般若経典のエッセンスを語る11

2020年10月07日 | 仏教・宗教

 この『転読大般若中唱文』には、「非実体=空」の定義の③「永遠には存在しない・無常」ということに関する言葉は出てこない。それも含めて説明したほうが「空」とは何かが理解しやすいのだが、話の流れで解説は後にしよう。

 次には、「無自性故無去来」とある。つまり本性があるならばそれが変化するとか変化しないということになるが、「そもそも本性がないので、去るとか来るなどということもない」と述べられている。

 この「無去来」は『般若心経』でいえば「不生不滅」と同じことである。

 これは、「水と波の譬え」を使うと理解しやすいだろう。波に着目すると、起こったり消えたりする、つまり来たり去ったりするが、水に着目すると、水そのものは去りも来もせず、ずっと水のままである。現象としての個々の波は現われたり消えたりするけれども、その元になる水そのものは変化することなく一体の水のままである。

 これも、後で詳しく述べるように、空とは多くの誤解された印象と違って、実は「何もない」という意味ではなく、「つながっていないようなものは、何もない」、すべてが縁起、つまり「つながって起こっている」という意味であり、すべてがつながっているということはさらに言うと「すべては一体である」ということでもあり、そのことを「如」あるいは「一如」という。

 すなわち、「空・何もない」とは、「一体でないようなものは、何もない」という意味も含んでいて、「空」と「一如」は同じ事柄を別の言葉で言い表わした、いわば同義語だといってもいい、と筆者は解釈している。

 後で、それを裏付ける般若経典の言葉も引用するつもりである。

 


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