これまでは、学生の感想だけを紹介してきましたが、授業やテキストをどういうふうに理解した結果そういう感想を持ったのかをわかっていただくために、ここで1つ女子学生の授業内容のまとめと感想を全文紹介したいと思います(読みやすくするための改行とごくわずか誤字などの訂正を加えています)。
社会学部1年女子
既存であった、人々の人生を支えていたコスモロシーの形態が崩壊した最初の段階は、近代化の推進である。
そしてこの近代主義も、様々な段階を踏み現在へと至ったのである。
最初に、近代科学の確立があげられる。
天動説が指定され地動説が主流となっていき、デカルトにより方法論が確立され、原子説・分子説・細胞説と近代化の基本が固められていった。
そこでおのずと浮上するのは、「人間も原子でできている、物質にすぎない。」という説だ。
そして続く近代化の流れは、ダーウィンによる進化論の確立に見られる。
このことにより、従来の「人間は神の手によって作られた神の愛・対話の相手だ」という信仰は消し去られて人間も動物の一種なのだという事実が科学的根拠とともに証明された。
この出来事は人々にダーウィニズムをもたらし、より激しい生存競争を伸張し、弱肉強食という考えを深く刻ませた。
そして最終的な近代化の段階として、今まで実証されてきた理性・科学主義、物質還元主義、無神論、ヒューマニズム、進歩主義がひとまとまりなった、「近代主義」が主流となる。
ニーチェの「神の死」がそれをよりいっそう深める。
これらの流れを経て、今現在常識的な考えとなっている「近代主義」が確立されたのである。
「近代主義」には大きなメリットがあり、もはや失うことのできない産物であるが、また同時に多くのデメリットも生んでしまった。
その一つに、コスモロジーの崩壊があげられる。
もはや人類は、失われたコスモロジーに代わる生きる拠所は見つけることができないのであろうか?
答えは、否である。
岡野先生が新たなコスモロジーの形を提案する。それは、「みんなつながっている」ということだ。
それはまず、自分で作ったのではなく、「与えられた」いのちに感謝し、「無条件・無償で与えられた贈り物」だと認識し、現在生きているのも、「生かされている」からだ、という事実を知ることから始まる。
ぼう大な数のご先祖さまがいて、自分がいる。
当たり前の事実だが、皆意識せず見逃している事実である。
そしてこのぼう大な数の先祖をたどれば、人類は皆どこかでつながりを持っている、ということが分かる。
さらにさかのぼれば、いま吸っている空気からはじまり、その空気を生む植物、さらには動物、そして大地・地球、太陽、惑星、太陽系――つきつめれば、宇宙である。
私たちは宇宙とつながっていて、それらすべて、どれか1つでも欠けていたら今私たちはいない。
考えてみたら納得の事実である。
このようなシンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる。
宇宙137億年の歴史が込められた私たちの体は、まちがいなく価値あるものなのである。
私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。
シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。
しかし衝撃的であり色濃い出来事だった。
「宇宙とつながっている」「自分の命は先祖様たちの愛の結晶である」ということを知って少し心強くなった。
そして「自殺」であるが、私はあんまり考えたことはないが、つらい時一瞬「もしも…」と想像してみたことがある。
だが先生の「自殺はある種のエゴイズムである」という言葉で、自殺はしてはいけない、残される人のことも考えて生きなければいけない、という考えが確固たるものとして私の中にできあがった。
これだけ人々が見逃している事実を、もう一度すくい上げて確認するというメソッドを確立した先生はやはり偉大であり、尊敬すべき恩師であるのだなと実感した。
後期のご講義も楽しみにしています。
彼女は、文章はややたどたどしいところもあるのですが、授業内容をきちんと理解した上で、コスモス・セラピーの基本的方法が「シンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる」ということであることをしっかり把握しています。
そして、「私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。しかし衝撃的であり色濃い出来事だった」という自分の実感を述べています。
そう実感したからこそ、「メソッドを確立した」という評価をしてくれたのでしょう。
「わかってくれてありがとう」と言いたくなるような、とてもうれしい評価です。
主客分離の近代主義が常識になっている社会の中では、シンプルな事実でありながらそれに気づくことができないような「空気」・文化的なムードが出来上がってしまっています。
ですから、そういうムードの中で生活し、教育を受けてきた圧倒的多数の学生が、こうした気づきについて「私の人生で初めてのこと」といった感想を持つのは当然といえば当然です。
しかし、その当然が多くの若者をニヒリズム・エゴイズム・快楽主義に陥らせてしまっているのですから、あまりにも残念な当然です。
そういうはなはだ困った当然を変えるためのメソッドとしてコスモス・セラピーは、幸いなことにこの女子学生に対してもかなり有効だったようです。
その実感を、「恩師」という言葉を使って表現してくれたのだと、少し面映いのですが受け止めました。