大般若経の愉しみ4:般若波羅蜜多とメンタル・タフネス

2010年03月08日 | メンタル・ヘルス

 毎日、まじめにニュースを見聞きしていると、そんなひどい話があるのかと驚いたり、ショックを感じたり、暗くなったり、いやになってしまうようなことばかりです。気持ちがうつうつとしてきます。

 日々の生活にも、もちろんいろいろ苦労や面倒があって、うだうだ、ぐじぐじと考えがどうどうめぐりしたりします。

 そんな時には、いろいろな憂さ晴らし、気晴らしの方法があるでしょうが、坐禅をして心を空っぽにし、何も考えない(分別しない)時間を取るのがいちばんです。

 考えなければ悩まない、悩めないのですから。

 しかし、中途半端に考えてしまいがちな私たちふつうの人間つまり凡夫は、ああでもないこうでもないと考えながら悩みます。

 どうせ考えるのなら、徹底的に論理的に考え抜けば、それはそれで解決策が見つかるか、受容するしかないと腹が決まるか、どちらにしてもそれなりにすっきりするのですが。

 考えるのなら、腰を据えて考え抜く。いい考えが浮かばないのなら、一度徹底的に心を空っぽにしてみる。

 考えなければ、ストレスは感じない、鬱にもならない。俗な言い方をすれば、「バカは悩まない」のですね。

 では、いったん意図的にバカになってしまいましょう。

 「バカはへこたれない」「バカほど打たれ強い」。


 善現、是の如く菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を修行する時、一切法に於て都(すべ)て見る所無し。一切法に於て見る所無き時、其の心驚かず恐れず怖(おのの)かず。一切法に於て心沈没(ちんもつ)せず亦た憂悔(うげ)せず。(初分教誡教授品第七之二十六)

 スブーティよ、覚りを求める者・志の大きな者が智慧を完成する行を修行する時には、すべてのことについて認識しないようにする(何も考えない)。すべてのことについて認識しない時には、その心は衝撃を受けるとか恐怖を感じるとか不安におののくといったことはない。すべてのことにかかわって心が沈み込んでしまうことも、またくよくよと鬱になることもない。


 般若波羅蜜多の修行には、メンタル・タフネスを高めるという現世利益もちゃんとある、と『大般若経』には書いてあるようです。

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