今回は食べもの、あるいは食べるという行為に関連した俳句を鑑賞してみたい。繰り返しになるが、私は俳句を詠むのも読むのも入口の門をくぐったばかりの初心者であるが、門の前で足踏みをしている、或いは、少し離れたところからこちらを見ている友人知人家族がいる。俳句を読み(not詠み)慣れない人や、俳句にあまり縁がない人にとっても「食」は、わかりやすく、取っ掛かりやすいテーマなので、興味を持つきっかけになったらいいなと思っている。
そもそも歳時記には美味しそうな季語が溢れている。これからの季節は「新米」「松茸」「栗飯」「秋刀魚」が楽しみだし、「大根」「白菜」「トマト」などの野菜、「苺」「さくらんぼ」「梨」「西瓜」などの果物はもちろん「アイスクリーム」「蜜豆」「白玉」「桜餅」などスイーツもある。「おでん」「素麺」「冷やし中華」「鍋焼きうどん」「豆ごはん」など、旬の美味しい料理がいっぱいだ。「ビール」「熱燗」「鰭酒」「濁酒」などの酒も気になるし「アイスコーヒー」「ソーダ水」「ラムネ」「レモネード」「薄荷水」「蜜柑水」「甘酒」などのドリンクも好きな季語である。「伊勢海老」「雑煮」「栗きんとん」もちろん、お正月にもばっちりだ。このように各季節の「生活」「植物」「動物」の項目には、食べ物(食べうるもの)が並んでいる。
食に関連した名句は枚挙に暇がないが、今回は私が所有している句集や、最近読んだ雑誌から面白いと感じた句(比較的最近の句、あるいは、若手俳人の句)を中心に選ばせて頂いた。
どこへでも行けるアスパラガス茹でる 神野紗希
スーパーで並んでいる時は少しくすんだ緑のアスパラガスも、茹でるにつれて鮮やかで美しい緑に変わる。まっすぐな長さはそのままに、硬さは消えてしなやかになり、香りが立つ。狭いキッチンから、どこまでも広がる外の世界と、その一部である己(=作中主体)の、瑞々しい可能性を軽やかに信じる、やさしい一句。
牡蛎グラタンほぼマカロニや三十歳 神野紗希
この句を読んだ時、自分が三十歳になった時の手ごたえのなさを思い出した。やたらと身構えていたにも関わらず「なんだ、こんなものか」と、あっけなく訪れた三十歳、三十代。その拍子抜けをした感じが、マカロニばかりの牡蛎グラタンから伝わる。(素人っぽい読みかもしれないが、この句の切れ字の「や」はちょっと関西弁のツッコミのような面白みもある)
アイスキャンデー舐めて人間保つなり 神野紗希
句集の並びから推測して、初めての育児の中での一句と読んだ。夏の暑さで溶けそうになる、ということも大いにあるが、それ以上に、まだ首が座らないような小さな赤ちゃんとの生活の中で、それまでの人生で築いてきた「己」という人間の輪郭を何度も何度も見失いそうになったことを実体験として思い出した。子がやっと寝てくれた後で食べるアイスキャンディーは、そうした輪郭までもはっと繋ぎ止めてくれる。
海鼠食ふ海まつくらに暮れてきし 大石悦子
冬の夜の海の、圧倒的な暗さと重さ。目の前の鉢には、そこから来た海鼠がある。沈黙の生物である海鼠を、静かに噛み締める。命を頂いているのだが、その大きく深い、暗い海そのものを頂いているような気持ちになる一句。
鶯やご飯の炊ける匂いして 大石悦子
こちらはささやかながら、温かい喜びに満ちた柔らかな一句。春の到来も嬉しいし、ごはんが炊けたのも嬉しい。鶯の声やお米が炊ける匂いを感じられるくらい、平和な気持ちでいることも良い。今から家族団らんの食事が始まる予感。
林檎食ひながら林檎に飽きてゐる 松本てふこ
こちらは食の喜びとはまた少し違う感じが面白い一句。決してこの林檎が不味いわけではないのだ。食べ続けているのだから。それでも、飽きている。なんなら、一口目から飽きているかもしれない。林檎は美味しいし健康にも良いが、あえて言うなら咀嚼に労力を使う。切り分けたならともかく、丸かじりでもしていたら途中で止めることもしにくい。ぼんやりと他のことを考えながら、何となく惰性で食べている。
立ち食いの何でも旨き獺祭忌 松本てふこ
一方で、この句の「何でも旨き」には無邪気な高揚を感じて楽しい。食べものそのものより、立ち食いというのが良いのだろう。(縁日などの)非日常感が手伝うのか、あるいは、(立ち食い蕎麦のように)じっくり味わって食べる時間がないからなのか、それとも、行儀の悪さという背徳感がスパイスになるのか。何にしても楽しい。その楽しさが、子規の天衣無縫なイメージと重なる。
何味か分からぬ飴や下萌ゆる 松本てふこ
これもまたどこか可笑しみのある食べものの一句。こういう飴、けっこうある。韓国料理屋さんのレジでもらう白い飴。大昔にディズニーランドで売っていた巨大なぺろぺろキャンディー。子供の頃好きだった春日井製菓の名作「花のくちづけ」も、何味なのか記憶にない(調べたらミルクすもも味でした)。どちらにしても甘いし口が潤うので良いのだけれど、食べている最中なのにあまり五感を使わない感じが、知らず知らずのうちに芽吹き始めている「下萌え」と合っている気がする。
同じ味して七色のゼリーかな 津川絵理子
かき氷のシロップは、色と香料が違うだけで基本は全部同じ味だという話を思い出す。七色、虹色に光を透かすゼリーはきらきらと美しくて、心のときめきが満たされるからこそ、味は残らないくらいがちょうどいいのかもしれない。ただただ、美しい記憶だけが残るのだ。もはや七色ゼリーを食べなくても、この一句だけでいいかもしれない。
ブルーチーズの後味消えぬ終戦日 三輪初子
こちらは逆に、忘れられない味と昏い記憶の一句。はっきりと、じっとりと、それだとわかる後味が残るブルーチーズと、8月15日、終戦記念日の取り合わせだ。近年の味であるブルーチーズと太平洋戦争は遠いようだが、終戦記念日は毎年やってくる。ワインとブルーチーズで一杯やっている最中でも、それはこれからも毎年やってくるのだ。
溺れゐるごとくに西瓜食べてゐる 阪西敦子
食にまつわる感覚は味だけではない。例えば西瓜は、この句にあるようにとにかく水分である。大きく切った一切れに顔を埋めて、夢中で食べれている様子が目に浮かぶ。勢いがあって気持ちが良い一句。
西瓜喰む胃袋にぽつかりと海 山田牧
こちらも西瓜。少し食べ過ぎてしまったのかもしれない。水分でおなかが満ちたことを、海と表現すると途端に詩的になるから不思議だ。塩をかけて食べたのかもしれない。水分が体に満ちていくのを感じる。
サイレンとカレーの混ざり合ふ朧 山下つばさ
料理メニューが入った、食事の句も見てみたい。救急車か、パトカーか、食事中に外からサイレンが聞こえてくる。混ざり合うのは、ハヤシライスでもシチューでもミネストローネでもうどんでもダメで、カレーの素っ気なさがちょうどいいなと思う。どこか夢の中のような、ぼんやりとした春の夜の食事だ。
海老フライの尻尾の積まれ小春かな 小野あらた
こちらは海老フライの句。勝手なイメージだけど、きっとレストランで出てくる立派な海老フライではなくで、もう少し小さめの、家庭で作るようなブラックタイガーの海老フライなのではないか。小さいからこそ、大皿に積み上げられていく。家族でそれを平らげていく。それぞれのお皿に海老の痕跡が積みあがる、良い冬の日である。
海老の足きれいにもげる淑気かな 小野あらた
こちらも小野さんによる海老の句。海老側からすると悲惨な景だが、食べる側からすると、お正月から足がきれいに捥げるのは気持ちが良いし、幸先の良さを感じる。尻尾や、足など、主たる可食部である身以外を詠んでいるのが面白い。
串を離れて焼き鳥の静かなり 野口る理
手持ちの歳時記には載っていなかった為、焼き鳥が冬の季語だということを今回初めて知った。こちらの句はどこか厳かさを装ったユーモアがあってとても好きだ。焼き鳥が最もうるさい瞬間、つまりシズル感に溢れているのは炭火で焼かれている時だろう。その熱を持って席に運ばれてきた時までは元気だが、そこから気の利いた人(あるいはそのような同調圧力)により串から外されると、スン……と静かになってしまう姿を、もう何度も見た気がする。その肉も直ぐに食べられるならまだ良い。そこに三人以上がいたならば、大体遠慮の一切れが残る。串から外されては、もはや焼き鳥としての体裁も保てず、ひたすら沈黙するばかりである。
そんな焼き鳥は、ある意味国民食と言って良いほど人気がある。夕食のメニューに悩んだ時、スーパーの総菜コーナーの焼き鳥は救世主だし、格安の大人気焼き鳥チェーンもある。なんせ鶏肉は安い。羽と羽毛以外のほとんどの部位を食することができるし、豚肉や牛肉に比べて健康に良さそうなイメージもある。ちなみに飼育に際してカロリーあたりの二酸化炭素排出量も他の食肉に比べると少ないらしい。そう考えると、焼き鳥は良いことしかない。もちろん、人間側から見たら。
焼き鳥を食ひ全部位や次毟る 堀田季何
そんなのんきな発想をバリバリと食い破るような鮮明で怖い一句。もも、ささみ、手羽先、軟骨、砂肝、レバー、ハツ、ぼんじり……食べつくし、そして食べ終えれば「はい、次」と、次の鳥に手を伸ばす。そしてそのまま毟る。羽と羽毛は食べられないから……ホラーめいていてな恐ろしい景だが、これもまごうことなき現実世界でもある。
雑食の我らの春の眠きこと 岡田由季
最後はこの大きくて、優しい一句。アイスキャンディーも海鼠も林檎もカレーも焼き鳥も、何でも食べる我らも『雑食』と表現してしまえば、なんてことはないこの生態系の一部であるのだ、と、はっとする。大らかな春の眠りに包まれてブロイラー鶏の夢を見るかもしれない。
出典:
句集『すみれそよぐ』神野紗希(朔出版)
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『夜の水平線』津川絵理子(ふらんす堂)
句集『檸檬のかたち』三輪初子(朔出版)
句集『星屑珈琲店』山田牧(ふらんす堂)
『俳コレ』週刊俳句編集(邑書林) 「眠くなる」野口る理、「隙間」小野あらた、「森を飲む」山下つばさ、「息吐く」阪西敦子
角川俳句 2022年3月号 「温点」堀田季何
角川俳句 2022年4月号 「春へ」大石悦子、「玉ねぎ小屋」岡田由季
そもそも歳時記には美味しそうな季語が溢れている。これからの季節は「新米」「松茸」「栗飯」「秋刀魚」が楽しみだし、「大根」「白菜」「トマト」などの野菜、「苺」「さくらんぼ」「梨」「西瓜」などの果物はもちろん「アイスクリーム」「蜜豆」「白玉」「桜餅」などスイーツもある。「おでん」「素麺」「冷やし中華」「鍋焼きうどん」「豆ごはん」など、旬の美味しい料理がいっぱいだ。「ビール」「熱燗」「鰭酒」「濁酒」などの酒も気になるし「アイスコーヒー」「ソーダ水」「ラムネ」「レモネード」「薄荷水」「蜜柑水」「甘酒」などのドリンクも好きな季語である。「伊勢海老」「雑煮」「栗きんとん」もちろん、お正月にもばっちりだ。このように各季節の「生活」「植物」「動物」の項目には、食べ物(食べうるもの)が並んでいる。
食に関連した名句は枚挙に暇がないが、今回は私が所有している句集や、最近読んだ雑誌から面白いと感じた句(比較的最近の句、あるいは、若手俳人の句)を中心に選ばせて頂いた。
どこへでも行けるアスパラガス茹でる 神野紗希
スーパーで並んでいる時は少しくすんだ緑のアスパラガスも、茹でるにつれて鮮やかで美しい緑に変わる。まっすぐな長さはそのままに、硬さは消えてしなやかになり、香りが立つ。狭いキッチンから、どこまでも広がる外の世界と、その一部である己(=作中主体)の、瑞々しい可能性を軽やかに信じる、やさしい一句。
牡蛎グラタンほぼマカロニや三十歳 神野紗希
この句を読んだ時、自分が三十歳になった時の手ごたえのなさを思い出した。やたらと身構えていたにも関わらず「なんだ、こんなものか」と、あっけなく訪れた三十歳、三十代。その拍子抜けをした感じが、マカロニばかりの牡蛎グラタンから伝わる。(素人っぽい読みかもしれないが、この句の切れ字の「や」はちょっと関西弁のツッコミのような面白みもある)
アイスキャンデー舐めて人間保つなり 神野紗希
句集の並びから推測して、初めての育児の中での一句と読んだ。夏の暑さで溶けそうになる、ということも大いにあるが、それ以上に、まだ首が座らないような小さな赤ちゃんとの生活の中で、それまでの人生で築いてきた「己」という人間の輪郭を何度も何度も見失いそうになったことを実体験として思い出した。子がやっと寝てくれた後で食べるアイスキャンディーは、そうした輪郭までもはっと繋ぎ止めてくれる。
海鼠食ふ海まつくらに暮れてきし 大石悦子
冬の夜の海の、圧倒的な暗さと重さ。目の前の鉢には、そこから来た海鼠がある。沈黙の生物である海鼠を、静かに噛み締める。命を頂いているのだが、その大きく深い、暗い海そのものを頂いているような気持ちになる一句。
鶯やご飯の炊ける匂いして 大石悦子
こちらはささやかながら、温かい喜びに満ちた柔らかな一句。春の到来も嬉しいし、ごはんが炊けたのも嬉しい。鶯の声やお米が炊ける匂いを感じられるくらい、平和な気持ちでいることも良い。今から家族団らんの食事が始まる予感。
林檎食ひながら林檎に飽きてゐる 松本てふこ
こちらは食の喜びとはまた少し違う感じが面白い一句。決してこの林檎が不味いわけではないのだ。食べ続けているのだから。それでも、飽きている。なんなら、一口目から飽きているかもしれない。林檎は美味しいし健康にも良いが、あえて言うなら咀嚼に労力を使う。切り分けたならともかく、丸かじりでもしていたら途中で止めることもしにくい。ぼんやりと他のことを考えながら、何となく惰性で食べている。
立ち食いの何でも旨き獺祭忌 松本てふこ
一方で、この句の「何でも旨き」には無邪気な高揚を感じて楽しい。食べものそのものより、立ち食いというのが良いのだろう。(縁日などの)非日常感が手伝うのか、あるいは、(立ち食い蕎麦のように)じっくり味わって食べる時間がないからなのか、それとも、行儀の悪さという背徳感がスパイスになるのか。何にしても楽しい。その楽しさが、子規の天衣無縫なイメージと重なる。
何味か分からぬ飴や下萌ゆる 松本てふこ
これもまたどこか可笑しみのある食べものの一句。こういう飴、けっこうある。韓国料理屋さんのレジでもらう白い飴。大昔にディズニーランドで売っていた巨大なぺろぺろキャンディー。子供の頃好きだった春日井製菓の名作「花のくちづけ」も、何味なのか記憶にない(調べたらミルクすもも味でした)。どちらにしても甘いし口が潤うので良いのだけれど、食べている最中なのにあまり五感を使わない感じが、知らず知らずのうちに芽吹き始めている「下萌え」と合っている気がする。
同じ味して七色のゼリーかな 津川絵理子
かき氷のシロップは、色と香料が違うだけで基本は全部同じ味だという話を思い出す。七色、虹色に光を透かすゼリーはきらきらと美しくて、心のときめきが満たされるからこそ、味は残らないくらいがちょうどいいのかもしれない。ただただ、美しい記憶だけが残るのだ。もはや七色ゼリーを食べなくても、この一句だけでいいかもしれない。
ブルーチーズの後味消えぬ終戦日 三輪初子
こちらは逆に、忘れられない味と昏い記憶の一句。はっきりと、じっとりと、それだとわかる後味が残るブルーチーズと、8月15日、終戦記念日の取り合わせだ。近年の味であるブルーチーズと太平洋戦争は遠いようだが、終戦記念日は毎年やってくる。ワインとブルーチーズで一杯やっている最中でも、それはこれからも毎年やってくるのだ。
溺れゐるごとくに西瓜食べてゐる 阪西敦子
食にまつわる感覚は味だけではない。例えば西瓜は、この句にあるようにとにかく水分である。大きく切った一切れに顔を埋めて、夢中で食べれている様子が目に浮かぶ。勢いがあって気持ちが良い一句。
西瓜喰む胃袋にぽつかりと海 山田牧
こちらも西瓜。少し食べ過ぎてしまったのかもしれない。水分でおなかが満ちたことを、海と表現すると途端に詩的になるから不思議だ。塩をかけて食べたのかもしれない。水分が体に満ちていくのを感じる。
サイレンとカレーの混ざり合ふ朧 山下つばさ
料理メニューが入った、食事の句も見てみたい。救急車か、パトカーか、食事中に外からサイレンが聞こえてくる。混ざり合うのは、ハヤシライスでもシチューでもミネストローネでもうどんでもダメで、カレーの素っ気なさがちょうどいいなと思う。どこか夢の中のような、ぼんやりとした春の夜の食事だ。
海老フライの尻尾の積まれ小春かな 小野あらた
こちらは海老フライの句。勝手なイメージだけど、きっとレストランで出てくる立派な海老フライではなくで、もう少し小さめの、家庭で作るようなブラックタイガーの海老フライなのではないか。小さいからこそ、大皿に積み上げられていく。家族でそれを平らげていく。それぞれのお皿に海老の痕跡が積みあがる、良い冬の日である。
海老の足きれいにもげる淑気かな 小野あらた
こちらも小野さんによる海老の句。海老側からすると悲惨な景だが、食べる側からすると、お正月から足がきれいに捥げるのは気持ちが良いし、幸先の良さを感じる。尻尾や、足など、主たる可食部である身以外を詠んでいるのが面白い。
串を離れて焼き鳥の静かなり 野口る理
手持ちの歳時記には載っていなかった為、焼き鳥が冬の季語だということを今回初めて知った。こちらの句はどこか厳かさを装ったユーモアがあってとても好きだ。焼き鳥が最もうるさい瞬間、つまりシズル感に溢れているのは炭火で焼かれている時だろう。その熱を持って席に運ばれてきた時までは元気だが、そこから気の利いた人(あるいはそのような同調圧力)により串から外されると、スン……と静かになってしまう姿を、もう何度も見た気がする。その肉も直ぐに食べられるならまだ良い。そこに三人以上がいたならば、大体遠慮の一切れが残る。串から外されては、もはや焼き鳥としての体裁も保てず、ひたすら沈黙するばかりである。
そんな焼き鳥は、ある意味国民食と言って良いほど人気がある。夕食のメニューに悩んだ時、スーパーの総菜コーナーの焼き鳥は救世主だし、格安の大人気焼き鳥チェーンもある。なんせ鶏肉は安い。羽と羽毛以外のほとんどの部位を食することができるし、豚肉や牛肉に比べて健康に良さそうなイメージもある。ちなみに飼育に際してカロリーあたりの二酸化炭素排出量も他の食肉に比べると少ないらしい。そう考えると、焼き鳥は良いことしかない。もちろん、人間側から見たら。
焼き鳥を食ひ全部位や次毟る 堀田季何
そんなのんきな発想をバリバリと食い破るような鮮明で怖い一句。もも、ささみ、手羽先、軟骨、砂肝、レバー、ハツ、ぼんじり……食べつくし、そして食べ終えれば「はい、次」と、次の鳥に手を伸ばす。そしてそのまま毟る。羽と羽毛は食べられないから……ホラーめいていてな恐ろしい景だが、これもまごうことなき現実世界でもある。
雑食の我らの春の眠きこと 岡田由季
最後はこの大きくて、優しい一句。アイスキャンディーも海鼠も林檎もカレーも焼き鳥も、何でも食べる我らも『雑食』と表現してしまえば、なんてことはないこの生態系の一部であるのだ、と、はっとする。大らかな春の眠りに包まれてブロイラー鶏の夢を見るかもしれない。
出典:
句集『すみれそよぐ』神野紗希(朔出版)
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『夜の水平線』津川絵理子(ふらんす堂)
句集『檸檬のかたち』三輪初子(朔出版)
句集『星屑珈琲店』山田牧(ふらんす堂)
『俳コレ』週刊俳句編集(邑書林) 「眠くなる」野口る理、「隙間」小野あらた、「森を飲む」山下つばさ、「息吐く」阪西敦子
角川俳句 2022年3月号 「温点」堀田季何
角川俳句 2022年4月号 「春へ」大石悦子、「玉ねぎ小屋」岡田由季
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