永遠の真理を現わした風景:宇治興聖寺

2007年08月10日 | 歴史教育

 先日、四国の大学の集中講義に行く途中、京都に立ち寄って、この暑い盛りに、道元禅師の最初に建てた禅道場・宇治興聖寺に行ってきました。

 ここでは『正法眼蔵』のすばらしい巻がいくつも書かれています(場所は移転しているそうで、正確にはもう少し離れた場所のようですが、雰囲気は十分わかる気がしました)。

 特に「山水経」の巻の冒頭には、「而今(にこん)の山水(さんすい)は古仏(こぶつ)の道現成(どうげんじょう)なり、ともに法位(ほうい)に住(じゅう)して、究尽(ぐうじん)の功徳(くどく)を成(じょう)ぜり」(今ここの山と川には、永遠なる仏の道・真理・真理の言葉がありありと実現している。どちらも真理の位にあって、尽きることのない功徳を表現している)という名句があって、それは実際にはどういう風景を目の前にして語られたのか、行って自分の目で見てみたいと思っていました。

 宇治川は、そのほとりに有名な平等院もあり、まさに名勝の地でした(残念ながらお天気のせいかあまりいい写真は撮れませんでしたが、参考までに)。












 今回はいささか暑すぎて興聖寺まで20分(?)くらい歩くのもなかなか大変でしたが、薄日でかえってじっとりと暑い中、ペットボトルを片手に水を飲み飲み行ったかいはありました。











 ここは涼しい秋の紅葉の季節にでもぜひもう一度来たい所です。

 『源氏物語』宇治十帖の場所でもあり、興聖寺は紅葉の名所でもあるそうです。

 秋から中級講座で『正法眼蔵』「仏性」の巻を講義しますが、書かれた現場を見てきたことで、いっそう深く味わうことができそうな気がしています。



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