goo blog サービス終了のお知らせ 

「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評164回 J-POP的な俳句 谷村 行海

2023年03月30日 | 日記
「この俳句は歌詞のようなのでとれなかった」
 句会でこのような評を聞いた人は少なくないことと思う。句会に出てきた俳句をとらない理由を求められた時、私自身もこのような発言をすることはある。演歌にしてもJ-POPにしても、七五調や五七調のリズムの良さを生かした歌も数多く存在するため、既存の曲の言葉や内容と俳句の内容に近しいものがあるとそのように思わされるのかもしれない。
 さて、そのような歌詞に似たタイプの俳句だが、中高生の俳句に多いという話が先日、とある句会のなかで出てきた。そして、その歌詞は特にJ-POPよりだと。確かに、私が高校生だった十年以上前のことを考えてみても、そのようなものは多かったように思う。俳句甲子園しかり、高文連しかり。俳句を詠み始めた時には、身近にある言葉としてどうしても歌詞に内容が近くなってしまっていたのかもしれない。
 そこで、今回はどのようなときに俳句をJ-POP的だと感じるのかを考えてみたい。
 しかし、何がJ-POP的かそうでないかの判断については、主観による面も少なくない。そのため、ある程度の客観性を持たせるため、歌詞検索サイト「歌ネット」を利用し、俳句の中に表れた言葉に類似するものを検索(以下のヒット数はすべて2023年3月30日時点の数)し、それがいくつくらいの歌に含まれているのかをデータとして参照していく。それらをもとに、J-POP的な俳句は何を詠うのかを考えていきたい。その際、直近で行われた高校生向けの俳句コンクールとしては俳句賞25があるため、俳句はそれらを引用することにする。なお、あらかじめ断っておくが、今回はJ-POP的な俳句とはどのようなものかを検証するもののため、句については鑑賞を行わないこととする。


【恋&相手は「君」と表現】
君からの第二ボタンや春の夢 佐野史絵那
夏の日の最高気温君の笑み 今村美月
初夢や縁起物より君の顔 佐野史絵那

君の笑顔は自由だったそんな君に夢中だった(FUNKY MONKEY BABYS「告白」)
方までもう少し本当の君の顔が見える愛してたい(BiSH「SPARK」)
切の向こうの君に向かってずっと言いたかった僕の想いよ通り過ぎる電車にかき消されたって君に届くと信じている(AKB48「どうしても君が好きだ」)

 圧倒的に多いのは恋愛を扱ったもの。特に、その対象は「」と表現されがちだ。上述の「歌ネット」で「君 好」とだけ検索をかけてみても、なんと21939件もの曲がヒットする。引用した三句の中にも登場した「君の笑」では4069件、「君の顔」と検索してみても1156件がヒットした。「成就した恋ほど語るに値したいものはない」とは森見登美彦の『四畳半神話大系』のなかの言葉だが、まだ成就していない恋だからこそ「」と表現しているのかもしれない。


【恋は先輩に】
先輩を奪っていった春疾風 藤枝杏里
卒業や置いてけぼりの一歳差 原口愛梨
大好きを伝えそびれて鰯雲 榎本佳歩

年下なんてダメですか? 長い髪好きなんですか? 彼女候補にどうですか? センパイのことが好き(HoneyWorks meets TrySail「センパイ。」)
「実は先輩が好きだ」って内緒頭の中ホワイトな感情(Eve「あの娘シークレット」)

 その恋愛のことだが、先輩とのことが句にされやすいようだ。確かに、卒業は学生生活の一大イベントである。J-POPでなくとも、ジャンルを問わず、恋愛をテーマに扱った作品では先輩に恋をするものが多い。実際のJ-POPでは「先輩」などと直接に歌うものこそそこまで多くはなかったが、「ラブソング 先輩」などでネット検索をすると、様々なサイトで先輩を歌ったラブソング特集が組まれていた。


【返信から生まれるストーリー】
返信のできないままに秋の蝶 植原拓巳
春時雨伏してLINEのバイブ待つ 蒋騰

なにかの詐欺の手口ですかって思って痙攣からの返信に挑戦(千賀健永「Buzz」)
もっと返信はやくしてよ行きたいとこ考えてよ我慢することが増えていった(Hey! Say! JUMP「ビターチョコレート」)

 それらの恋から派生してだと思うが、LINE等での返信のやり取りを詠むというのもJ-POP的俳句の特徴であろう。「返信」だけで検索をかけると、その数は228件。しかし、「LINE」で検索すると、その数はなんと3772件となった。LINEが普及したのはここ10年ほどの出来事である。年に400件弱のペースでLINEが歌詞に登場する歌が生まれているのだ。日本では和歌における返歌などが古来よりあった。その影響かはわからないが、相手からのメッセージは今もなお待ちがちであると言える。


【青空】
行く秋やまた遠くなる青き空 伊藤音々
ラムネ瓶かざして見たる空の青 新堀笙子

空の青を隠す雲が千切れて晴れ渡ってゆく(Aquq Timez「1mm」)
元気ですか? 会いたいですか? ラムネ色の空を見上げてます(川嶋あい「暑中お見舞い申し上げます」)

 空を詠むとき、青空が出やすいのも特徴と言えそうだ。「青 空」で検索すると17458件もの曲がヒットする。しかし、「雨 空」で検索しても15283件と匹敵するほどの数の曲は出てきた。これは完全な主観になるのだが、青空のほうが詠われやすいのはこれまでの俳句の歴史があるせいではないか。俳句は極楽の文学であるとは虚子の言葉であり、青空と曇天とを見て良い気持ちがするのは一般的には前者。ゆえに、曇天よりも青空が多く詠まれ、その詠まれる数の多さのゆえにJ-POPとどこか一致する句が目立ってくるのではないか。


【過去を振り返る】
福寿草空を見上げる記憶あり 佐々木彩乃
雪野原幼心に駆けた日々 藤田翔琉
思い出をラムネの瓶に詰める夜 砂長陽咲

別々の空を持って生まれた記憶を映し出す空(Aqua Timez「虹」)
波打ち際を駆ける子供たちの群れ二人にもこんな時があったはずなのに(GLAY「Blue Jean)
何回ラムネでカンパイ(中略)時が経っても色褪せない思い出よ想い出を君と作ろう(ケツメイシ「夏のプリンス」)

 過去を振り返るのは文学においてよくあることだが、J-POPにおいても多い。例えば「思い出す」とだけ検索しても7782件がヒットした。様々な経験の流れの中で今があるわけなのだから、過去を振り返る場合には工夫を凝らさないとJ-POP的と解釈される恐れがありそうだ。


【オリオン】
電線に絡むオリオン信号は青 佐藤昊世
後悔も憂ひも弾くオリオン座 平賀瑛汰

ふとした瞬間に見えた夜空はあの日のまま都会ではオリオンが妙に目立っています(アンジュルム「Forever Friend」)
ずっと一緒だって約束が解けないようにオリオンを見上げ想い込めた(伊藤かな恵「オリオンに約束」)

 これは冬の季語であるがために仕方ないことだが、オリオン座が詠まれがちである。ただ、J-POPに目を向けてみても、「オリオン」は検索すると368件の歌がヒットする。他の有名な星座である「カシオペア」は76件、「アルタイル」は72件であり、圧倒的に星座ではオリオンが歌われやすい。季語であるから俳句にオリオン座を詠むのは普通のことではあるのだが、J-POPに星座の中ではオリオン座が歌われがちであるとなると、句を作るときにJ-POP的と解されないよう意識する必要がありそうだ。ちなみに、同じ冬の季語であり、もっと広く解釈をできる「冬の星」で検索すると185件しか歌はヒットしなかった。


 以上、第六回俳句賞25の応募作品の中からJ-POP的と解釈できそうな句を見てきた。今回は具体的な場面に視点を置き、どういう場面の時にJ-POPのようになりそうかを考えていったわけだが、冒頭にも述べた通り、何をJ-POP的と思うかは主観による部分も大きい。そのため、単純に句のなかのフレーズがJ-POPのようだと感じる場合もあるだろう。だが、中高生に限らず、作った俳句が既存のもの・言葉と一致しないかを突き詰めるのは、表現を行う者として絶対に考えなくてはいけないことだ。
 ちなみに、今回これを書こうと思うきっかけになった句会で、中高生の俳句にJ-POPに似た俳句が多いと発言したのは、学生向けのコンクールの選者をしている方だった。歌詞のようでなければ(既存の言葉のようでなければ)、もっと上に選べる句もあるのにとも言っていた。自分が中高生ではないからといって、決して他人事と思ってはならないことだ。

俳句評 黒田杏子さんのこと① 森川 雅美

2023年03月25日 | 日記
 3月18日突然の訃報が新聞に掲載される。俳人黒田杏子さん急逝の記事。私は2年ほど前に黒田さんを俳句の師と定めていたため、突然の死は大変ショックだった。11日に山梨県で「飯田龍太」に関する講演をし、翌日甲府市内で倒れ入院し、13日には帰らぬ人となった。
 俳句結社「藍生」を主宰し、現在最も活躍している俳人の一人だった。1982(昭和57)年に第1句集『木の椅子』(牧羊社)により現代俳句女流賞および俳人協会新人賞を受賞。その後5冊の句集を刊行し、俳人協会賞、桂信子賞、蛇笏賞、現代俳句大賞など多くの賞を受賞。さらに、エッセーなど優れた散文家でもあり、2002(平成14)年角川選書として刊行され一昨年コールサック社から増補版が出版された『証言・昭和の俳句』は、昭和に活躍した長命の俳人のインタービューを独白に書き換える独自の文体で、昭和の俳句の歴史を当事者の証言として伝える名著として知られる。また数知れない選考も務めるなどパワフルなまさに八面六臂の活躍をされ、現在の俳句のトップランナーだったので、亡くなるにはまだ若いと思ってしまった。しかし、享年は84歳であるうえ以前にも脳の疾患を患っており、俳句を伝えたいという思いがパワフルな活躍となり体への無理が募っていたのだろう。まさに現役往生、最後まで俳人、俳句の伝道者だった。
 私は黒田さんに「あなたは伸びるから俳句をやりなさい。詩人は言葉が分かっているからすぐに伸びる」と誘われ、1年半くらい前から「藍生」にも参加したが、その「藍生」に毎号発表される俳句は、もちろん商業誌に発表される俳句もそうだが、「書けばすべてが俳句になる」という、神業的だった。いま手元にある「藍生」最新号3月1日刊行号の「蜆汁十四句」から引用する。

ダイヤモンド婚に到達蜆汁
選句選評は天職蜆汁
老いて二人記憶の宝庫蜆汁


 なんでもない句だが見事に俳句になっている。もちろん簡単に書いたわけではないがまったく無理なく自然であり、俳句の息遣いを知り尽くした者だけがたどり着く、人を越えた大きなものへの挨拶句に思える。「平易でいて奥が深い、こんな俳句は書けない」と思わざるを得ない。五七五という短い言葉に実に長い時間があり、それを現在の一点に終結させる。黒田さんは「俳句は言い切り」とおしゃられていたが、まさに究極の言い切りであり、そこからは世界は微動だにしない。
 もちろん、初めからこのような俳句を書かれていたわけではなく、言葉と言葉がスパークするような困難な試みと、巡礼などの多くの事物と積極的に出会う足の動きがあり、始めてこのような境地に至れたのだろう。第一句集が40代であるため黒田さんの俳人といての活躍は、40年強と意外に短く、還暦前の前半期といえる代表作をいくつか引用する。

白葱のひかりの棒をいま刻む(『木の椅子』)
能面のくだけて月の港かな(『一木一草』)
稲光一遍上人徒跣(同)

 このような俳句を読むと、いかに困難な言葉の試みを繰り返し、境地に似た俳句の体力を鍛えてきたかよくわかる。1句目は高田正子『黒田杏子の俳句』(深夜叢書社)によると、1977(昭和52)年、37歳の時の作ということであり、若い感性が素直に流れている。「白葱」を「光の棒」と捉え「刻む」感性は並ではなく、後年の境地に至る第一歩ともいえる秀句。後の2句は1995(平成7)年に刊行された句集に収められ、まさに困難な言葉の探求の足跡ともいえる2句。
 2句目はまず「月の港」の修辞がいいが、さらに素晴らしいのは「能面のくだけて」だ。この言葉がどこから出てきたのだろうか。金子兜太は「造形俳句六章」で以下のように述べている。「意識の活動にとって、さらに重要な要素を付け加えておく必要があります。それは想像力(イマジネーション)です。感受と素行だけでは、所詮狭い論理の世界に止まるしかないですが、想像力が加わるとき、それは拡大され深化します」 この兜太の言葉は引用の俳句の言葉の動きを考えるのにぴったりだ。「想像力」が感受や思考を見事に具現し、絶対に動かない世界となる。3句目はより複雑だ。まず、「一遍上人」がいて、普通は思いつかないが「一遍上人」の生涯が端的に浮かぶ「徒跣」という言葉が置かれ、さらに「稲光」という一瞬に全体を光らす言葉。まさにな複数の世界が乱反射するような、「想像力」が紡ぎ出す言葉の積み重ねに裏打ちされた、誰にもたどり着けない揺るがない世界だ。短い中で言葉は何度も切断と接続を繰り返している。
 還暦以降の後期においては、そのような複数の世界を孕む言葉の動きは保たれたまま、現れる言葉そのものは角が取れたように丸くなり、困難な言葉の試みは露出しなくなっている。また句を引用する。

いちじくを割るむらさきの母を割る(『花下草上』)
蕗のたう母が揚げますたすきがけ(『日光月光』)
鮎のぼる川父の川母の川(『銀河山河』)

 黒田さんは晩年に近づくほど家族の句が多くなり、特に母を描いた句に秀作が多いため、後半期の3つの句集から母に関する句を引用した。まったく難解な部分はなく一読さらりと読めるが、よく読むと一筋縄ではいかない複雑な言葉の動きがある。
 1句目は2005(平成17)年に刊行された句集からであり、書かれている内容にどきりと驚くが、先に引用した2句に比べると、言葉の切断は目立たずスムーズだ。「いちじく」から「むらさきの母」のイメージは無理なく移行する。「むらさきの母」というのも「いちじく」からの印象の連鎖だろう。しかし、「想像力」はここでは止まらない、「むらさきの母」という何とも奇妙な造形をする。「むらさき」には内向的だが強いイメージがあり、古くは高官の着物を「紫衣」といったように、高貴という印象もある。「むらさきのは母」は「高貴な母」、「地母神」というイメージにもつながり、「割る」行為は子は親の栄養を食らいながら生きるという、延々と続く親と子の関係まで想起させる。2句目は2010(平成22)年刊行の句集だが、これも二つの異なる時間のイメージが重なる。鮮やかな一人の母の記憶が立ち上がるのと共に、やはりここにもっと長い永遠にも近づく母の時間がある。「」と書かれることにより、「」は客体として現れ、中七で「ます」という丁寧な言葉で切ることが「」の造形をさらに強くし、「たすきがけ」が神聖なもののように輝いて浮かぶ。そのようないくつもの時間を繋ぐのが、「蕗のたう」という女たちが延延と料理してきた春の植物であり、古語の表記も活きている。3句目は2013(平成25)年の句集。「」、そして「」も個別であるとともに、神話的な自然と未分化な創造神のような側面を感じさせる。「東日本大震災」の翌年の刊行であり、あるいは祈りも入っているのかもしれない。
 かなり雑でおおざっぱな見方でしかないが、黒田さんの句がいかに何気ない景を描きながらも、原初の神話性と繋がっているのは間違いない。だからこそ、一瞬の現在や記憶の景を描きながらも、永遠に近づく普遍的イメージも想起させる。もちろんこのような言葉は一昼夜にできるものではなく、俳句を一生の仕事と定め絶えず俳句の反射神経を鍛えていたからこそ現前できたのだ。
 これからさらにどのような世界に発展していったのか、そう考えると急逝は残念でならない。

俳句時評163回 多行俳句時評(6) 多行形式試論(4)──天皇制、反帝国、超現実 漆 拾晶

2023年02月26日 | 日記
 ベトナム戦争中、ソンミ村虐殺事件を報じてアメリカの隠蔽体質を暴いた伝説的なジャーナリストであるシーモア・ハーシュが今年2月に彼自身のブログで「いかにしてアメリカはノルドストリームパイプラインを破壊したか」(※1)と題する記事を公開した。ノルドストリームの爆破は2021年から計画されており、ロシアに代わる天然ガス供給源となることで利益を得るアメリカとノルウェーの共同作戦だったという内容だが、単一の匿名情報源による曝露とされるもので信憑性が無く、矛盾点も多く指摘されている(※2)。
 私自身はロシアの自作自演だと考えている。なぜなら、結果的に利益を得ているアメリカ(ロシアがウクライナに侵攻すればノルドストリーム2を「終わらせる」と発言したバイデン)の策謀であるように演出すれば、対NATO戦争というプロパガンダを強めることができるし、なによりもロシアにはパイプライン爆破の前科があるからだ。
 今世紀のヨーロッパにおける最初の戦争は現在進行中のウクライナ戦争ではなく2008年のグルジア戦争だった。8月戦争、5日間戦争とも呼ばれるほど短期間で停戦したが、これは紛れもなく戦争であり、ロシアによるグルジアへの侵攻である。この侵攻が始まる2年前にロシアからグルジアへの天然ガスパイプラインが爆破され、グルジアのインフラが麻痺した。NATOに加盟しようとしていたグルジアへの警告だったと見られている(※3)。
 統計グラフを見れば明らかなように、ロシアが2008年、2014年、2022年と数年おきに近隣の旧ソ連構成国へ侵攻する度、プーチンの支持率は急激に上昇した(※4)。このデータが意味するのはロシア国民の汎スラブ帝国主義的性格だろう。モスクワ在住の反体制派タタール人カミル・ガレエフによれば多民族国家ロシアは非植民地化されなかったヨーロッパ最後の植民地帝国であり、植民地支配を受ける少数民族が、マジョリティのスラブ系白人よりも優先的に戦争へ動員されているという(※5)。
 このように民族浄化を推進し、家庭内暴力さえ合法化する国(※6)に併合されることが何を意味するのか、ウクライナ人にはよく分かっている。だから彼らにとって領土の妥協はあり得ない選択で、たとえ核兵器が使われようとも、百年前のアナキスト、ネストル・マフノが率いたウクライナ革命反乱軍のように最後まで抵抗するつもりだろう。ウクライナの数千万人を遺棄して得られる「平和」か、ウクライナ敗北を防ぐためのNATO軍介入=第三次世界大戦か、どちらを選ぶのが倫理的なのだろうか。
 これは実質的な植民地である沖縄と天皇制の関係を考えたとき、他人事では済まされない。ソ連はロシア帝国を滅ぼせなかったし、ソ連が崩壊しきれていないのと同じように、大日本帝国もまた『顔のないヒトラーたち』として生きのびている。そしてこの状況はフランクフルト・アウシュビッツ裁判のようには自国の過去を精算できていないことに起因する。
 昭和は敗戦と同時に終わるべきだった。元号そのものを廃止するべきだった。天皇は数千万人を殺した罪を償うべきだった。だがそうはならなかった。極東のヒトラーたちは自殺どころか失脚すらせず、昨日の敵に掌返しで服従し、象徴天皇制という似非カルトを護持している。
 憂国の戦中派青年たちはそういった戦後を否認しただろう。その怨念は時として『英霊の聲』の台詞「などてすめろぎは人間となりたまひし」のように現れる。三島由紀夫と同じく旧仮名遣い旧字体表記という文化闘争を生涯続けた塚本邦雄は海外旅行を好んだが、彼がその目で茸雲を見た原爆を落としたアメリカに足を踏み入れようとはしなかった。そして高柳重信は、前回の記事(※7)で論じたように、彼の多行形式俳句の出発点において天皇を処刑した。
 彼らの文学に共通する命題は、戦前の超克と戦後の否定だと言えるだろう。高柳重信の多行形式が天皇処刑の句から始まったのはある意味で必然だった。前回も述べたように「虹の絶巓/処刑台」句は東京裁判の最中に発表されている。法学部出身の高柳重信が裁判を注視しなかったはずはない。そして恐らく「処刑台」という語彙が詩句の中で使われたのは短歌にしろ俳句にしろほとんど初めてのことだったのではないか。処刑される対象として念頭に置かれているのは、今まさに裁かれている戦犯や天皇だったと考えても不自然ではない。
 彼が処刑したのは天皇だけではなく、天皇の権威のもとに受け継がれてきた伝統文学そのものだった。歌会始の中継を見れば分かるように、和歌というものは詠まれること即ち発声を前提にしている。これは俳句でも同じことで、一行の俳句は朗読できる。だが単なる行分けではない多行形式俳句ならばどうか。「虹の絶巓/処刑台」の句を音読で表現しようとしても不可能だろう。和歌から俳句へと連なる伝統文学の中で、多行形式俳句とは、詠まれることを拒絶した最初の異端者である。
 高柳重信はなぜ多行形式を選んだのか。多行形式で俳句を書くということは、戦前でも戦後でもない、ここではないどこか(anywhere out of the world)、即ち超現実へと至る手段、天皇制を内部から侵食するためのサイレントストライキ、「行為によるプロパガンダ」なのではないか。「シュルレアリスムがはじめてはっきりと自分のすがたを見いだしたのは、アナキズムの黒い鏡のなか」だったとブルトンが書くように(※8)、高柳重信はかつて自らが信奉した天皇を処刑することではじめて、多行形式という超現実の道、彼が言うところの「黒弥撒」に参入することができたのかもしれない。


※1
How America Took Out The Nord Stream Pipeline

※2
Blowing Holes in Seymour Hersh's Pipe Dream

※3
Timeline of Putin's approval and aggression abroad

※4
Putin's approval rating soars since he sent troops into Ukraine, state pollster reports

※5
Kamil on Nukes and Civil War in Russia

※6
ロシアで「平手打ち法」成立か、家庭内暴力容認の流れに懸念

※7
俳句時評159回 多行俳句時評(5) 多行形式試論(3)──アクティビズム、ナショナリズム、マゾヒズム

※8
手製銃から超現実へ アナキズムとシュルレアリスムから考える現在

俳句時評162回 川柳時評(6) 「分からない」問題と「分かる」問題 湊 圭伍

2023年02月26日 | 日記
 詩歌に関わっているとかならず出くわすのが、「分からない」問題。「俳句は分かりません、季語とかあって難しいです」とか、「詩を書いていますが、あの先生の歌は実験的なので、私には高度過ぎて分かりません」とか、川柳の場合だともっと露骨に、「川柳なのに分からない。川柳は〈一読明解〉でしょ」とかいうかたちで折にふれて目の前にちらつく。音楽や映画でもある程度あるのだろうが、なまじ皆が日常的に使用する言語を媒体にしているので、詩歌での「分からない」問題の厄介さは独特である。音楽や映画と同様に、「個々の作品を面白いと思うかどうかですよ」と伝えるのが現実的な態度だが、(ふたたび)なまじ皆が日常的に使用する言語で出来ているために、「分からない」ことのストレスがそう言われた人の顔に浮かぶのは避けられない。簡単にいえば、バカにされた気になるのだ。それではと、こんなふうに読めばいいのですよ、と丁寧に解説をしたとしても、そもそも作品を読んで少しは「分かる」気になっていないとしたら、ますます心理的な壁を厚くするという結果にしかならない。とても面倒くさい。
 ここでは、図書館で見つけた木津川計著『人生としての川柳』(角川学芸出版、2010年)に典型的な態度が見られたので、それを起点に同問題を考えてみる。それと同時に、「分かる」問題についても考える。こちらは、作者の想定からずれたかたちで「分かられてしまう」ことで、どのような難しさが発生するか、ということだが、「分からない」問題も「分かる」問題も両方、ある程度は共有の「意味」をもつ言語という媒体を使用しているから生じているので、根っこはそれほど変わらないと思われる。
 というわけで、木津川計『人生としての川柳』から少し長めに引用する。

 『川柳マガジン』の「難解句鑑賞」を僕は難儀しながら熟読している。解釈される須田尚美氏の頭脳にただただ感嘆する。それにしても難しい。ときに解釈なしに挙げられる樋口由紀子さんの左の句などはさっぱり分からず、毎日眺めては苦しんでいる。

  五月闇痛いところに船が着く
  掌の中で橋の崩れる音がする
  くちびるの意識が戻る藪の中
  両足が濡れないように嘘をつく

 須田氏によると、樋口由紀子さんは「名実ともに(川柳の)いまを背負っている顔触れ」のお一人だという。そうか、川柳のいまはこういう閨秀によって背負われているのか。僕の苦しみは深まるばかりだ。

 昭和初期の難解詩に北川冬彦の一行詩「馬」があった。
  軍港を内臓している
 これだけである。とにかくさまざまな解釈がなされた。軍国の秘密を歌ったもの、馬の解剖図を描いたもの、陸軍の中に海軍がいる、軍国を嫌悪する感情の象徴……。
 ところが当の作者がこの詩の背景を後日説明して、旅順港を見下ろす丘の下から馬がのぼってきて、その腹が軍港を覆ったのを見て作ったのだ、と。拍子抜けとはこのことである。いっそ黙っていてほしかった。
 あるいは由紀子さんの句にもご自身しかしらない背景があるのだろう。北川冬彦の「馬」が意味不明のまま、しかし魅了したように、難解句の魅力を僕は認める。認めながら、近江砂人はやはり正解だったなあと次の句に深く同意しているのだ。
  佳句佳吟一読明快いつの世も

(pp.59-61、「佳句佳吟は一読明快」pp.57-61より)


 ここには「分からない」意識に陥る人に典型的な姿勢が集約して示されていることを確認しよう。
 「解釈される須田尚美氏の頭脳にただただ感嘆する。それにしても難しい。」という辺り、こういうのを慇懃無礼というのだろう。言いまわしが回りくどく陰湿さがあるのはとりあえず置いて、解釈者の頭脳に感嘆するとしたら、その解釈は明晰なもののはずだ。それなのに、ここでは「それにしても難しい」と続く。なぜこういう言いまわしになるかと言えば、示される解釈以前に、その姿勢や手順に納得していないからだ。須田の作品の言葉を追って読んでいこうとする態度を、どこか小馬鹿にしているのだ((もちろん、そんなつもりはないと木津川は言うだろうし、また、須田があげたらしい樋口の4句は樋口の川柳としてはどちらかといえばつまらないものばかりなので、須田が樋口の作品を理解しているかも分からないが)。その辺りは、後の部分を読んでいるとはっきりしてくる。
 北川冬彦の短詩「馬」についての部分は、これが今かさら難解詩かということはさておいて、木津川の言語作品に対する姿勢の問題点(それは「分からない」問題を折にふれて提示してくるほとんどの人に共通なものだが)を分かりやすく示してくれている。一つ目は、作品には唯一の解釈があると考えていることである。「軍国の秘密を歌ったもの、馬の解剖図を描いたもの、陸軍の中に海軍がいる、軍国を嫌悪する感情の象徴……。」と複数の解釈をあげているが、「とにかくさまざまな解釈がなされた」に明瞭なように、いろいろ解釈が出たことが問題であると木津川は考えている。が、むろん、作品はこのすべての解釈を許容するのである。「馬/軍港を内臓している」という言葉が目の前にあるのであって、上の「さまざまな解釈」はある意味、北川の創作した時代を読み込み過ぎた、むしろはなはだしく限定された読みの範囲に収まっている。解釈は確定されず、より「さまざま」であるべきだろう。(また、解釈以前、「分からない」などと考える以前に、「」の実在感に感銘を受けることがまず詩歌の味わいだろう。その意味で言えば、「分かる/分からない」は二次的な問題で、どうでもいいと言えばどうでもいい。)
 さらに進むと、作者の発想の起点こそが正解の解釈と思っているということが分かる。北川が創作のヒントとなった旅順港での情景について語ったからと言ってどうして「拍子抜け」するのか。「いっそ黙っていてほしかった」で分かる通り、木津川はこの情報を知ると、作品の意味がそこに限定されて面白くないと考えているのだ。しかし当然ながら、発想の起点となるものと完成した作品は、最終的にはまったくの別ものである。創作や読解の場では当然の前提を書いているようだが、ただし、こうした誤解は、詩歌の会での自句自解に対する警戒にも見られるものであり、詩歌に素養があると思っている人たちのなかでも意外に深く根をはっている考えである。作者が発想の起点や作句の手順についていくら情報を提供したところで、それは作品の価値とは関係がない。せいぜい、他の読みと並列される一つの読みの可能性を示唆するに留まる。
 この誤解は、「あるいは由紀子さんの句にもご自身しかしらない背景があるのだろう」にある根本的な無理解につながっている。つまり、作品そのものではなく、作品の「背景」のほうが重要で、正解だと思っているのだ。樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社、2020年)に、樋口の「永遠に母と並んでジャムを煮る」の一種の自句自解が入っている。そこには樋口の母とのしっくりいかなかった関係が語られている。おそらく、木津川のいう「ご自身しかしらない背景」であり、これを読むと木津川は安心してこの句が「分かった」気になるのだろう。
 だが、当然ながら、「永遠に母と並んでジャムを煮る」の一句を樋口のこの短いエッセイ(それ自体一種の創作だ)と合わせて読む必要はないし、樋口は、たとえば、母との関係が友人同士のようだったので、永遠に同じ時を過ごしていたかったという思いをこの句に合わせる読者を否定することはないだろう。この句は、「母と並んでジャムを煮る」という多くの人が経験し、また経験したことがなくても想像できるシチュエーションを、「永遠に」という大ぶりの副詞によって、読者がさまざまな思いをそれぞれに持ち来たって味わうことができるように、言語によって構成されたものなのだ(むろん、これも解釈の一パターンに過ぎない)。樋口の体験や思いがどのようなものだったかは、読者の体験とは直接に結びつくことはない。「永遠に母と並んでジャムを煮る」という言語表現によって、それらさまざまな体験や思いが結びつけられるのは感動的ではあるものの、それはあくまで「永遠に母と並んでジャムを煮る」という言葉の集まりを起点としている。作品は決して、経験や意味や思いに還元されることはない。
 「経験や意味や思いに還元されることはない」と書いたが、このうち、「経験」や「意味」に関しては、川柳、また他の詩歌についても現在はある程度理解は進んでいる。残るは、「思い」であるが、この点についても木津川『人生としての川柳』から引用し、確認してみる。

 素人の僕は悲しい。難解句にときに出合って自らの解釈力、その貧困に嫌気が差してばかりなのである。今日の川柳界は溢れる凡句と少数の難解句が幅をきかすのである。
  トルコ桔梗の青見せてから首絞める    石田柊馬
 いとう岬さんが『川柳マガジン』二〇〇八年九月号の「難解句鑑賞」で挙げられた句だ。いったいどういう情景、いかなる意味なのか、僕にはさっぱり分からない。岬さんは言う。「この句は意味を伝えようとしているのではない。作者が描く心象風景を、感じる人は感じればいい」にほっとするが、感じない人間は不感症を自覚するしかない。

(p.79-80、「凡句と難解句」pp.78-81より)


 木津川の態度は相変わらずなのでもうよいとして、ここで問題にしたいのは、引用されているいとう岬の意見(「この句は意味を伝えようとしているのではない。作者が描く心象風景を、感じる人は感じればいい」)である。この意見も、詩歌の場においてはしょっちゅう耳にするもので、一見「難解句」を認めているように見える。ただ、「作者が描く心象風景」が先にあってそれを作品が写しているのだというのは、先に経験や伝えたい意味があってそれを写しているのだというのと同じ構図である。「心象風景」、「思い」、「感性」、どれでもいいが、あらかじめ何かがあり、作品はそれを伝える道具にすぎないという考え方なのだ。経験や意味が外界や社会にあり、思いはひとの内面にあると想定されているだけで、作品がそれらとは別個にあり、作品を味わうとしたらまず作品から始めるより他ないということを、残念ながら理解していない。「心象風景」が見えたように感じられたとして、それは作者が心の中に描いたものだと判断してしまうのはどうしてだろう。
トルコ桔梗の青見せてから首絞める/石田柊馬」には当然ながら、作者から独立した言語表現として読み解くだけの十分な仕掛けがある(一読でそれがすべて解読できるわけではないが、そこに何かがあると感じられるだけの表現になっている)。何かを「見せてから首を絞める」のは、殺そうとしている相手に殺す理由を少しだけでも理解してもらいたいからだろう。それが「」であるというのは、殺す行為がその場の思いつきや突発的な怒りではなく、もっと冷静な判断であるからであると読める。またこの「」はただの青ではなく、「桔梗の青」であり、さらには「トルコ桔梗の青」である。この具体性には、殺す理由、また絞殺者と被害者との関係が他では代えられない独自のものであることを示唆するだろう。ここまでで、この句が言語表現として独自な達成をしていることは明白だ。さらに、「トルコ桔梗」にどのような思い、意味をのせるかは読者の判断による(青のトルコ桔梗の花言葉は「思いやり」ということだが、そうした背景知識をとらず、少しキザな絞殺者のパーソナリティを読むといったところで落ち着けてもよい)。確認しておくが、ここで示した読みはあくまで、句の具体的な言葉の読みであって、あいまいな「心象風景」といったものではない。さらに上七のかたちや、「トルコ」という片仮名、「桔梗」という画数の多い漢字で始まるヴィジュアル的な印象など、様々に考慮することができる。
 「分からない」問題は、以上述べてきたように、言語表現それ自体への注目を避け、それとは別の要素を起点としてしか読むことを知らない受容態度、また、そうした作品外の何かが解釈としての「正解」であり、それを当てることが「分かる」ことであるという意識から、ほとんどの場合は来ている(「ほとんどの場合」とは思わせぶりだが、上手くいけば次の話題でそのことにもふれられると思う)。なので、「分からない」問題に出くわしたときには、とりあえず作品の言葉から読んでみましょうよ、ということにしかならないのだが、そもそも、作品の言葉を読んでいこう!に付き合おうことに同意してくれるのはそれなりに作品に興味をもった人であって、たいていの人は「分からない」と感じたものを「分かろう」とする労力を言葉に払おうと思わないのである(と、この文の最初のほうに書いたことに戻ってゆく)。かわりに、こう読み解いてはどうでしょう、と伝えても、「[あなたの]頭脳にただただ感嘆する。それにしても難しい。」とか言われてしまうのがオチなのだ……。まあ、詩歌に関わる以上、「分からない」問題とはほどほどに付き合っていくしかないのです。
 さて、ここで、話題を「分かる」問題に転回したい。こちらのほうが、実際は実りが多い論点である。
 暮田真名は『アンソロジスト』Vol.4(2023年1月)掲載の「音程で川柳をつくる」で、音の高低の流れによる自らの作句法を解説している。意味からの作句にこだわりがちな多くの川柳作家にとって参考になる手法である。最近読んだアーシュラ・K・ル=グウィン著『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』が「第一章 自分の文のひびき」と、文の音をとりあげるところから始めていた。散文でさえそうなのだから、短詩において創作の起点となるのが句や歌の音であるというのは改めて確認しておくべきことだろう。
 ただし、ここではあえて、言葉の「意味」について、暮田がこの文の中で作例としてあげている自句、
 
お話にならない棋譜が増えてゆく 暮田真名

 をとりあげて考えてみたい。とは言え、まず、暮田の論をまとめておかないとピンとこない気がするので、とりあえず手短にそうする。
 暮田はこの句をまず、「お話にならない~が増えてゆく」という「骨格」を考えたうえで、「お話にならない2が増えてゆく」というかたちで「2」の部分に入る適切な音程の二音として、それに当てはまる「椅子、岐阜、棋譜」をリストアップし、中でも暮田にとって「本当らしく感じられる」(この辺りは暮田の感覚なので、ピンと来ないかもしれない。というか、正直私はピンと来ない、というのも、東京育ちの暮田と違い、云々)という理由で、「棋譜」を選んだ、と説明されている。音の手法については、恐らく個人の感覚にこだわって、自分にとって根拠があると考えられる音を選ぶ、そのことが結果として他の人にも説得力をもつと考えるしかないだろう。暮田の句に関していうと、途中の段階では疑問が生じるものの(「岐阜」と「棋譜」が同じ音程とは私には思えない)、最終の句については説得力のある音のつらなりとなっていると、私は感じる。同じ音程を感じるというより、根拠があると思われるところまで追求したということにこそ意義があるのだろう(暮田さんの論は、全文を読むことをおすすめします。『アンソロジスト』掲載の他の創作家の文も合わせて、いま表舞台に登場してきている人たちがどういう発想をもっているのか分かります)。
 さて、ここで問題にしたいのは、暮田が(間違いなく意図的に)ふれていないこの句の言葉の「意味」である。暮田の他の句を見る限り、「お話にならない棋譜が増えてゆく」は暮田にとって、意味の薄い、あるいは少なくとも意味をずらした句のはずだと思う。推測だが、暮田はじぶんにとってあまり興味のない分野の語彙をとりあげて作句する場合が多いように思う(「選球眼でウインクしたよ」―野球に、と言うか、スポーツにあんまり興味ないでしょう。「ティーカッププードルにして救世主」―ティーカッププードルを見て「カワイイ!」となる人はこのような句は書かない)。おそらく、「棋譜」という言葉がもっとも頻繁に使われる囲碁や将棋の世界とは無縁に暮らしてきたのだろう。
 さて、問題(ここから本格的に、「分かる」問題に入ります)は、「お話にならない棋譜が増えてゆく」という言葉は、それなりに囲碁もしくは将棋に興味がある人間からすると、あまりに意味が通り過ぎる内容になっているということだ。私個人を俎上にのせると、ちょうど川柳を始めた十数年前あたりから将棋にも興味をもっており、プロの将棋を鑑賞し、ほぼ毎日インターネットの将棋アプリで2~3局指す生活を続けている。にもかかわらず、いまだ、そこそこの強さの基準となる「初段」には到達していない。つまりは、文字通り、高段者から見れば「お話にならない棋譜が増えてゆく」日々を送り続けているわけだ(今の将棋アプリはご丁寧に、その「お話にならない棋譜」をえんえんと保存しておいてくれる)。無駄にしてきた時間のなんと莫大なことか。
 私のような不真面目なアマチュア将棋指しなら冗談で済む。ただし、プロを目指して奨励会で将棋を指し、しかし、次々現れてくる「天才」たちに追い抜かれながら夢を諦めきれず、自らの「お話にならない棋譜が増えてゆく」ことに心身を削られる思いの若者ならどうだろう。もっとも、現在世界で最も将棋が強い藤井聡太五冠の生み出してゆく棋譜と比べて、何十年将棋をプロとして指してきた俺は、と忸怩たる思いに駆られている中堅、ベテランはどうか。その藤井聡太でさえ、人間からするとほぼ神の領域とも見えるAI将棋の棋譜に比べて、「お話にならない棋譜が増えてゆく」という思いをもっていないとも限らない、その絶望……。
 と、まあ、大げさに書いてみたが、問題は、言葉で書く以上、いかにナンセンスに書いたところで、どこかの誰かにとってその言葉の羅列が意味を、場合によっては切実な意味をもってしまう、「分かって」しまう可能性はあるということなのだ――「分かる」問題である。そのトピックが「棋譜」程度であるならば(一部の人々に心理的ダメージを与える可能性があるとはいえ)まだ大したことではないかもしれないが、もっと危ういトピックならどうなるか。さらに深刻なのは、自分にとって「外し」を狙ったトピックは自分にとって(当然ながら)理解が及ばないものであるので、どこに地雷があるかを知るすべはない、ということだ。
 強引にまとめると、現在の川柳の創作は、こうして、「分からない」問題と「分かる」問題に挟み込まれるかたちで行うより他がないのである。木津川の本のタイトルは「人生としての川柳」だが、ここには「人生というのは人が違ってもだいたい同じようなもので、人生について語るならば共感が得られる=分からないことはない」という一昔前の社会的通念だ。そうした通念は20世紀後半のいつかに失効した(注)が、まだそうした通念に沿って詩歌に関わる人も多い。「自分は庶民派」という一見謙虚だが多数派意識におもねった態度から来る面倒くささは、まだまだ私たちとともにある、というか、「反知性主義」がメディアでのスタンダードとなる時代に、まずます厄介さを増しているかもしれない。暮田はそうした古臭い通念を真っ向から否定している、というよりは、暮田の句そのものがそうした通念の否定そのものというべきかもしれない。そこでは、最低限の「共感」が何によって成立するか(たとえば音の響きによって?)、自分とは「共感」領域が異なる人の読み(それを誤読ということはできない)をどう考えるかが問われているように思う。暮田が「お話にならない棋譜が増えてゆく」のような分かりやすい陥穽にハマることが少ないのは、こうしたことに意識的、無意識的にじゅうぶんに自覚的だからだろう。
 現代川柳が川柳外から注目をある程度浴びるようになってときおり気になるのは、ナンセンスな言葉の表現だけに注目されることが多く、短歌について穂村弘が言った「共感」と「驚異」のうち「驚異」だけがあるのが川柳だといった見方が示されることだ。ただし、ナンセンスや「驚異」といったものは、当然ながら、意味や共感といったものとセットでしか機能しない。ナンセンスに見える暮田の句でも、「お話にならない~が増えてゆく」にある、どこか諦めたような調子にうっすらとながらも共感が生じることで成立するのである。「言葉の脱線事故」(暮田)が起きるためには、そもそも線路がなければならない。ほんとうに何もない荒野を走る列車などないのである。また荒野でないとしたら、脱線した先に誰かの家が立っている可能性も否定できない。「川柳は命綱なしのポエジー」(瀬戸夏子)だが、以上のように考えると、それに留まることのない物騒さを覚悟しなければならない。これはこれで面倒くさいが、こちらにしかこれからの川柳の可能性がないことは明らかである。

注 川柳についてのこの辺りの歴史的経緯は以下の文の湊担当のところに書いているのでご参照ください。
平居謙・尾崎まゆみ・湊圭伍・わたなべ じゅんこ「短詩系文藝の現在 : 「MJSK 短詩系文藝四重奏」の意義と可能性」『国際観光学研究』(平安女学院大学)第2号
https://st.agnes.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2527&item_no=1&page_id=13&block_id=31

俳句時評161回 令和のファッション俳句鑑賞 三倉 十月

2023年01月30日 | 日記
 この「詩客」の俳句時評では、自分の興味がある分野を自由に考えながらテーマを選び、これまで「妻俳句(not 妻恋俳句)」「食の俳句」「SF俳句」と書かせて頂いた。それぞれ繋がりもないし脈略もないが、どれも大好きなテーマであることは間違いない。そして今回、自分が最近好きなものとして「ファッション俳句」の鑑賞をしてみたい。

 鑑賞にあたり、ひとまず「ファッション」という言葉の定義を確認したところ、以下のようにあった。

【ファッション】
流行。はやり。特に、流行に即した服装・髪型など。また、単に服装の意にも用いられる。(デジタル大辞泉)

 ふむ。どれも納得できるが、「単に服装の意」が最もしっくり来る。流行を追うだけがファッションではないし、服を着ない人はいない。何を着るかは季節にも密接に関わっている。今回は流行りだけに拘らず、服飾全般を取り上げてみたい。

 服飾に関する季語は色々ある。夏ならば「Tシャツ」「レース」「サンドレス」「アロハシャツ」「サングラス」、冬ならば「コート」「セーター」「カーディガン」「ブーツ」。どれも季節が変わり目には、ファッション誌に登場するキーワードだ。

 春と秋は具体的なアイテム名は少なくなるが、春には「春服」「春コート」「春ショール」やお花見にきていく「花衣」など。秋には「秋袷」があった。(洋装メインで引いてしまったが、もちろん他の季節にも和装の季語も多い)。

 こうした服飾に関する季語を中心とした、ファッションアイテムが登場する俳句をいくつか、季節順に紐解いてみたい。



春服の人ひとり居りやはり春 林翔

 立春は毎年2月4日頃。寒さのピークの終わりあたりだろうか。この日から俳句の当季雑詠では春の季語になるし、ファッションに敏感な人の服は少しずつ春にシフトチェンジしていく。もちろん「そうしなくちゃいけない」ではなく、「そうすると楽しい」という細やかな話。電車の中、街中、オフィスの中で重い冬服の合間に軽やかな春服を見かけたら、それはやはり春の兆しである。「ひと」「」「はる」などの音が一句の中で繰り返されていて、少し浮かれた感じを覚えるのも春らしくて良い。

廻転扉出て春服の吹かれけり 舘岡沙緻
春コート巨船より去りひるがへり 加藤瑠璃子

 さて本格的な春の到来だ。日が伸び、暖かい日が増え、ゆっくりと草木が芽吹き始め、桜の蕾も膨らみ、そして、何より風が強い。春というものはとにかく風が強いのである。軽やかな春服が、ショールが、スカートが、ワンピースが、そして薄手のコートが、風に吹かれて翻る。海の上でも、都心の大きなビルの間でも、豪快に端々をばさばさひらひらとさせている。

暮れかぬるジーンズの破れ目の肌 小川楓子

 暖かくなって来れば、自然と軽装になる。冬にはとても着れなかったダメージジーンズも、春風の中では心地よい。ゆっくりと暮れていく春の夕方に破れ目から覗く肌には、まだまだ青春を謳歌する強さを感じる。

半袖やシャガールの娘は宙に浮く 三井葉子

 夏がやってきた。立夏は5月5日頃。ゴールデンウィーク前後は急な寒さが戻ってくる日もあるが、これ以降はどんどんと夏に近づいていく。夏といえば老若男女、半袖が基本の季節。この時期にはまだ少し早いけれど、ファッション好きの中には浮き立つ心で半袖を着始める人も結構いるだろう。シャガールの「青いサーカス」の娘のように、わくわくに大胆に行こう。

ハイヒール山に突き刺し夏に入る 加納綾子

 ハイヒール(しかも突き刺さるからピンヒール)で山に行ったら方々から叱られそうだが、ロープウェイで展望台までちょっと登るくらいは許して欲しい。少し登るだけでも夏の山の空気は清々しく、元気に一方を踏み出したものの、展望台までの道は舗装されていなくてヒールが刺さっちゃったりする。汚れたヒールと共に、大事な旅の思い出だ。

柄に柄合はせて楽し南風 箱森裕美

 柄に柄を合わせるのはオシャレ上級者のすることだ、な〜んて、そんなルールはほっぽり出して、大好きな柄と大好きな柄の組み合わせを自由に伸び伸びと考えるのはなんて楽しいことだろう。大きくて優しく心地よい南風が、そんな自分の”大好き”を全部包み込み肯定してくれる。


あたらしい水着のはなしサラダバー 神野紗希

 四十代の自分から見ると、この句には「あの頃の楽しい夏」が全部詰まっている。大好きな女友達と、これからいく楽しい旅行の予定と、ちょっと冒険しちゃうかもしれない水着と、それ以上にもっともっと尽きることのないおしゃべりと。恋は始まる前が一番ドキドキするし、旅行は準備が一番わくわくするし、水着だって選んでいる時が一番楽しい。永遠にこのサラダバーに居たかった。

たたみたる日傘のぬくみ小脇にす 千原叡子

 昨今の日本の夏は日傘がないと生き抜くのも厳しい。最近はデザインの種類も豊富で、自分のスタイルに合った日傘を探すのも、ファッションの大きな楽しみの一つだ。そんな戦友、日傘先生を屋内に入りさっとたたむと、たっぷりと太陽の熱を吸いじんわりと温かい。クーラーがぎゅっと利いた屋内では、案外それにホッとする。

秋雨や鎖骨に歪むネックレス 西生ゆかり

 秋がやってきた。立秋は8月8日前後でまだまだ暑いけれど、お店のショーウィンドウはじわじわと秋物に移行していく。秋雨が降り始める頃には、急に冷え込む日もあるから注意だ。この句では鎖骨にかかるネックレスが僅かに歪んでいる。ペンダントトップが気づかぬうちにズレてしまっているのかも。長雨が続くとついぼんやりして、ネックレスの存在を忘れてしまう。

秋風やとろりと外すネックレス 西生ゆかり

 こちらのネックレスの句も同じ作者から。こちらはネックレスに「とろり」という擬音が心地よく、とても素敵だなと思った一句。細くて長い、金のチェーンのネックレスを想起した。今日の出来事を思いながらゆっくり丁寧に外すとチェーンがとろりとたわむ。秋の風の爽やかさ、朗らかさも良い。

スカートの襞に月光溜りくる 柴田千晶

 襞のあるスカートと言えばプリーツスカート。プリーツが太いものは学校の制服のイメージに近く、細いものは大人の女性がよく着る定番デザインである。秋の夜に、プリーツスカートで佇み月光を浴びている。ただそれだけの景であるのに、スカートに出来る細い陰影には何か秘密が隠れていそうな空気だ。

祖母はモガ秋夕焼の開きゆく 佐藤文香

 モガは、言わずと知れたモダンガールのことで、1920年代(大正〜昭和初期)に西洋の服装や文化を積極的に取り入れた、いわば当時のファッションリーダーだ。おばあさまはとってもオシャレな女性だったんだろう。秋夕焼の濃い色の中に、いつかの情熱の残像を見る。

右ブーツ左ブーツにもたれをり 辻桃子

 最近は下手すると10月半ばまで暑い日があるので、11月7日前後に立冬を迎えても「やっと秋が来たな」と思う感覚ではある。だが、気候が追いついていなくとも履きたいのがブーツ。かっこいいスタイルにも、フェミニンなスタイルにもよく合うが、脱がれている様はパンプスに比べて少し滑稽だ。ブーツキーパーがなければすぐにくたっとしてしまったり、諦めてぱたりと倒れてしまったりする。この句のように互いに凭れ掛かり何とか立っているのなら、絶妙に良い感じとも言える。

セーターにもぐり出られぬかもしれぬ 池田澄子
 
 寒い季節に安心して身を預けるのはやはりセーター、ニット類。ほっこりしたシルエットにはなってしまうが、寒さの前ではおしゃれの気概もしょぼくれて、毎日セーターを着る。ぼんやりと頭を潜り込ませれば、何かに引っかかって出れなくなったり。いやむしろ、この暖かで安心できる場所から、出たくないのかも。

セーターの袖から我のほどけさう ばんかおり
 
 そんなセーターを愛し愛されながら冬を何とか生きていく。空は重くて、世界は薄暗くて寒くて頭がぼんやりしてくる。セーターと自分がほぼ一体化する頃に、ふと気づけば袖が綻びかけている。そこからゆったりと、セーターと共に自分も解けていくような感覚に陥る。何もかも全て冬の倦怠感と一緒に。

色褪せしコートなれども好み着る 杉田久女

 ここまでは現代の俳人の句を多く取り上げているが、この句を詠んだ杉田久女は明治生まれ。大正から昭和初期の俳人である。
 毎年、色んなブランドから色んな種類のコートが出ているけれど、本当にお気に入りのコートと出会うのはそうそう簡単なことではない。物が溢れている今の時代でさえそうなのだから、この句が読まれた時代は尚更だろう。色が褪せていても好みだからという理由で着るコートは、本当に自分の体によく合って心地よいコートなのだろう。そんな一着と出会えるのは幸せなことだ。

アイロンをあてゝ着なせり古コート
句会にも着つゝなれにし古コート 杉田久女

 杉田久女は他にもこんな古コートの句を読んでいる。(同じコートだと仮定して)本当に気に入っていて、丁寧に手入れをしながら、大切に着ていたんだろうな。「愛着」という言葉があるが、自分の持ち物の手入れを愛情を持って行うと、例えそれが物であっても愛情ホルモンのオキシトシンが出ると読んだことがある。そんな風に愛せるものだけでクローゼットを構成したい、という想いはずっと持っている。

ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子

 そして再び春が来る。例えば去年の春先に「素敵!」と思って買った服でも(よほどの”霽れの日用の服”というわけでなければ)やがて生活になじみ、今年のふだん着になっていく。特に肩肘を張ることもなく、それでいてささやかながらに華やぐような、そんなふだん着、ふだんの心を目指したい。




出典:
角川俳句2022年11月号(株式会社KADOKAWA)
角川俳句2022年12月号(株式会社KADOKAWA)
角川俳句2023年2月号(株式会社KADOKAWA)
合本俳句歳時記 第四版(株式会社KADOKAWA)

炎環 Enkan No.509 2022年11月号
『覚えておきたい極めつけの名句1000』角川学芸出版 編(株式会社KADOKAWA)
『新撰21 (セレクション俳人 プラス)』筑紫磐井 編(邑書林)
『超新撰21 (セレクション俳人 プラス)』筑紫磐井 編纂(邑書林)

句集『すみれそよぐ』神野紗希(朔出版)

『句具ネプリ-冬至- vol.08』(句具)

インターネットサイト:
『増殖する俳句歳時記』清水哲男 https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/index.html