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〈自然成長型文明〉というヴィジョン

2006年09月06日 | 持続可能な社会

 「成長の限界」が自然の掟であるとすれば、ではどうすればいいのでしょうか。

 結論的にいってしまえば、「無限の経済成長」ではなく、「自然の成長に合わせた人間生活の成長」を目指せばいい、と私は考えています。

 このネット授業でずっとお話ししてきたとおり、コスモスは自己組織化・自己複雑化という意味でより組織化されたより複雑な、つまりより高度なシステムへと成長し続けるものです。

 太陽の寿命が終わりに近づいて、地球が溶けてしまう何億年か何十億年先のことはともかく、少なくともここ1億年や2億年は地球というシステムも、人類の影響で紆余曲折するとしても、より高度なシステムへと成長し続けることは確実だと思われます。

 (そんな先のことまで気になる心配性というか心配症の方のために一言いっておくと、太陽が超新星爆発を起こしてその生命を終わっても、銀河スケールで見ると、それは新しい何かの創発の準備になることでしょう。それから、それまでに人類が宇宙にとって生き延びるに値するほど意識(こちらが必須の優先的条件)と技術の進化を遂げていたら、SFではありませんが、太陽系外の星へと移住するということも可能になっているかもしれません。どちらにしても、私の考えでは、まずこの21世紀100年弱、次の世代が生きていける環境を再創造できるかどうかを心配したほうがいいと思います。)

 環境危機の話をすると、「重い」とか「気が滅入る」とか「無理」といわれる方も多いのですが、ヴィジョンが楽しければ、楽しいヴィジョン実現のための先行投資の努力であればやる気が出てくるということがあるので、簡単に〈自然成長型文明〉のヴィジョンの話をしておきたいと思います。

 私がこういう発想に至ったのは、福岡正信さんという自然農法をやっていらっしゃる、エコロジー運動の世界的レベルではすごく有名な方の影響です。

 この方は、耕さない、肥料をやらない、農薬をかけない、草を取らない、それでも化学農法と同等、ときによってはそれ以上の収穫があがるという農法を確立していらっしゃるのです。

 私は、出版社にいた頃に、福岡さんの本を出すに際し、ほんとうなのかと、何回も農場見学に行って、実際に目で見て確かめました。

 行って見ると、「百聞は一見に如かず」で、イネやムギが雑草と一緒に生えていたり、道端や藪の中にキュウリやトマトや大根が見事になっていたり、という自然農園の風景に驚いてしまいました。

 NHKでも何度もドキュメンタリー番組で取り上げていましたから、まるで楽園のような自然農園の風景をご覧になった方も多いでしょう。

 私は、何度もうかがって確かめた結果、生態系をまったく壊すことなく、化学農法と同等またはそれ以上の収穫をあげる農法は確立されている、と確信するようになりました。

 もしそれが正しいとすると、まずこの農法を世界全体でやれば、自然環境をまったく破壊することなくみんなが食べていくことは大丈夫です。

 ほんとうにそんなことが可能かどうか質問すると、福岡先生は、戦前の農業専門学校(今でいえば農業大学)出身の方ですから、数値やデータもきちんと扱える方で、太陽の日射量とそれを植物が地表に固定できる光合成の能力、そのうちどれくらいが食糧になりうるかという計算を全部やると、「世界全体で自然農法をやれば今の人口の倍まで大丈夫です」とのことでした。

 それが84年くらいだったと記憶していますから、2020年から2050年くらいの人口なら賄えるということでしょう(『自然農法 わら一本の革命』『自然に還る』春秋社、参照)。

 しかし、そういうとすぐ出てくる反論は、「そんな不便そうな生活はしたくない。近代は、科学技術のお陰ですごく便利になっていて、この便利さを人類が捨てられるわけがない」というセリフです。

 これに対しては二つの言い方ができます。

 まず、「捨てざるを得ない部分と捨てなくてもいい部分にきちんと区別して考えたほうがいいのではありませんか?」と。

 それから、「捨てざるを得ない部分まで、どうしても捨てないのなら、そうとう悲惨な近未来が待っているようですが、それでも捨てたくないですか?」ということです。

 近代の利便性の中で、エコロジカルに持続可能な社会と抵触しないものは残せばいい、抵触・矛盾するものはやめればいいのです。

 エコロジカルに持続可能ということを主に、近代技術の利便性は従にして、残せるものは残せばいい、さらに工夫できるものは工夫すればいい。原理だけいうと、話は簡単です。

 私は、「二十一世紀以後もずっと人類が生き延びていきたいのだったら、外面の形としては、自然農法をベースにして、それにオルタナティブ・テクノロジーを加味した文明を創るしかない」と考えています。

 そして、それは例えば江戸時代に後戻りするということではなく、人間が自然のゆったりとした成長の歩みに合わせて自然と共に成長するということなのです。

 大自然・コスモスの時間は実に悠々としたものですが、しかし決して停滞することなく進化し続けているのです。

 ですから、少なくともヴィジョンとしては、そういう「自然成長型文明」というヴィジョンを描くことができ、かつ理論的には実行可能だ、と私は考えてきました。

 そして、最近、スウェーデンの実例を知って、ますます実際的にも実行可能だと確信するようになっています。

 まず高度産業主義文明から先駆的国々が「緑の福祉国家=エコロジカルに持続可能な社会」に移行する、そしてその影響が世界全体に広がって「自然成長型文明」が成立する、と。


 補足として、「無理」という方に、すばらしい言葉をお送りしたいと思います。

 なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは 人のなさぬなりけり

 江戸時代の代表的な名君上杉鷹山(うえすぎようざん)の和歌です。

 日本も「緑の福祉国家」にする、さらには世界に「自然成長型文明」を創り出すということは、きわめて困難に決まっていますが、不可能ではないのではないでしょうか。

 「できない」というのは「やらない」人の思うことです。

 「なせばなる!」と私は信じることにしています。

 スウェーデンの人にできて、日本人にできないはずはありませんからね。




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コメント (2)
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