いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

何ができるのだろう 88編

2005年10月30日 07時29分11秒 | 娘のエッセイ
 私がSさんの家まで送って行った時、「あなたは、僕にとって神様みたいな人
だったのに、もうダメだ」とSさんが言った。それは、彼女が、私と個人的に逢
いたいと言ったのを私が断ったことに対しての言葉だった。

 私は障害者地域作業所に勤めている。そこには二十代から七十代までの心
身に障害を持った人達が通所している。Sさんはその利用者のなかのひとりで、
六十歳になったばかりの男性だった。

 彼は私にとって数人利用者のうちのひとりであり、他の人達と違った扱いを
した記憶はないし、実際にないはずである。けれど、彼は言う。「あなたの
一言があったから、こんなに元気になれたのに」と。

でも、本当に私には彼に何を言ったのか記憶にない。何を言ったのか教えて欲
しいと言っても、彼は教えてはくれない。しかたがないので、恨めしそうな目
をしている彼を自宅のドアの前に残し、その日、私はそのまま戦場へと戻った
のだった。

 地域作業所には、多くの人達が関わっている。利用者の父母や、ボランティ
ア。しかもボランティアのなかでさえ、その立場はさまざまだったりする。

多くの人達が関われば関わるほど、各々の考え方や方針をひとつにするのは
難しい。結局、一番声の大きな人の考え方で運営方針が決まってしまったりす
るのが、ここ地域作業所なのだ。

 例えば、私個人的には、件のSさんと外でお茶をして話をすることぐらい、
したって構わないと思っている。また、家に遊びに来たいという利用者にした
って、来てくれても困らないし、食事をしましょうよ、と誘ってくれる利用者
の奥様とも、出掛けたっていいじゃないか、と思う。

 でも、だめなのだ。職員は、基本的には個人的に利用者と関わってはいけな
いことになっている。それは、皆、平等でなければいけない利用者に差別が生
じるからという理由からだ。いったい本当の平等ってなんだろう・・・・。

 勤務時間を終えても、利用者と職員が「故人」対「個人」で向き合えること
はないなんて。人によって違いが生じたっていいじゃない。ひとりひとりの障
害が違うように、各々望むことだって違うのだから。

ただひとつ言えることは、利用者の人達のことを好きにならなければ、お世話
なんてできないということ。いくら「仕事だから」と割り切ったとしても、
同性であれ異性であれ、嫌いな人間の排泄介助までするのは、しんどい。みん
なのことを同じように好きなのに変わりはないのだ。

 本当の福祉は、プライベートに踏み込んだ時から始まる、と私は思っている。
それぞれのニーズにあったことを提供できなければ、本当の福祉にはならない
と思う。でも、待てよ。私は本当は「福祉」などという堅苦しいことをしたい
訳ではないのかもしれない。きっと好きな人達が喜ぶ顔がみたいだけなのだ、
ただ単に。

 S さんに、私は言った。「sさんと外で会えるのは、きっと私が今の職場を
辞めたあとだね」と。

 毎日、奥さんにガミガミ言われ、愚痴ばかりこぼされるSさんにとって、親子
ほども年の離れた私と会話することが、何よりのストレス解消であり、リハビリ
であるとするなら、いつかその願いを叶えてあげられたらいいのにな、と私は
つくづく思う。


 ◎入院中の娘に利用者からの手紙

   ○ ○○さん土日くみんさいがあるので
     はやく△△の家にきてくださいね。
     まっています。
     あした△△にきてくださいね。

   ○ ○○さんはやく△△の家にきてくださいね。
     わたしもさみしいので△△の家でいっしよに
     わたしと○○さんでいっしょに
     やりましようね。
     はやく○○さんにあいたいです。

 上記は、いずれも二十歳以上の利用者からの娘に対する激励の手紙です。

娘(長女)の妹は、ヘルパーの資格を取得して様々な介護を経験していた。
ある人からは、続けて来て欲しいとその娘さんからも懇願されたり、何もし
なくてもいいから一緒にいて欲しいと言われたり人それぞれに介助の内容、
要望は違っていた。結婚後も暫くどうしてもと言う人の介助を続けていたが
妊娠のためその仕事を辞めることになり、介助継続が出来ないことの納得を
得るのに大変苦労していた。
 妹も、長女の勤務先での催しにはよく出かけていた。ヘルパーの仕事に
携わったのは、その影響からかもしれない。確認はしていないが。今、その
妹は6ヶ月の女の子と楽しく暮らし、その成長振りを毎日、メールでコメント
付き写真を送り続けてきている。 
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2 コメント

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今日も愛娘は元気です。 (妹の夫)
2005-10-30 09:27:10
本日も休日出勤のため、私は職場に出ています。「妹」は、仕事に行く私のために、今日も早くに起きて、お弁当を作って持たせてくれました。私の好物の甘い玉子焼き入りの、彩り美しいお弁当です(甘い玉子焼きは、私の強い要望により、毎回欠かさず入れてもらっています)。そして、いつも通り寝起きのすこぶる良い愛娘と一緒に、マンションの1Fまで降りてきて、自転車で駅に向かう私を笑顔で見送ってくれました。今日も妻と愛娘は元気です。妻と愛娘の笑顔が、私の活力です。今日も元気に頑張ります!そのうち、お手元にメールの「定期便」が届くはずです。お楽しみに!

福祉の世界は、その人間模様が独特な世界ですね。介護職や相談職の福祉職員を育成する学校で担任を持っていた関係で、色んな福祉の施設に伺いました。また、教え子からその内情を聞くこともあります(ちょうど一昨日にも、教え子から電話がかかってきて、そんな内容の話しを、ひとしきりしました。彼は千葉の老人保健施設で介護職をしています。もう7年目になります)。福祉の世界の中に「ビジネス」のニュアンスを色濃く含んだ活動体の参入が、特に介護保険導入後に相次ぎ、「福祉はサービス業だ」と言い切って、営利に走るものも少なくなくありません。それが一概に良くないこととは言い切れないのかもしれませんが、福祉には「ビジネス」という言葉は、やはり似合いません。利用者の方々に対しての「心」がないとできない仕事であるはずです。「サービス」とか「ビジネス」という言葉で片付けてしまったら、あまりに悲しく、寂しいですね。薄っぺらと言うか。お姉さんも、その妹(私の妻)も、「心」を通わせながら、福祉の世界に身をおいてくれていました。素敵ですね。私はそのことを誇りに思っています。

福祉に携わる者たちは今日も仕事をしています。理想と現実、自身の気持ちと職場の方針(営利だとか介護方針だとか)、心の中でそんなギャップを抱えながら、彼らは驚くほど安い賃金で働いています。利用者の方々にとって、そこで働く者にとって、その両方にとって心地の良い福祉の世界が訪れることを願って止みません。



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色々考えると (北斗)
2005-11-01 09:14:08
 親子の毎日の生活風景が浮かんできます。仕事の原動力にもなって素晴らしいことです。福祉の仕事と言うか福祉に携わることが如何に難しいことが分かります。介護を受ける人、介護に携わる人この関係は、心以外に無いんでしょうかね。介護関係がビジネスとして社会的欲求となっている現在、この関係が充実してくれば、貴殿が考える心の矛盾も少しずつ改善されていくと思います。

 身内の介護はやはり身内出だと思います。その手助けがビジネスとして成長して行く。あることからの私の経験ですが、介護する人が一人の場合には耐え切れないと思います。体力的にも精神的にも、ですから二人以上の介護者がいないと家庭の崩壊につながり、これを補助するのが民間のビジネスということになるのでしょうね。

 大変な仕事に、徐々にではあるけれどその重要性は認識されてきていると思います。○○ケァなどの施設に行くと様々な状態の人が介助されています。貴方も悩み経験しながら、教育して立派な社会人を送り出してください。

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