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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評160回  世界と幻視――小田島渚『羽化の街』より 谷村 行海

2023年01月05日 | 日記
 世界を言葉にしたがゆえに言葉の隙間からその多くがすり抜けてしまいます。それでも言葉と向き合うのは、有限の命を持つ者の無限に触れたいという欲望があるからかもしれません。

 上記は兜太現代俳句新人賞を受賞した小田島渚の句集『羽化の街』のあとがきによる。「言葉の隙間からその多くがすり抜けてしま」うとあるが、この句集を一読した際、そのすり抜けは良いベクトルへと向かっている印象を受けた。

石と化す都市や緑雨の鳥祀る

 例えばこの句。「石と化す」と言うことにより、眼前にあるありのままの荒廃した姿を都市は見せてくれる。つまり、都市の持つ今の姿がクローズアップされ、過去の姿が剥奪されている、すり抜けている。しかし、今の世界を言葉にしたがため、過去の世界への憧憬がかえって強まってくる。今を写し取ることにより、確かにすり抜けたものがあることには違いない。だが、その奥に潜んでいた世界を私たちに再提示してくれるようなプラスの効果をももたらしていると思うのだ。

みなかみに逝きし獣の骨芽吹く

 つまり、それは世界の再構築となっている。掲句においても、獣は既に死しており、それを言葉にすることにより、獣の生の記録がいったんはそこで確実に停止してしまう。しかし、その後を描くことにより、獣から円環されゆく世界の永遠性を感じさせてくれるのだ。あとがきにある「有限の命を持つ者の無限」がまさしく現出している。また、何の獣なのかを具体的に描写しないことにより、これもやはり獣へのイメージが広がっていく。言葉にすることによってすり抜けたものはあったとしても、私たち人間にも当てはまるようなさらなる普遍性を獲得している。

指先を鳴らせば変はる雪の速さ
型抜きに抜かれ白鳥つぎつぎと


 そのようなことを考えていくと、何気ない句もどこか不思議な印象を帯びてくる。
 常識の範疇で考えていくと、一句目のようなことは起こりえない。指先を鳴らしたときに仮に雪の速さが変わったとしても、それは偶然そうなっただけだったり、錯覚だったりにすぎない。しかし、それを言葉にすることにより、そのようなことが起きたのだという妙な説得力が生まれてくる。
 二句目においても、起きている事象はごくありきたりなことにすぎない。ところが、型抜きに抜かれた白鳥がまるで生命を持ち、そのまま躍動していくかのような錯覚に陥る。言葉の隙間から幻の新たな世界がぽろぽろとこぼれ落ちていくようだ。

芋虫に咆哮といふ姿あり
囀れり壁に塗り込められし鳥


 そして、この幻視が如実に表れたのはこの二句のように思う。
 一句目は爽波の蓑虫の句を思わせる。爽波の句では目と鼻という顔の細部を見ているが、この句が見ているのは姿そのもの。咆哮という全体だけを描くことにより、その細部は剥奪されている。しかし、見た際の驚きのようなものがそれによって句に表れ、読者は咆哮をしているときの顔やその時の体の様子などを想像する。作者が見た幻想の姿を読者も幻視することができるのだ。
 二句目は描かれた鳥。しかし、絵の持つ迫力などにより、まるでその鳥が絵の中から囀りをしているように感じられる。後半の説明的ともとれる文体から考えると、この鳥が単なる絵に過ぎないことは囀りを聞いているときにも頭ではわかっているにちがいない。しかし、頭ではわかっていてもその囀りの音が頭から離れない。現実をも優に超えていく幻視(幻聴)の強さがこの句にはある。

天使ではないので今宵髪洗ふ

 以上のように、句には世界を再構築する感覚とそこから漏れ出た幻想的姿があるように思う。それでは、自身についてはどうか。「天使ではない」とあるように、現実の自分をあくまでも単なる人間としてとらえている。超現実的にも見えてきた世界に対し、自身はどこまでも現実的存在で、だからこそ髪を洗うのだ。しかし、それはあくまでも有限の命を持つからこそなせること。もしかすると、有限性が消失したあとには、天使になれるかもしれない。現実はあくまでも現実として、そのあとの世界を幻想しているのだ。

 最後に、句集を拝読して惹かれたその他の句をあげて終わりにしたいと思う。

さまざまの桜の果ての墓一基
春雨や大仏のなかがらんどう
春夜へと産み落とさるる黒き山羊
流木のまた流れ出す星朧
紫陽花の冷たさに触れ巡り逢ふ
舞踏の素足花冠を海へ投ぐ
夏雲や飛ぶやうに傘出来てゐる
浮輪から見てゐる空と戦争と
冬の雨また轢かれたるゴシップ誌
撃たれたる記憶毛皮の全面に
発つ船の霞となるも手を振りぬ
大夕焼つぎつぎ見切品となる
青蔦のつひにわれらを這ひ始む
御空より零れ落ちては鳥つるむ

俳句時評159回 多行俳句時評(5) 多行形式試論(3)──アクティビズム、ナショナリズム、マゾヒズム 漆 拾晶

2022年11月29日 | 日記
 環境活動家を何百人と逮捕しているエジプトにおいて開催されたCOP27へ口先だけの偽善者たちが何百機ものプライベートジェットを使って到着するなか、ポルトガルでは、元石油大手幹部の経済大臣が、その辞任を要求する数百人の気候変動抗議者によって襲撃された。イギリスのJust Stop Oil運動、アメリカの物流ストライキ、イランのフェミニズム蜂起、ロシアの徴兵忌避、中国のアンチワーク(躺平、摆烂)など、各国で市民的不服従の機運が高まっている。
 これらはヌリエル・ルービニが言うところのメガスレット=巨大脅威(人工知能台頭、人口過多、スタグフレーション、通貨暴落、債務危機、金融崩壊、脱グローバル化、新冷戦、気候変動、パンデミックなど)がそれぞれ波及し合って増幅される複合危機=ポリクライシスの現実に対する最後の抵抗に他ならない。代表的なポリクライシス論者のアダム・トゥーズは、世界の金融の不安定性に関する限り、最も重要なパズルのピースは日本だと指摘する。理由は、日本が世界最大の対外債権国であり、過去十年で日銀が禁忌の財政ファイナンスに手を染める世界唯一の財政従属中央銀行へと変貌してしまったからなのだが、この事態を招いた張本人はその結末を見ることもなく暗殺された。
 7.8事件の深層が明らかになるにつれ、かの荊軻の故事が脳裏を過り始める。白虹貫日。この成語に因むわけではないらしいが、偶然か必然か、東アジア反日武装戦線は昭和天皇暗殺計画を「虹作戦」と呼称した。(計画は未遂に終わり、天皇のための爆弾は三菱重工爆破に転用された。日本企業が戦後なお帝国主義的侵略を資本主義体制下において続けているという彼らの見立ては、今年になって敵基地攻撃能力のための長射程ミサイル開発を三菱重工が担い始めたことを考慮すれば炯眼だったようにも思える。)
 三島由紀夫亡き後の1970年代、大道寺将司らが「虹作戦」を準備する一方、高柳重信は「日本海軍」という標題を掲げて多行形式の俳句作品を発表しはじめる。地名からとられている旧日本海軍の艦名を新しい歌枕と見立ててそれぞれの句に詠みこんだのだ。私は当連載の前回で「多行形式=革新」「一行定形俳句=保守」というような図式化をしたが、ここには意図的な見落としがある。それはつまり、多行形式を創出した高柳重信は、俳句表現においては確かに革新派だったが、彼自身が左翼的だったとは必ずしも言えないということだ。

 高柳重信はむしろ戦中派知識人の例に洩れず天皇主義者だった。家族の証言によると、戦前の彼の蔵書には皇国史観に基づく歴史書が数多く並び、敗戦時には米軍の上陸に備えるため、それらの本を壺に入れて土へ埋めたらしい。吉田松陰の教えを毛筆で書き写し、和綴じにして、重信自身の血で誓詞と署名を刻んでいたともいう。また、岩片仁次編集の略年譜によると、重信は敗戦直後、「福寿院本堂にて勤皇文庫『保建大記』『中興鑑言』を筆写、亡国を嘆ず。なお時期不明なるも、 憂国の情を発し『群』にいた小崎均一等とある種の行動を企画したと推定される。それは志においては、 後の三島由紀夫の自刎事件の情と相似たものであった」。
 このようなエピソードを知るにつけ、占領下において「敗北の詩」と題する敗北主義俳句論を発表した高柳重信の心理にマゾヒズムを見出すことも難しくはない。戦後、山口誓子がいわゆる戦後青年を批判したことに対して高柳重信は世代論を展開し、自らの心象を「負けのせり上げ」と表現している。

戦後青年と彼が呼ぶ一群は、大きな傷をうけているのである。あの戦争の間に、そして、その終局がもたらした戦後の嵐の中に、いわゆる戦後青年は徹底的に傷ついたのである。戦中戦後を通じて、僕は、そして、僕等は、徹底的に自分の存在が不正であることに苦しんで来たのである。僕は、ここで、日頃から大嫌いな僕等という言葉を使ったが、いまは、それもやむを得ない。僕は、いま、これを根底に於いては無責任な、しかも威圧的な暴力をもっている言葉としてではなく、一人乃至二人の熱烈な共感者のあることを確信して使用する。
 僕等は、人を殺しながら、また殺されながら、また、それらを見ながら、徹底的に自分の不正に苦しんで来たのである。その上、毎日、毎日、それに対する自己弁護にも苦しんで来たのである。だが、自己弁護など、到底成立する余地はなかった。自己弁護をすればするほど、自分が見失われてゆくのであった。こうした毎日毎日が、僕等を傷つけ、僕等はいよいよ傷ついて行ったのであった。そこにあったのは、負けのせり上げだけである。

(「病人の言葉」高柳重信『バベルの塔』pp.154-155)


 戦後日本人男性とマゾヒズムは多くの研究で結びつけられており、その場合のマゾヒズムとは、占領という過酷で認めがたい状況をどうにか受け入れるため、苦痛を快楽へと転倒させる生存戦略、あるいは、強い罪の意識から、自己を罰してほしいと願う心理として用いられている。
 だが、河原梓水「マゾヒズムと戦後のナショナリズム──沼正三『家畜人ヤプー』をめぐって」(坪井秀人編『戦後日本文化再考』2019年)によると、ことはそう単純ではなく、大正後半から末期生まれの「戦中派」知識人にとって戦後とは生き延びてしまった余生であり、そして彼ら(三島由紀夫や、同論中で沼正三と同定されている倉田卓次)のマゾヒズムは、死ぬはずだった者がみる白日夢のようなものであった。その夢のなかで、いまやどこにもない神国日本を訪れること、それが敗戦と占領を経験した知識人のマゾヒズムであり、そしてこのマゾヒズムは、一部のエリート男性たちに共有されていた、近代国家における支配者としての連帯という男同士の権力関係への欲望と表裏一体だったという。
 1923年生まれの高柳重信は倉田卓次より一つ下、三島由紀夫よりは二つ上だ。この三人はいずれも東京で生まれ育ち、大学は法学部を卒業しており、戦中派青年のエリート文化圏に属していたという意味で共通点が多い。「マゾヒズムと戦後のナショナリズム」論を高柳重信に敷衍することもできるだろう。

 彼が戦後三十年を経て『日本海軍』を書いたのは、「亡国を嘆」じて「憂国の情を発」し、「ある種の行動を企画」した自らの青年期が、三島由紀夫の死によって強く想起されたからであるようにすら見えてくる。

腹割いて

花咲く
長門の墓

(高柳重信『日本海軍』)


 『日本海軍』は結果的に彼の多行形式による最後の句集となったが、これほどの皇道観を持っていた高柳重信が、『日本海軍』に至るまでの三十年間、その内面を作品に反映させなかったと言えるだろうか。高柳重信の諸作は今一度「皇道マゾヒズム」とでも呼べるような観点から読み直すことも可能ではないか。

 連合軍占領下の日本、極東国際軍事裁判(1946年〜1948年)が進み、昭和天皇の戦争責任が問われつつあるなか、1947年には高柳重信が多行形式の俳句作品を初めて発表した。

身をそらす虹の
絶巓
    処刑台

(高柳重信『蕗子』)


 ここにも「」が現れている。白虹貫日の故事を踏まえるならば、処刑台に据えられているのは裁判で死罪を宣告された天皇ということになるのではないか。飛躍があるかも知れないが、この天皇の姿に聖セバスティアヌスを重ね合わせることもできる。同時期に三島由紀夫は自伝小説『仮面の告白』を書いて1949年に発表、作中特に有名なのは聖セバスティアヌス殉教図のくだりだろう。聖セバスティアヌスに関しては、戦前邦訳されたトーマス・マンの『ヴェニスに死す』でも言及されているため、戦前から外国文学に親しんでいた高柳重信も一般教養の範疇で知っていたと考えられる。虹はrainbowとも言うように世界中の神話で弓に擬えられている。その虹=弓が「貫」くのは、「日」であり血塗られた日章旗であり天孫たる天皇であり「身をそら」して殉教するセバスティアヌスでもあった。そしてここには、弓に貫かれたはずの天皇=殉教者自身が「身をそらす虹」の弓そのものでもあるという自罰的倒錯が見られる。
 高柳重信の多行形式は最後の『日本海軍』を待つまでもなく、既にその出発点から皇道マゾヒズムに捧げられていたのだった。

俳句時評158回 川柳時評(5) 川柳の選について―「厳選」と「抜句全句評」の試み 湊 圭伍

2022年11月21日 | 日記
 川柳の質を高めるには、句会のやり方や選者のあり方を考え直す必要がある。
 別にこれは私の独創の考えではなく、また現在だからそうだというわけでもない。名前をあげていくと切りがない数の、しかもいろいろな流派・立場の川柳人たちが、もう数十年に渡って言い続けてきたことである。
 「詩客」の読者で川柳の句会になじみがある人は少数派だと思うので説明しておくと、明治期終盤に「新川柳」として登場した近代川柳は新聞の川柳欄や各地の句会を通して定着していく。その過程で、句会においては、数人の選者が各々一つの題を担当し、集められた句を渡されて、そのうちから数十%(パーセンテージはまちまちである)を選んで、「披講」として順番に読み上げるという形式が通例となった(田辺聖子による岸本水府伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』に、大正期には、全句を読みあげてそれぞれの参加者が気に入った句があれば「頂戴」と声を上げる「頂戴選」形式もあったことが記されているが、参加者の増加に従って時間的制約から「選者披講」の形式が定着したらしい)。今でも川柳句会の会場に行くと、選者が演壇などで前に立って句を読み上げ、参加者がそちらを向いて席に並んで、自分の句が読みあげられると名乗りをあげる(呼名する)光景が見られる。「誌上大会」と呼ばれる書面での投稿形式の句会も同様に、それぞれの題を割り振られた選者が投句から指定された割合の句を選んで並べ、それが句会報として出版される。
 こうしたやり方を互選形式になじんだ俳句の人びとに説明すると、いろいろな疑問を抱かれるようである。Q. 選ばれなかった句はどうなるのか。A. ゴミ箱行き、という言い方はきつくても基本的にはその通りで、その句会においてはなかったものとして扱われる。Q. 選者の選ぶ能力や嗜好によって、選の質がバラバラになるのでは? A. その通り、選者の能力によってバラバラである。また、選句の上手い下手以外にも、披講が上手い選者の読み上げにはライブ感がありなかなか魅力的なのだが、残念な披講に会う機会も多い。Q. みんなそれで納得しているのか。A. 不満を聞くこともあるがこの形式が続いているのは、それぞれのグループの人間関係において、またグループ間の持ちつ持たれつにおいて、それなりの納得を得ているようである。Q. それでそのような形式は、よりよい川柳を生み出すために役立っているのか。A. 残念ながら、そうではないようである。
 まったく残念ながらそうではないので、冒頭に述べたような意見がくりかえし、くりかえし述べられてきたわけである。選ばれた句について熱い議論が交わされるわけでもなく、出しっぱなし、読みっぱなしで散会するので、選ばれたか選ばれなかったかで一喜一憂した印象だけを持ち帰る人も多いらしい(もちろん、落選した自句を深く反省して選ばれた句と比較して熱心に勉強する人たちもいることは否定しない。ただ、上に述べたように選者のレベルや選句基準がまちまちな状況でそうすることの徒労は大きいだろう)。
 それに対する対処法として、一部の小人数の句会では俳句と同じ互選方式を、一部あるいは全面的に取り入れたり、選者選とともに投句全句を参加者に公開して討論の場をもったりすることが試みられてきた。これは一定の効果を上げていると私の体験上は思うが、川柳を書く多くの人々はその恩恵に属していないというのも実感としてある。また、川柳は俳句のように、形式やモチーフから論評するスタンダードな方法が共有されておらず、それぞれ持ち寄った句の良いところ褒め合って終わる(それ以上踏み込むと厄介な議論が待っている)ということも多い。互選の効果はそれぞれのグループの参加者の質に大きく左右される(俳句でもそうだ、というのはもちろんだが、その左右のブレが川柳のほうが遥かに大きいだろうということだ)。

 というわけで、サブタイトルにあげた「厳選」と「抜句全句評」である。 
 「選者選」のスタイルはおそらく川柳に合っている。そもそもが川柳の起源が「前句付」という大量の投句から選者が抜句するという形式から生まれたものだからというのが、その根拠の一つ。また別の根拠は、第一のものとも関連しているが、「前句付」が題から発想するモチーフやスタイルのその多様性を主な面白さとして主張するものであること(これは、前身の俳諧の平句が次へ次へとモチーフやテーマを展開していくことを趣向としていたことにまで遡れる)。したがって、一つの絶対的基準による良し悪しではなく、様々な良さを含み込んであるべきものであること。初代柄井川柳の選が優れているのは、上方に対して新興地域として台頭した江戸の勢いのある社会を自在なことばで切り取った多様な句のその多様性を選に活かしたからに他ならない。
 では、現在の選者披講式の句会のどこに問題があるのだろうか。
 一つには、選が緩くなりがちということである。最初の川柳句会についての説明で書いたように、投句に対する抜句の割合は句会によってまちまちだが、だいたいは30%~40%ほどで頼まれることが多いようである。これは想像するに、参加者が少なくとも1句ぐらいはどれかの題で選んでもらえる(まったく自句が選ばれない「全没」という事態が少ない)ように設定された割合である。これは短期的には参加者を増やすことには効果的な計算である。そもそもまったく自句が選ばれない会に何度も行こうという奇特な人も少ないだろうから。ただし、その分、出来が良くない句も句数を揃えるために抜句しなければならないということでもある。上手な選者であれば、句の並びによって良し悪しを伝えるということも可能かもしれないが、高度なテクニック過ぎるだろう。その結果、ダレた選句を見た優秀な作者がこの程度のものかと川柳を見限る事態が起きる、というか、実際に起きてきたに違いない。どの句会でもよい句はあるだろうが、それを大量の凡句の中から鵜の目鷹の目で探すというのは、別に川柳の楽しみでも何でもないだろう。
 そこで、私が考えるのが、選を厳しくする、より正確には、質として抜句できる作品を選んだ上で、選者にとっての川柳観を示しつつ、選の全体の構成を考慮してさらに句を絞り込むことだ。この場合、必ずしも落ちた句が悪い句とは限らない。ただし、残った句は必ず良い句であり、また、選に残った句とその並びによって、投句者と選者の協力によるその場の川柳性が立ち上がると思われる。これは普通の意味で対話を行う互選よりも、より文芸の本質において対話的になるはずだ。
 もう一つの問題点は、選んだ句についてのコメンタリーが少ない点だ。多くの場合、選者は披講が終わると軸吟(題についての自作の句)を読み上げて、さっと演壇を去る。これは一種粋な慣習で捨てがたいところもあり、上手に演じ切るならば前句付以来の軽みを選においても表現できるのだが、これまたハードルが高い。と同時に、川柳は「消えていく文芸」と開き直るのでないとしたら、作品の価値を積み上げていき、質を維持し、あわよくば向上するという目的には叶わないかたちである。最近では、この問題点に関して、特選や天地人の秀句について選者にコメントを求める句会も増えてきている。ただし、一句や二句についての短い発言は、たいていの場合、選者の嗜好(好き嫌い)の表明に終わってしまう。
 この点について、先ほどの「厳選」と組み合わせるなら、一つの解決を見出せるように思う。句数を絞り込み、パノラミックな選句を意識的に行うことで、選者は自己の川柳観を立体的に示し、また投句者と句会の場の何を評価しているかを言語化しやすくなる。句会後、句会報などでは全句について選評を行うことも可能である。投句者の側も、選者の選について納得がいくかどうか、いくとしたら、あるいはいかないとしたら何故なのかを考え、場合によっては疑問をぶつけることが出来る。

 というようなことを考えて、私が去年から開催している「海馬万句合」では、「厳選」と「抜句全句評」を試みている。手前味噌になるが、まあ、意味のある実験をしてはいると思うので、ちょっととりあげさせていただく。
 「海馬万句合」では、基本的に全題、主催者である私一人が選句することにした(二回目では、初回の大賞句作者の西脇祥貴さんに、一つの題の担当を頼みはしたが)。その上で、選句については「厳選」を明言して、通常の句会では起きるような、数合わせのための抜句はせず、また良句の中からも絞り込み、それぞれの題の選がひとかたまりの群作となることをイメージした。さらに選句後、選んだ全句についてのコメントを書き、各句および全体の選句意図を明らかにした。ある意味ではとてもワガママな試みであったが、参加者の反応は初回、二回目ともよかったと思われる。
 ワガママとは言え、選者のひとりよがりを相対化する試みも行っている。選句発表後、無記名、記名と二回に分けて、参加者を中心に選ばれた句についてのコメントをTwitterおよびメールで募集して共有できるようにした。大賞句に送られる賞に加えて、コメント大賞を用意して、句について語り合う機会であることを強調した。
 対面での句会ではないので簡単に比較できないが、従来の川柳句会のやり方についての一つの批評となる試みとなっているのではないかと思う。
 (「海馬万句合」の結果は、以下のnoteの記事(https://note.com/umiumasenryu/)と、Twitterで #海馬万句合、#海馬万句合第二回 とハッシュタグ検索をすれば見ることができるので、ぜひご一読ください。)

 さて、この「海馬万句合」の試みがひとまず成功したな、と思ったのは、このイベントそのものよりも、これに続くイベントが出てきたからだ(これもいささか我田引水ですが、ご寛恕を)。
 「マダガスカル句会」は、ネット上での川柳の動きを主導している一人で、また、句集『馬場にオムライス』を出版したばかりのササキリユウイチが東京文学フリマに合わせて開催したおそらく一度限りの句会だが、上に述べてきた「厳選」と「抜句全句評」の形式をとっている。

マダガスカル句会の結果発表
https://note.com/sasakiri/n/n9161ff10fa54

 各題投句約90句に対して、各題とも10句(特選1句、並選9句)に選句が絞られており、一句一句に、選者の橋爪志保、暮田真名、雨月茄子春、ササキリユウイチの丁寧で、かつ個性的な評が付されている。川柳の選者をつとめた経験は少なめの選者たちだが、それがかえって選評をそれぞれの川柳観を手探りでつかんでいく過程にしていて刺激的だ。
 数句とその評を引かせていただく。

ホームズの血液型はviolin/白水ま衣

 シャーロックホームズは、バイオリンを弾くんですよね。だから、「血にバイオリンが流れているほどだ」のおしゃれな言い換えと捉えてもいいかもしれません。でもそれだけでなく、「血液型」という硬い語をあえて使って詩的世界を再構築している感じがよかったです。あんな無二の天才なら、「violin」が血液型でも、まあわかるよな、という説得力があるのもいい。AとかBとかOとかABとか、アルファベット大文字でひとつふたつ、ではなく、「violin」。ルール逸脱もはなはだしいですが、これこそが川柳の楽しみのような気がしています。(題「バイオリン」、橋爪志保選評)


百万の子供に一粒の棺/西沢葉火

「一粒の棺」が光っています。「粒」というからには棺はとても小さそうですが、その棺に収まる?「百万の子供」——この「百万」という数字はもしかして「百万馬力」からきているのか?と不安になりつつ——、はさらに小さそうです。だからこの句は鉄腕アトムよりは原子のイメージに近いのかなと思いました。「ひとつ/ぶ」という句またがりもつぶつぶ感に寄与しています。うまく説明できないけど魅力がある句です。(題「アトム」、暮田真名選評)


つるはしで切っては捨てる豆腐店/毱瀬りな

 題への取り組み方が好きな句だった。カレンダーの格子をお豆腐に重ね合わせて、日々が過ぎていく様子を「つるはしで切っては捨てる」と大胆に言い切っている。豆腐店って新しいお店を見ない気がするし、たぶんこの先減っていくお店だと思う。なんとなく「切っては捨てる」という表現に滅びへと向かう哀愁を感じた。この言い方は上手くはないのだろうけど、絶滅するのを待つだけの動物を見ているような気持ちで、「それが訪れるのを待つ」だけの覚悟を決めた背中を見る、みたいな。(題「カレンダー」、雨月茄子春選評)


なんかきみたまごっぽいねしぐさとか/今田健太郎

 とりあえず、これはそういう意味では、少し未来の話はしている。オムライスがこわいことは、もはや前提であって、だとすれば、こちらは痛烈なdis。たまごがコンプラ的にアウトになった世界での発話。最高度の侮辱。そういう感覚をもたずに育った上の世代からの無神経な発言。そういった仮定の中から、句として提出できるところが凄いです。定型の要請により「しぐさとか」が倒置されているのもよいですね。(題「オムライスみんなこわくはないのかな/飯島章友」、ササキリユウイチ選評)


 上記の4句とその評を見るだけで、各々、句と読みのアプローチが違っており、川柳の面白さを探ることそのものが川柳の楽しみになっていることが分かると思う。ぜひ、全題、全句・全句評を通して読んでいただきたい。
 付け加えるならば、句会における作品と選評のぶつかり合いに加えて、個人による自由な発信もあるとよい、と言おうとしたら、これもまた、上記のイベントの参加者たちのオンライン上での発表、さらには、作品集・句集の発行がものすごいスピードで続いていることで現実になっている。従来の川柳界では、選に落ちた句を発表するのは選者に失礼!といった見方があったのからはほぼ180度の転換で、「マダガスカル句会」で検索をかければそれぞれの投句者がさまざまな場所で投句した句をシェアしているのが、また、選者とは別の評を、また選者の評に対する評を書いているのを読むことができる。
 新しい川柳の場と、新しい川柳そのものが起ち上がる現場を、私たちは見ているのかもしれない。

俳句時評157回 令和のSF俳句鑑賞 三倉 十月

2022年11月02日 | 日記
 九月の頭に家族で千葉県にあるマザー牧場に行き羊に餌をやっていたところ保育園から連絡が入り、子のクラスでコロナ陽性の子が出て我が子がいわゆる濃厚接触者になったことが発覚した。とはいえ子が濃厚接触者となるのはこれで四回目だった為、なるほど、またかーと思いながらその後数日は比較的のんきに自宅待機の日々を送り、もう大丈夫だろうと思った矢先に子が発熱。結局、家族三人全員が時間差でCOVID-19を発症する羽目となった。私は久しぶりに高熱を出したが幸い大事には至らず、嗅覚をいっとき失ったがそれも半月ほどで戻り、今は皆、後遺症もなくすっかりと元気である。しかし発熱で数日間寝込むこと自体がなかなか久しぶりで、それなりに辛くはあった。そして、その発熱している間は寝る以外にすることが無かった為、Audible(書籍朗読サービス)で、劉慈欣による中華SFの金字塔、三体シリーズを読破(聴破)した。ものすごく面白かった。それからは、すっかり脳内がSFモードへ……ということで、せっかく天文に夜空関係の季語が多い秋冬の時期でもあるので、今回はSF俳句を取り上げてみたい。前置きが長くてすみません!

 SFと関係なく詠まれた句もあると思うが、個人的に(勝手に)SFだと感じたものを選ばせていただきた。なお私のSFの知識はあまり深くないので、ちょっとSFっぽいもの、つまり、少し(S)不思議(F)も含めて、鑑賞させていただく。


ロボットも博士を愛し春の草 南十二国

 昭和時代の漫画の中で描かれる未来世界のような、どこか懐かしさを感じる一句。ロボットも、ということは言わずもがな、博士もまたロボットを愛していたのだろう。精巧で人間に見間違うようなアンドロイドよりは、手塚治虫の火の鳥に出てくるロビタのイメージ。ロビタの見た目を改めて調べてみたら、ベイマックスにも似ていた。季語の春の草が初々しく愛おしい。
 最近AIが俳句を作ったり、小説を書いたりするというニュースを見かけるが、そうしたAI作品にはまだなんとなく不気味の谷現象を感じてしまう。もし本当に愛を知るロボットが生まれたら、そのロボットが作る俳句は谷を超えてくる気がしている。

人類を地球はゆるし鰯雲 南十二国

 地球の視点から。長い人類の歴史もまとめて包み込むような大きな広がりがある一句。そう信じたいけれど、ほんとうに許すだろうか?とも考える。むしろ、許すも許さないもなく、地球にとっては、人間あるいは他のどの生物に関しても、痛くも痒くもない些事である可能性も否めない。それでも、鰯雲を見上げて大きく息を吸えば、気持ちは落ち着くし、安堵する。明日も今日と同じような一日が続くような気がしてしまうのだ。

星空はおほきな時計山眠る 南十二国

 宇宙をテーマにしたSF小説を読んでいると、光によって色々なものが測られていると知る。そして、宇宙に流れる時間があまりにスパンの長いものであることも。相対的な時間で考えれば人間の一生が1秒にも到底届かない時間軸の時計が頭上に広がっているのだ。それを、すっかり時間が止まったような、静かな山の中から見上げている。

銭湯のひとつ消えたる銀河かな 五島高資

 自分の町から、銭湯が消えた。ただそれだけのことでも町から銀河へと広げていくスケールが面白い。事実としては間違っていない。そして、お風呂で宇宙を感じることはあるし、銭湯と銀河の字が少しだけ似ていることにも気づいた。銭湯がひとつ消えたと言うことで、誰かの心の拠り所、その人の中の星がひとつ消えたということもあるかもしれない。そんなことを考えていたら、もしかしたら銀河のどこかに航海中の人々(?)が立ち寄る銭湯があるのかもしれない、という妄想も広がってしまう。

湯たんぽの地球に落ちてをりにけり 五島高資

 そして湯たんぽである。……湯たんぽ!?
 湯たんぽと地球。この対比の面白さも、銭湯と銀河の対比と近いものを感じる。どちらも中に温かい液体が詰まっている。「落ちてをりにけり」とかなりくどく言い切っているところもまた、じわじわと良い。ただ道に湯たんぽが落ちているだけの景は、それだけでなんかおかしいのに、それが些事であると感じるくらいに、この地球との対比が面白い。

静電気否テレパシー冬の庭 佐藤智子

 大きなSFから、小さなSFの世界へ。テレパシーは代表的な超能力で、それはやはり魔法(=ファンタジー)と言うよりはSFだろう。ちょっとした静電気を、即「否」としてテレパシーとするのが面白い。冬の庭は空が思い切り開けているイメージがあるが(これは私が関東の人間だからそう思うのだと思うが)、同時にしんとした静けさも感じる。鳥や虫の音はしない。誰もいない。そんな中で、ピリッとどこかからテレパシーを受けるのだ。そして、ささっと、あたりを見回してしまうのだろう。

電柱で今日の私に出くはしぬ 鴇田智哉

 こちらも日常の中にふと出くわすSFとして読んだ。ドッペルゲンガー、あるいは、タイムリープなのかな?と、思う。情報量がほとんどなく無季の句であるところも、この句の唐突な不思議な感じを強めている。出くわした、という言い方にはなんとなく、思いがけず、というより少しネガティブなイメージを受ける。そこに、ああ、出会ってしまった……という、そこはかとない不穏を感じた。

映写機の位置確かむる枯野かな 西川火尖

 何かを写し出そうと映写機の位置を確かめ、調整している男。かつての金曜ロードショーのオープニングのおじさんをなんとなく思い出す。だが、場所は枯野である。おじさんはわざわざ枯野に映写機を持ってきたのではない。映写機を回していたら、いつの間にかあたりは枯野になっていたのだ。セピア色の懐かしさと、枯れ色の寂しさが混在している。あのオープニングの音楽がゆっくりとか細い不協和音になっていく。

向日葵に人間のこと全部話す 西川火尖

 青空の下の向日葵畑はさらっと見ると、とても美しくて雄大な光景であるのに、よくよく見るとゾッとする感じもある。向日葵の花ひとつひとつが人の顔くらい大きく、それが並んでいると、物言わぬ群衆に見えるからかもしれない。そして太陽の方を向いて回るということにも、まるで意思があるように感じてしまう。その向日葵に人間のことを全部話すというのは、それだけでとても危険な香りがするのだ。ほら、言わんこっちゃない……と、物語が始まりそうな予感。

ふきのとうロボットに生まれなかった 福田若之

生まれたかったわけでも、生まれたくなかったわけでもない。ただ、ロボットに生まれなかったという事実が書かれているだけだ。まっさらに広がる静かな銀世界に終わりを告げるようにひょこっと顔を出したふきのとうが、無機質と有機質、冷たさと温かさ、機械と命の対比のようでいて、どこか「うっかり」とした感じがあって面白い。あっ、自分、命だったわ。ロボットじゃなかったわ……。

雪女郎冷凍されて保管さる 堀田季何

人類の午後、より。前書きに「雪女郎、人權なき者」とある。
恐ろしい雪女郎という妖怪、お化け、怪奇を、そのまま冷凍して保管する。この、オカルトが科学に解体され、にべもなく囚われてしまうという状況は、それこそ現代の物語のようであるけれど、前書きを読むと、メタファーとして現実で起きている様々な事象に重ねられるようでもある。淡々としていて、どこか乾いているからこそ怖い。

雪女郎融けたる水や犬舐むる 堀田季何

 こちらも同じ並びの雪女郎の俳句。元が雪女郎だった水も、犬にとってはただの雪解け水となる。大昔、理科の先生に英国ロンドンの水道水はすでに人の体を七回通過しているという話を聞いた。その真偽はわからないけれど、今目の前にある飲み水の、H2Oの分子のひとつくらいは、以前何か別の命の形を取っていたかもしれない。そんなことを考えつつ、雪女郎の形の水たまりは、やっぱり科学で割り切れないものがあり、それを理解せずに水を舐めている犬も含めて怖い。

タイムマシン着くどこまでも夏の海 堀田季何

 夏の海というと明るくて煌めいていて美しく楽しい、というイメージが浮かぶが、この句ではとても空虚な景でもある。世界が夏の海と化した世界を想像すると、途方もない無力感に襲われる。最近の異常気象や気温からの経験則からして、これはもう止められないんじゃないかと思ってしまう。もちろんこれは環境保護なんて何をしても無駄だからプラスチックスプーンを使いまくって、石油燃料を燃やし続けよう!というような意味ではなく、個人としてできる範囲でできることはしているし、細やかなところからいわゆる複利の力で将来に大きな変化が生じる可能性は信じてはいる。が、それはそれとして地球が、宇宙が、呼吸をするようなスパンで考えれば、個どころか人類という種が与えられる影響力なんて無に等しいのでは、と思うのだ。どんな未来の先にもいつかは辿り着く、どこまでも広がる夏の海。この句を読むと安部公房の長編SF小説「第四間氷期」のラストにある水棲人のエピソードを思い出す。いつかは全て海となる。安部公房があとがきに記すようにその事実には肯定も否定も、良いも悪いもないのだろう。




出典:
『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』佐藤文香編(左右社) 南十二国、五島高資
句集『ぜんぶ残して湖へ』佐藤智子(左右社)
句集『エレメンツ』鴇田智哉(素粒社)
句集『サーチライト』西川火尖(文學の森)
句集『自生地』福田若之(東京四季出版)
句集『人類の午後』堀田季何(邑書林)

俳句評 ひっつれがなおせない――『百代の俳句』を読みながら考えたこと―― 沼谷香澄

2022年10月14日 | 日記
 今回取り上げるのは、『百代の俳句』(田原編、ポエムピース刊、2021)です。
 現代において、作者の性別を意識しながら作品を鑑賞するのは時代に合わないし、活動中の作家様にはそのような読まれ方をされるのを望まない方もいらっしゃると思います。しかしながら、本書を読みながら、女性と思われる作者の人数が少ないことと、掲載作の題材に対して、もやもやするものを感じたので、この文章のテーマとすることにしました。このバランスの良いアンソロジーをそういう偏った観点で見る人はほかにいないと思います。
 以下に、本書に登場する女性と思われる作者の作品から一人一句ずつ引きました。作者名の後ろは生年―没年、掲載通りです。

春雨やされども傘に花すみれ     斯波園女(1664―1726)
うくひすやはてなき空をおもひ切   加賀千代女(1703―1775)
ながらへて枯野にかなしきりぎりす  諸九尼(1714―1781)
谺して山ほととぎすほしいまま    杉田久女(1890―1946)
藻をくぐつて月下の魚となりにけり  長谷川かな女(1887―1969)
海底のごとく八月の空があり     阿部みどり女(1886―1980)
三井銀行の扉の秋風を衝いて出し   竹下しづの女(1887―1951)
凍蝶も記憶の蝶も翅を欠き      橋本多佳子(1899―1963)
ひるがほに電流かよひゐはせぬか   三橋鷹女(1899―1963)
銀杏が落ちたる後の風の音      中村汀女(1900―1988)
さえずりをこぼさじと抱く大樹かな    星野立子(1903―1984)
蜂さされが直れば終る夏休み     細見綾子(1907―1997)
駅の鏡明るし冬の旅うつす      桂信子(1914―2004)
をさなくて蛍袋のなかに栖む     野澤節子(1920―1995)
泉の底に一本の匙夏了る       飯島晴子(1921―2000)
花ふぶき生死のはては知らざりき   石牟礼道子(1927―2018)
星ほどの小さき椿に囁かれ      瀬戸内寂聴(1922― ママ) 2021年逝去
毛虫の季節エレベーターに同姓ばかり 岡本眸(1928―2018)
深呼吸止めるとこの秋も終わる    宇多喜代子(1935― )
雪積む家々人が居るとは限らない   池田澄子(1936― )
虫かごに虫ゐる軽さゐぬ軽さ     西村和子(1948― )
密やかに雲より出でず稲光      正木ゆう子(1952― )
細胞の全部が私さくら咲く      神野紗希(1983― )

 作品の好み以上に、題材で女性を感じさせない作品を選んでいったつもりです。結果として苦しい思いの残る句が並んだような気がします。
 助詞や接続詞の活きた作品が多いです。特に接続助詞「て」の使い方は短歌に通じるところがあります。あいまいな言い方になりますが、柔らかい句が多いなと感じました。これは上記の、俳人女性枠の作品だけの傾向ではありません。アンソロジー全体が、いいまわしのやわらかく、なんというか、エモの乗った句が多いように感じました。編者解説では、中国語で書かれる漢詩に比較して、日本語で書かれる俳句について次のように論が展開されていました。これが選句基準になっていると言えます。

 日本語には、情緒が心にまとわりついて離れがたいさまをさす「情緒纏綿じょうちょてんめん」という趣深い熟語があるが、まさしく「纏綿」すなわちまとわりつく表現力は、その謬着語特有の融通無碍な性質に通じ、俳句が他言語に向けてよりひらかれる要因になっているのではないか、というのが私の持論である。(「世界と心を凝縮する芸術 編者解説」)

     *

 一般論になりますが、正しいことを正しいと信じ、同じものを正しいと信じる人たちと共感を持ちながら生きて行動することは実は簡単ではない、ということを、日本で生活していると感じます。日本で、といいますが、私には日本以外で生活した経験がないので、いまの暮らしの中で正義を共有することに困難な社会に私は絶望している、というほうが少し正確です。
 ジャーナリストのカメラの前でヒジャブを脱ぎ捨てて女性の解放を訴えるイスラム教徒の女性は、自分がカメラにシュートされるだけでなく、同じ宗教を信じながらも考え方の対局にあり過激な人の銃にシュートされる危険を承知しているはずです。それでも構わないと思えるのは、自分が倒れても続く人がいると信じることができるからだと思います。自分の思いを、同じように思う人たちと共有し、思いは力になり、世の中を動かしていくことができるから。そう信じることができるから彼女たちは強いのだと思います。
 マフサ・アミニさんの事件が長い間世界のニュースから消えないのに、ツイッターでは日本語の個人投稿が全然増えていかない、特に女性と思われるアカウントの発言が皆無であり続けることを、わたしはとても驚いていました。たしかに、外国の、異教の、異文化の話題です。でも、ジェンダーギャップに抵抗する同性をめぐる事件ではないですか。いや、わかります。日本では目立つことをするとすぐに職を失って生活に困りますから。本当に。笑い事ではないし、泣いている場合でもないです。わたしたちは生活しなければなりません。
 余談が長くなりました。これは俳句に関する文章です。
 この本は、中国出身で、日本の現代詩人の研究で博士号をおとりになったティエン・ユアンさんが編纂した、江戸前期から平成までの131人の俳人、または句集を出版した文芸家の作品を、時代順に並べたアンソロジーです。選句の基準が、「他言語に翻訳したときに読み手にどう響くか」(「この本を手にした方へ」)という点に惹かれました。それならば、俳句的教養の乏しい私にも面白さがわかるだろうと考えました。実際、とても読みやすかったです。その原因は、前述の情緒豊かな(共感を呼びやすい)作品が選ばれている理由に次いで、題材の普遍性にあります。花鳥風月、自然天象と生老病死が中心で、文化的背景の解説を必要とする作品が除かれているのがわかりました。そのうえで、時代が下るにつれて、描かれる情景が親しいものになり、作品に触れながら少しずつ息がしやすくなるのを自覚できました。
 しかし、ほとんど最後まで緊張が抜けなかった点があります。男女比です。章立てごとに全掲載人数に占める女性作者の比率を計算してみます。

一 江戸時代前期 …… 1/20 5%
二 江戸時代後期 …… 2/16 12.5%
三 明治・大正時代 …… 1/19 5.2%
四 昭和時代前期 …… 11/46 23.9%
五 昭和時代後期 …… 7/27 25.9%
六 平成時代 …… 1/3 33.3%
全体 …… 23/131 17.6%

 意外だったのは昭和後期以降も思ったほど差が縮まっていなかったことです。もっとも、個別に出版される句集の現物や情報の流通性の悪さは、令和の今になってもそれほど改善していないので、出版年次の新しい作品から選んでいくことには大きな困難が伴うことは理解できます。後世に編みなおせば、平成後期から令和の比率はもう少し違ったものになる可能性もあります。
 たった一冊のアンソロジーでわかることは少ないかもしれません。しかし、日本よりジェンダーギャップの小さい国の文化的背景を持つ編者が、現在参照できる文献から、翻訳に耐えうる名作を広く抄出するという本書の企画には、日本人のもつ根深いアンコンシャス・バイアスがかかりにくいのではないかと考えました。
 女流文学が古くから存在した日本ですから、女性には言語芸術の適性がないなどと主張して女性を排斥するような論は、おそらく江戸初期の俳諧発句成立時から存在しなかったのではないかと思います。しかし、座に迎え入れる人の性別は当然のように選別されたのではないでしょうか。さらに、歴史は男性が記録します。俳諧発句が記録されるようになった時代から、俳諧の座には女性枠があり、女性の作品が記録に残っていたことを喜ぶべきなのかどうかは、私には判断できません。子育て、家事労働、乳房、お産、そういったものを作家の特色とする観点を捨てたうえで江戸時代の女性俳人にどういう作品があったのか。機会があったらもっと鑑賞してみたいと思いました。
 わたしにも思いはあります。同じ思いの人がいることも知っています。私たちは連帯して世の中を変えていくことができるでしょうか。昔、詩には世の中を変える力があったと言いますが、今はどうでしょうか。