いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

桜・娘の遺稿

2024年04月16日 07時02分08秒 | 娘のエッセイ

 毎年この時期になると,人々は桜・サクラと騒ぎ出す。そして薄桃色の小さな花が開き始めると、決まって皆が言う。「桜って本当に綺麗ね。桜はやっぱりいいよね」と。その様子は、まるで日本桜の桜の嫌いな人はいないかのようで、何か不自然なものを感じる。だって現に私は、どうして桜だけが皆にそんなに好かれるのか分からない。確かに、あの薄桃色は控えめだし、群れて咲いている桜の花々を遠くから眺めれば、まるで絵画のようだと感心する。でも、それだけだ。私の大好きなトルコキキョウを手にした時のようにワクワクもしないし、ハッピーな気分になることもない。 ああ、こんなことをこっそり思っている私って、日本人的ではないのかな。 他の人は、桜のどこがそんなに好きなんだろう。小さくて華奢な薄い花火と、淡い色合い、そして散り際の良さ、といったところだろうか。ああ、まるで男が好む女の条件みたいだ。 そういえば、心理学者の女性がある本で書いていた。女の子は植物で、(つまり根っこがあり、水平移動ができない=行動の自由がない)、男は動物(足があり、自分の意志で水平移動ができる=行動の自由がある)という対称性が、文化のなかに深く根を下ろしていると、

 日本の男の多くは、はっきりした主張やライフスタイルを持つ自立した女性よりも、自分より弱く依存的な女性のほうが、扱い易くて好きなようだ。その上、女性の価値は若さにあると固く信じている。そんな男たちの願望を、見事に桜は叶えている。桜の花の可憐さを思い切り見せたかと思えば、その少し後には、はかなくも潔く散り、目の前から消える。桜は、まだ透き通るような薄桃色の花びら姿のまま、花としての命を終える。 つまり、桜も女をして置き換えたとすると、彼女は女として一番容貌が美しい時期には惜しげもなくその姿態ををさらし、男たちを楽しませる。そして、老いが襲ってくる前に怨みごとのひとつも言わずに、男の前から一陣の風と共にキエテクレルトいった具合だ。

 桜が咲き始めてから二週間近く経った。春というには強すぎる日差しのなか、ひらひらと桃色の小さな花びらが風に吹かれ舞い散るように散る様は物悲しくて、ふと、私の足も止まる。

娘は桜の枝を握りしめながら旅だった。

 


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