「あの時」は、もはや民族共有の痛恨の経験として、末永く記憶されるに違いない。これに勝る時は昭和20年8月15日くらいかもしれない。そんな予感がする。3月11日午後2時46分。…(4月21日付産経新聞・遠い響き近い声・千野境子著)
東日本大震災で被災した「石巻日日新聞」(宮城県石巻市)が震災直後、フェルトペンの手書きで発行(電気の復旧まで六日間)を続け避難所などに張り出した壁新聞を、米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」が譲り受け展示に加えることになった。との報道があった。
方や、ウルマ新報(現・琉球新報)は、昭和20年8月15日に手書き原稿をわら半紙にガリ版印刷して戦後初の新聞として発刊された。
8.15ウルマ新報
原子爆弾太平洋戦に現る
八月六日、B廿九一機が、僅か数ポンドの原子爆弾を廣島に投下した。此の爆弾は、これまでの戦争の中で、最も爆発力の強いもので、今次の投下によって、その偉大さが確認された。此の原子爆弾は、米英両国に依って造られたもので、今回初めて使用されたのである。此の爆弾の僅か数ポンドの破壊力は、二万噸の高爆発弾に相当し、二千機のB廿九が搭載し得る旧爆弾に匹敵する。……
手書き新聞は図らずも平成23年3月11日の地震津波災害と昭和20年8月15日原子爆弾投下に対する記事と、天災と人災に対する報道であった。
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