「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評171回 令和の旅俳句鑑賞 三倉 十月 

2023年08月29日 | 日記
 令和五年の夏は、久しぶりに伸び伸びとした気持ちで旅に出た人も多かったのではないだろうか。円安やインフレの影響で海外旅行はコロナ前のようには行かないが、国内の観光地もインバウンドの影響もあり、盛況だと聞く。一方で、もしかしたら台風や大雨の影響で大変な目にあった方もいるかもしれない。私の知人も台風の影響で沖縄に6日間延泊を余儀無くされていた。私も流石に6日間とは言わないが、台風で旅先から帰れなくなったことはある。長い目で見れば、ある意味良い思い出となるが、直近すぎるとそうもいかないかもしれない。、我が家では、子が小学生になってから初めての夏休み。保育園時代は混み合う夏休みシーズンを避けて旅行に行っていたが、学校を休んで旅行に連れて行くわけにはいかないので、今年は一番混み合うお盆の週に海の近くの町に出かけた。特に観光をするわけでもなく日常の延長のような旅だったが、ほぼ毎日海水浴をしたり、かき氷を食べたり、耕作したり、とのんびり過ごしつつ、子供時代を懐かしく思い出していた。

 今回は旅の句を鑑賞してみたい。吟行句はもちろん旅にまつわる細やかな事柄を詠んでいる句など、全てではないが主に最近読んだ連作や句集から選んだ。今年の夏、旅に出た人にも出なかった人にも、旅が好きな人にも苦手な人にも読んでもらえたら嬉しい。

出発やつめたき春の旅鞄       髙田正子
 まずは今年の角川俳句5月号に掲載されていた、髙田正子さんの連作「台湾行」から数句。自分の台湾旅行の記憶を呼び起こしつつ、旅写真を見せて貰うような気持ちで読んだ。一句目、旅鞄とあるが、海外旅行なのでスーツケースだろうか。台湾なら小型のタイプでも行けるだろう。朝の空気にひやりと佇むスーツケースに触れながら旅立ちの微かな緊張と高揚を感じる。

あたたかや漢字を書いてものを問ひ   髙田正子
 言葉が通じない旅先でも、同じ漢字圏であれば意思疎通を試みることができる。常用漢字の形が違うこともあるけれど、通じた時の嬉しい気持ちと言ったらない。風光明媚な観光地や美味しい食事の記憶も大事だが、こうした細やかなふれあいが旅の醍醐味であり、宝物になる。

花市に湯気立てて来る草餅屋
湯気立てて蒸籠十段春の月     髙田正子
 湯気の句、二つ。草餅屋の句は、まさに作り立て、出来立ての温かい餅の湯気がじんわりと登っている。鮮やかな花市の優しい一場面を切り取っている。
 一方で蒸籠十段から立つ湯気は豪快そのもの。店員が塔のように積み上げた蒸籠を運んでいるのか、流石に十段は高すぎるから両手に五段ずつか、あるいはガラス張りの調理場を覗いているのか、いずれにしてももくもくと湯気が立っているのだ。迫力がある。蓋をぱかっと取るとさらに勢い良く湯気が広がるのだろう。中に鎮座しているのはほかほかの点心。まんまるく春の月に見えるものもあるかもしれない。

春惜しむ飲み且つ喰らひ語らひて
春の夢後部座席のおふたりも    髙田正子
 大切な人と共に行く旅の楽しみが詰まった句。飲み、食べ、語らい、惜しんでいるのは春でもありながら、今この瞬間でもある。そして帰路につき、車中で眠っている友人たちを見つつ、楽しかった旅の余韻を噛み締めるのだ。

短夜のTYOと書く東京       松本てふこ
 これも夏の旅立ちの句。空港の電光掲示板には、色んな都市名がずらりと並ぶ。自分の旅先はもちろん、今回の旅には関係ない世界各地の空港名。同じ場所から、世界の全く違う都市に繋がっていることをどこか不思議に思いつつ。夜を跨いで乗る国際線では、短夜も長く感じる。

冬瓜にいつか行くべき旅のこと    松本てふこ
 旅行したい場所、町、国はたくさんある。ここしばらくは自由に旅に出ることもままならなかったから、リストはかなり長い。お金と時間と、体力と気力がたくさんあればすぐにでも旅立ちたいものだけど。そうもいかないので、冬瓜に語りかける。冬瓜がたっぷりと持っている瑞々しい時間の中に、その願いをタイムカプセルのごとく留めていてくれる気がする。

てふてふにうすき砂丘の空気かな   松本てふこ
 町中や野原で出会う蝶とは違い、砂丘の蝶は少し苦しそうに見えたのだろうか。この蝶もまた元々居た宿木から遠く旅をしてそこにいるのかもしれない。休憩場所が見当たらない旅は、確かに過酷だ。私は砂丘に行ったことはないのだが、今まで写真や話で抱いていたイメージとは更に違う生々しさをこの句から感じて面白かった。

冬の月旅に少しの化粧品     岡田由季
 身軽に旅立つために、化粧品の試供品を溜め込んでいる女性は(もしかしたら最近は男性も)多いと思う。旅に出る前の晩、一つ一つ選んでいく。試供品では賄えないアイシャドウや口紅も、できるだけ軽いものを選ぶ。最近はリップとチーク両方に使えるアイテムもあったりして。そうやって少しでも身軽にと、その過程が楽しい。

逃げ切れぬ草間彌生の南瓜からは 岡田由季
 草間彌生の黄色に水玉の大きな南瓜は、瀬戸内海に浮かぶアートの島、直島(香川県)のランドマークのような存在である。有名なので現地に行ったことがなくても写真などでみたことがある方は多いはず。その南瓜をはっきりと句に詠みこみ「逃げ切れぬ」と早々に降参しているところが愉快だ。下手すると夢にまで追いかけてきそうな南瓜のインパクトが、そのまま活きている一句。

アップルパイ雲海の中分け合って  山岸由佳
 山の上だろうか。どこまでも広がる美しい雲海の雄大な景と、小さく可愛いアップルパイの取り合わせが新鮮で嬉しい。大きな自然と、手のひらに収まる食べ物の対比。苦しい中一緒に登ってきた友と分け合うアップルパイの味は、今まで食べた中で一番美味しかったのかも。そして、それからアップルパイを食べる度に、あの雲海が広がるのだ。

空港の狂はぬ時計雪催     山岸由佳
 どんな日も絶対に狂ってはいけないもの。それが駅や空港の時計である。心が浮き立つ旅立ちばかりではない。それが個人の旅でも帰省でも出張であっても、不安が先に来る日もある。そんなもやもやした気持ちで、さっぱりと晴れない空の日も、空港の時計は正しく平等に秒を刻んでいく。

旅らしくなりたる旅の夕立かな   西村麒麟
 旅のハプニングは色々大変だけど、なんだかんだと思い出になったりする。だがそれを「旅らしくなりたる」と言ってしまうのが、俯瞰的で面白い。まるで最初からハプニングを待っていたかのよう。実際は「こういうのもまた思い出だよ」と、後付けで苦笑いする方が多いかもしれないけど。ずぶ濡れのワンピースを、ホテルの部屋に干してビールを飲むのもまた思い出。

四月馬鹿ローマにありて遊びけり  山口青邨
 有名な海外詠の一句。浮かれているわけではないのだろうけれど、どうにもウキウキとした楽しさが滲み出てくる感じがして好きな句だ。自句自解によると、ちょうど四月一日にローマを観光していたとのこと。

東京でも、ベルリンでも、ニューヨークでもいけない、ロンドンならいくらかよさそうだ、しかしやはりローマは絶対に動かせないと思う。”『自選自解 山口青邨句集』

 このニュアンスはわかる気がする。ローマにはイタリアの首都で、その中にキリスト教の中心地であるバチカン国があり、歴史的な遺跡を多く抱える古都である。荘厳なのだが、一方で、映画「ローマの休日」のような、浮かれた気分も似合う町だ。青邨、とっても楽しかったのだろうな、としみじみ思う。

旅いつも雲に抜かれて大花野   岩田奎
 のどかで、かつ雄大な景。雲に追い抜かれていくのは旅先に限らないことだけど、色んなことにふと足を止めて、その瞬間、瞬間に感じ入る旅においては、時間の流れが雲と自分とで違うように感じるのかもしれない。大花野という大きな季語には、人生の長さも広さも感じさせる。

虹立てり帰路は一人となりし旅  安原葉
 今は家族旅行が主だが、子が生まれる前は、友人らと頻繁に旅に出ていた。その帰路、飛行機から、在来線へ。そして途中のターミナル駅で。少しずつバラバラになっていき、最後は一人になる。寂しさと、少しだけホッとした気持ち。そして旅の終わりに、また、次の旅を夢想する。できればまたあの仲間と行けたらいいな、と思いつつ。


出典:
⾓川俳句 2023 年 5⽉号(株式会社 KADOKAWA)
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『中くらゐの町』岡田由季(ふらんす堂)
句集『丈夫な紙』山岸由佳(素粒社)
句集『鶉 新装版』西村麒麟(港の人)
句集『膚』岩田奎(ふらんす堂)
句集『自選自解 山口青邨句集』(白凰社)

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