社会をそれぞれ孤立した個人の集合と考える近代の個人主義――しかもかなり矮小化された――を小さいときから教え込まれ、個人同士の比較・競争が大前提――これは「連帯」の真っ逆さま――の社会で育つと、残念ながら当然、多くの若者の心がひねくれます。
下記の学生がそのひねくれ方を典型的に語ってくれています。「どうせ愛されてない」「他の人なんて別に知らない」などなど。
しかし、心はどんなにひねくれても大自然はひねくれておらず、真っ直ぐですから、そのつながりという真理を伝えて理解できると、素直な「感謝や温かい心が持てるような見方ができるように」なるのです。
ひねくれていると法則的に、自分も不幸になるし、まわりも不幸にします。すべてはつながっているという事実に基づいて、みんなが素直になれるといいのになあ、と切に思う年度末-新年です。
H大学社会学部1年女子
今まで私は“宗教”というものに嫌なイメージを持っていた。偏った教えを詰めこまれるんだろーなー。とか、とにかくネガティブなものだった。(先生ごめんなさい)でもむずかしかったけど、私には理解することができたように思う。全てのものはつながっている。親とかその前の親とか。それに食べものも、空気も。深く考えると、私が今の性格も、様々なものや人が関わって「私」がいる。私なんて、どうせ愛されてない。とか、どうせ私は私だから、他の人なんて別に知らない。といってひねくれた私の態度を変え、感謝や温かい心を持てるような見方ができるようになりました。私の中にはまだマナ識やアーラヤ識がたくさんあると思う。しかし、少しでも覚りの道へ行けるようにもっと唯識を理解し、進んでいきたいと思った。