いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

巨大迷路 50編

2005年08月20日 08時27分22秒 | 娘のエッセイ
 以前、巨大迷路というのが流行ったことがあった。野外に木製の壁で作った迷
路で、その迷路の中に幾つかのポイント地点が設けてあり、そこでスタンプを押
す。その上で、ゴール地点までの時間を競うのである。

私も何度か巨大迷路なるものに挑戦をしたが、「迷う」ということに人一倍いら
立つタイプの気の短い人間は、不向きなレジャーであった。

 その迷路だが、面白いことに救助隊がいた。迷路で迷って? 助けて欲しい時
に「SOS]を出すと、彼らが迷路から脱出させてくれるのだ。「迷うための迷路じ
ゃないの?」と思いながらも、やっぱり救助隊は必要なのかもしれないと、迷い
ながら思った。

 迷路は、私達の人生に似ている。皆、入口に当たる「この世への誕生」は皆、
似たようなものだし「死」という出口もすべての人に訪れる。途中でどんな道を
辿ろうとも、袋小路で立ち止まろうとも、最後の行き先はひとつだ。

 過去の出来事を思い起こしてみる。就職の時、同時に受かっていたもうひとつ
の会社にいっていたとしたら……。

あるいは、あの時つきあっていた彼のプロポーズを受けていたら……。五年以上
連絡をとっていなかった元職場の同僚に、あの日電話をしていなかったら……。
思い出す一つ一つの事柄に関して、その未来がうっすらと見えるのものと、まった
く見えないものがある。

 未来が見える過去に選択しなかった道は、恐らく袋小路。どちらにしても、今ま
でのたくさんの出会いも、別れも、トラブルも、すべて偶然や運命ではなく、自分
で選択した結果の出来事なのだろうか。人生という名の巨大迷路。

 そこには救助隊はいない。でも、一緒に歩いてくれた人は、いつも必ずいた。
これからもその手は放すまい。

 なぜなら、私は極度の方向音痴だから……である。

 
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2 コメント

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S・F通信 (S・F通信)
2005-08-22 13:52:54
初〆(^∇゜*)カキコ♪

突然ですがおじゃまします☆

お友達募集中なのです…。

http://friender.muvc.net/

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講評 (荒木)
2005-08-20 17:38:34
 これは着想の非凡さといっていい作品。その非凡さが、作品を支え、ユニークなものにし、読ませるものにしました。

 人生と、広っぱにできた巨大迷路を重ね合わせた。出口といい入口といい、また道中の迷いといい、まさしく絶妙の比喩でした。申し分なし。



 ただ、下から六行目以下の「未来が見える過去に選択しなかった……おそらく袋小路」のところ、少々わからない。

 未来が何となく見当のつく道

 まるで見当のつかぬ道 これは確かにある。

選ばなかったのは、見当がついたから。つまり、その道を選んでもロクなことはない、と「見えた」からか。そこまではわかる。

 でも、なぜ、その道は確実に死につながる道なのか。そして、そうでない方は「袋小路」なのか。逆も、ありうるのではないか。

 さらに読者は、その前にでてくる三っのケースを反射的に連想します。就職のとき、別の方にすすんでいたら、それが死につながる?というふうに理解してしまう。つまり、就職とかプロポーズという日常的なことと死という超大事を”直結する”違和感が問題なのです(別の言い方をかんがえると よかった)

 「死」という究極の話を持ち出したのがまずいのではないか。



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