以前、巨大迷路というのが流行ったことがあった。野外に木製の壁で作った迷
路で、その迷路の中に幾つかのポイント地点が設けてあり、そこでスタンプを押
す。その上で、ゴール地点までの時間を競うのである。
私も何度か巨大迷路なるものに挑戦をしたが、「迷う」ということに人一倍いら
立つタイプの気の短い人間は、不向きなレジャーであった。
その迷路だが、面白いことに救助隊がいた。迷路で迷って? 助けて欲しい時
に「SOS]を出すと、彼らが迷路から脱出させてくれるのだ。「迷うための迷路じ
ゃないの?」と思いながらも、やっぱり救助隊は必要なのかもしれないと、迷い
ながら思った。
迷路は、私達の人生に似ている。皆、入口に当たる「この世への誕生」は皆、
似たようなものだし「死」という出口もすべての人に訪れる。途中でどんな道を
辿ろうとも、袋小路で立ち止まろうとも、最後の行き先はひとつだ。
過去の出来事を思い起こしてみる。就職の時、同時に受かっていたもうひとつ
の会社にいっていたとしたら……。
あるいは、あの時つきあっていた彼のプロポーズを受けていたら……。五年以上
連絡をとっていなかった元職場の同僚に、あの日電話をしていなかったら……。
思い出す一つ一つの事柄に関して、その未来がうっすらと見えるのものと、まった
く見えないものがある。
未来が見える過去に選択しなかった道は、恐らく袋小路。どちらにしても、今ま
でのたくさんの出会いも、別れも、トラブルも、すべて偶然や運命ではなく、自分
で選択した結果の出来事なのだろうか。人生という名の巨大迷路。
そこには救助隊はいない。でも、一緒に歩いてくれた人は、いつも必ずいた。
これからもその手は放すまい。
なぜなら、私は極度の方向音痴だから……である。
路で、その迷路の中に幾つかのポイント地点が設けてあり、そこでスタンプを押
す。その上で、ゴール地点までの時間を競うのである。
私も何度か巨大迷路なるものに挑戦をしたが、「迷う」ということに人一倍いら
立つタイプの気の短い人間は、不向きなレジャーであった。
その迷路だが、面白いことに救助隊がいた。迷路で迷って? 助けて欲しい時
に「SOS]を出すと、彼らが迷路から脱出させてくれるのだ。「迷うための迷路じ
ゃないの?」と思いながらも、やっぱり救助隊は必要なのかもしれないと、迷い
ながら思った。
迷路は、私達の人生に似ている。皆、入口に当たる「この世への誕生」は皆、
似たようなものだし「死」という出口もすべての人に訪れる。途中でどんな道を
辿ろうとも、袋小路で立ち止まろうとも、最後の行き先はひとつだ。
過去の出来事を思い起こしてみる。就職の時、同時に受かっていたもうひとつ
の会社にいっていたとしたら……。
あるいは、あの時つきあっていた彼のプロポーズを受けていたら……。五年以上
連絡をとっていなかった元職場の同僚に、あの日電話をしていなかったら……。
思い出す一つ一つの事柄に関して、その未来がうっすらと見えるのものと、まった
く見えないものがある。
未来が見える過去に選択しなかった道は、恐らく袋小路。どちらにしても、今ま
でのたくさんの出会いも、別れも、トラブルも、すべて偶然や運命ではなく、自分
で選択した結果の出来事なのだろうか。人生という名の巨大迷路。
そこには救助隊はいない。でも、一緒に歩いてくれた人は、いつも必ずいた。
これからもその手は放すまい。
なぜなら、私は極度の方向音痴だから……である。
人生と、広っぱにできた巨大迷路を重ね合わせた。出口といい入口といい、また道中の迷いといい、まさしく絶妙の比喩でした。申し分なし。
ただ、下から六行目以下の「未来が見える過去に選択しなかった……おそらく袋小路」のところ、少々わからない。
未来が何となく見当のつく道
まるで見当のつかぬ道 これは確かにある。
選ばなかったのは、見当がついたから。つまり、その道を選んでもロクなことはない、と「見えた」からか。そこまではわかる。
でも、なぜ、その道は確実に死につながる道なのか。そして、そうでない方は「袋小路」なのか。逆も、ありうるのではないか。
さらに読者は、その前にでてくる三っのケースを反射的に連想します。就職のとき、別の方にすすんでいたら、それが死につながる?というふうに理解してしまう。つまり、就職とかプロポーズという日常的なことと死という超大事を”直結する”違和感が問題なのです(別の言い方をかんがえると よかった)
「死」という究極の話を持ち出したのがまずいのではないか。
突然ですがおじゃまします☆
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