだが、境内は思っていたより広い。境内の柵近くに建てられ、車道側からは石碑の存在は分かりにくい。
また傍には雄略天皇が詠まれたとされる歌碑もあった。どちらも保田與重郎さんの筆によるもので、味わい深い。
鎮守の木立の中で、初瀬街道を行き交う車と人の往来をじっと見ているようだ。
▲万葉集開巻第一首となるのが、第21代雄略天皇(大泊瀬稚武<オオハツセワカタケル>天皇)の歌。明るく、やさしい恋歌から万葉集は始まっているのです。この歌が歌われた場所にちなんで建てられた碑なのです。
▲雄略天皇の歌。萬葉集巻1-1の万葉歌碑。
『こもよ みこ持ち ふぐしもよ みふぐし持ち この岳に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね。
そらみつ 大和の国は おしなべて あれこれをれ しきなべて あれこそませ あをこそ、背とは告らめ 家をも名をも 』
要約・・・籠も良い籠を持ち、へら(堀串)もよいへらを持って、この春の岳で菜をお摘みになっている娘さん。あなたの家はどこか聞きたい。さあ言いなさいよ。この天が下の大和の国は、私が押し並べており、私が統べ治めているのだよ。さぁ、あなたも私に教えて下さい。あなたの家も名も。
という内容の歌で、春先、宮廷付近の丘で若菜を摘んでいた娘に結婚を申し込まれたのです。
次に向かったのは、『泊瀬朝倉宮跡』。地元では「天の森」と言われているところです。
先ほどの「白山比咩神社」から国道165号線を東に50mほどのところを左折、北の山に向かって急な坂道を登ります。行き詰まりに1軒の民家があり、空き地に車を停めて、笹を刈り取った道を進みます。最近、刈り取った跡が残ります。先ほどの方が刈られたのでしょう。
頂上らしき平坦な一角に、小石を積んだ場所に碑が建っています。碑の文字は消えかけていて読み辛い。
▲「天の森」に向かう途中には、このような案内があります。
▲この小石を積んだ一帯が、『泊瀬朝倉宮跡』らしいが・・・。見晴らしは良いが・・・平坦なところが少なく・・・??
▲もう少し、立派な碑であればいいのだが・・・。墨文字は消えかけています。
昭和43年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土の金象嵌の鉄剣に刻まれていた漢字から「シキノミヤ」とか「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」・・・つまり雄略天皇と判読出来たという。
また、明治6年、熊本県菊水町・江田船山古墳から出土の銀象嵌の鉄剣からも「天の下しろしめしシワカタケル大王」とよんでいた、とされている。
このことにより、雄略天皇は当時、関東から九州まで統治されていたといわれています。
この朝倉宮跡については、桜井市上岩坂の磐坂谷説もあるそうですが・・・コチラは、山深い狭隘な地で、かなりの高所に位置するため、宮を設けるには無理があると言われ、「黒崎の天の森」が有力となっています。
実際にこの宮跡に立つと初瀬川が見下ろせる眺望のよい場所で、この地が『泊瀬朝倉宮跡』に相応しいと思われますが、それでも山の上。むしろ「白山比咩神社」辺りの平地の方が適地だと思われますが・・・どうなんでしょう。
▲宮跡の少し手前から麓を見下ろすと、黒崎の町並みが・・・。一番低地には初瀬川が左から右に流れている。
▲165号線をはさんだ反対側から見ると、右端の山の中腹に白い家がある真上に『泊瀬朝倉宮跡』があります。
左端にあるのは朝倉小学校。
この朝倉小学校の近く、国道165号線の隣接地を今、発掘調査されている。昨日も報道のカメラマンの姿が見られた。
この辺りは桜井市脇本。弥生時代から古墳時代に至る脇本西遺跡があり、縄文後期から古墳時代に至る脇本東遺跡が存在するところです。
また、近く、大きな発掘報告があるのでしょう。楽しみです。