妹を偲び町田市立博物館へ出かけた。住宅街の長い坂道を上りその頂上にあった。妹はこの坂道を何度も通い民族講座を受講していたのだなと思いながら、窓口で尋ねた。妹は「民族講座」を受け、講座終了後個人研究として町田市内の動植物に関する伝承について調査をした。その調査に係る冊子など手掛かりになる資料がないかと思い訪ねたのだが、昭和60年代の事でもあり残念だが記録等はなかった。手元にあるのは「町田の自然 動植物の方言と伝承」(昭和61年12月9日~昭和62年1月25日)冊子写しの一部である。そこに妹の文章が掲載されている。
「お年寄りを訪ねて」
お年寄りを訪ねて動植物の方言調査を始めて足かけ6年、主婦業の傍ら27ヶ村ある内20ヶ村をまわる頃には、町田の地域が地理オンチ乍ら頭に入る様になり、古き時代の伝統や習慣が今も生き続けていることに町田のじゅうみんとして一層興味が深まっていくのを覚えました。調査を始めて当初は、豊かだった緑も今では造成造成で見る影もなくなり、一つ一つ消えゆく自然が勿体なくて胸が痛む思いです。幼い頃、何気なくみて通り過ぎていた野の草花達が、今こうしてこんなにも郷愁をかきたてるものかとさりげない草花への愛着が湧いてきて楽しみを教えてくれました。しょくぶつの名もシュンランと口に出ずジジババと云い、ワレモコウをボウズ等と町田の方言での方がいい易くなっていることに気がつき苦笑してしまいます。方言のことをお聞き気しな乍ら、時々脱線しては沢山の話に花が咲き、そんな時幼い頃を彷彿とさせる様な、生き生きとした表情が、可愛らしい少女の顔になり、腕白坊主そのものの童心に返った顔付であったり、すっかり本題を忘れ元へ戻すのが一苦労なんて云うこともしばしばありました。年中行事の「どんどん焼き」、「迎え火」をみて歩き、又ある時はコンニャク作りで昔の味を知る事が出来ました。若い頃屋根葺きの職人であった方から茅葺屋根の葺き方を実演よろしく手際の良さは、正しく芸術そのものなのです。それを語る時のその人の目の輝きが印象的でした。これからも時間をみつけて調査を続けてゆきたいと思います。
妹の孫娘は二十歳となるが、高校生の頃からポルトガル、オランダ、ドイツなど欧州を中心にバレエで活躍している。ポスターは孫娘で妹が生存していればと思うと残念である。妹が言うジジババは私も採取に出かけ今は一鉢に残るだけとなった
「お年寄りを訪ねて」
お年寄りを訪ねて動植物の方言調査を始めて足かけ6年、主婦業の傍ら27ヶ村ある内20ヶ村をまわる頃には、町田の地域が地理オンチ乍ら頭に入る様になり、古き時代の伝統や習慣が今も生き続けていることに町田のじゅうみんとして一層興味が深まっていくのを覚えました。調査を始めて当初は、豊かだった緑も今では造成造成で見る影もなくなり、一つ一つ消えゆく自然が勿体なくて胸が痛む思いです。幼い頃、何気なくみて通り過ぎていた野の草花達が、今こうしてこんなにも郷愁をかきたてるものかとさりげない草花への愛着が湧いてきて楽しみを教えてくれました。しょくぶつの名もシュンランと口に出ずジジババと云い、ワレモコウをボウズ等と町田の方言での方がいい易くなっていることに気がつき苦笑してしまいます。方言のことをお聞き気しな乍ら、時々脱線しては沢山の話に花が咲き、そんな時幼い頃を彷彿とさせる様な、生き生きとした表情が、可愛らしい少女の顔になり、腕白坊主そのものの童心に返った顔付であったり、すっかり本題を忘れ元へ戻すのが一苦労なんて云うこともしばしばありました。年中行事の「どんどん焼き」、「迎え火」をみて歩き、又ある時はコンニャク作りで昔の味を知る事が出来ました。若い頃屋根葺きの職人であった方から茅葺屋根の葺き方を実演よろしく手際の良さは、正しく芸術そのものなのです。それを語る時のその人の目の輝きが印象的でした。これからも時間をみつけて調査を続けてゆきたいと思います。
妹の孫娘は二十歳となるが、高校生の頃からポルトガル、オランダ、ドイツなど欧州を中心にバレエで活躍している。ポスターは孫娘で妹が生存していればと思うと残念である。妹が言うジジババは私も採取に出かけ今は一鉢に残るだけとなった
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