花が咲けば蝶が来る、今も昔も (小池 光)
千年を飛ぶ蝶なれど万葉に歌はれざりしことの不思議 (石垣 政隆)
歌のように万葉集には蝶の歌は1首もない。鳥獣や昆虫であざやかな音声を発するものは多く歌われている。蝶やトンボのような無音に始終する生き物は、いくら美麗であっても歌心を誘う対象にはならなかったようである。
万葉集4516首のおよそ三分の一にあたる1500首ほどの歌に、150種類を越える植物が詠み込まれているそうだ。
最も多く詠まれたのは「萩」で140首あまり、次いで「梅」が約120首、さらに「松」「橘」「葦」「桜」と続くそうだ。
詠み込まれた歌を四季によって分類すると次のようになる。
春…梅、桜、柳、あしび、山吹、つばな(茅)、すみれ、つつじ等
夏…橘、卯の花、撫子、藤、あやめ(菖蒲)、百合、おうち(せんだん)、かきつ ばた、へねず(にわうめか)等
秋…萩、尾花、撫子、おみなえし、朝顔、月草(つゆくさ)、ふじばかま等
冬…梅
多くの花が詠い込まれているが、花を飛び回る「蝶」は何ゆえに歌の題材となり得なかったのだろうか。何故に自然を愛した万葉人の関心の対象になり得なかったのだろうか。不思議なことである。
春の七草、秋の七草などに見るように植物への関心は非常に高い。一つは食用になることそして植物は女性に表現できる風情を見ることが出来る。などから植物が多く詠み込まれているのではないだろうか。
いずれにしても万葉歌は、気候、地形、動植物そして自然な人間の心の内を思いを込めて表現している。私は多くの万葉歌に親しみたいと思っている。それにより、相聞歌、晩歌にしろ雑歌にしろ中心点は「心」だと私は思っている。その色々な心を掴んでゆきたいものである。
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