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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評187回 柿本多映の俳句について 横井 来季 

2024年10月05日 | 日記

 今回は、あまり時評らしくは見えないですが、私が現代では貴重な俳人と思っている柿本多映の俳句(今回、『夢谷』から『白體』まで)について、鑑賞していきます。ご一読いただければと思います。

・『夢谷』(書肆季節社)

1.立春の夢に刃物の林立す
 夢を見た。刀や包丁など、あらゆる刃物が、刃先を宙に向け、林立している。明晰夢の中で、この人は、立春のちょうどその日に、奇妙な夢を見たと冷静に思っている。もしかしたら、この風景は、私が春という季節に抱いている畏れの象徴かもしれない、そう思いながら林立する刃物らを見ている。春は草木が萌動し、自然が活発化する季節である。「林立」という文字は、森の樹々を連想させ、夢の中の刃物と現実の草木とを二重写しにしているようだ。しかし、目の前の刃物たちはどこまでも冷たい金属に過ぎないというギャップが、やはり寒々しい。

2.蟇鳴きて少年青きメロン食む
 生命力を感じさせる句。ギョッとするような見た目の蟇が、間の抜けた鳴き声を上げるなか、少年が高級そうな、みずみずしいメロンを味わっている。俗でグロテスクな蟇と、青々しい高級メロンとでは、一見風景として調和しないように見えるが、この句では、強烈な生命感という点で、蟇・少年・メロンの三者は重なり合っている。「蟇鳴くや」では、三者が調和したこの感覚は出てこないだろう。「鳴きて」という軽い切れが本句の世界を形作っているように思えた。

3.真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
 真夏日の日差しに、茹だるような暑さを感じている。ふと上空を見上げると、遥か遠くにその鳥はいた。陽に透けるかのように、羽ばたくたび見え隠れする羽の骨。実際問題として、骨が見えたかどうかは関係がない。「骨まで」には、骨が見えるまで力強く飛んでいる鳥のエネルギーを感じ取った驚きが込められている。夏の日差しに生命力を奪われている自分からすれば、鳥の力強さに畏れをも感じる。命あるもののダイナミズムを描いた句である。

・『蝶日』(富士見書房)

4.口中を舌のすべりて朧の夜
 口の中をひたすらに舌が滑っている。舌を左右にうごかしながら、滑らかに口中を湿らせている。そうした潤いの感覚が朧の夜の艶かしい雰囲気と合っている。本来、下品であろう上五中七の仕草に、ある種の品格が備わっているのは、朧の夜に漂う雰囲気によるものだ。それと、「口中」という人から見えないところでの所作であることにも起因する。不可視の小空間で起こる、密やかな色めき。

5.空蟬を拾へば水の零れけり
 ふと目に付いた蝉の殻を拾ってみると、偶然にも背中の穴から水が零れた。よく見ると、背中の穴に並々と水が入っている。一瞬の驚きにとどまらず、この人は、その一滴の雫に感動をしている。どうして水が入っているか、わざわざ考察する必要はないだろう。既に役目を果たした蝉の殻に、生命の源である水が入っているということ、そして、その水を一滴零したことで、体感した生命の原点に触れたような感動。

6.我が母をいぢめて兄は戦争へ
 無季の句。柿本多映は、自身の家族のことも頻繁に詠んでいる。幼少期を回想してつくられた句だろう。母を泣かせながらも、どうしても行かねばならないと母を説得する兄。そうした風景に対する、「いぢめて」という把握が悲しい。別の側面では、いじめられているのはその兄である。ただ、家族間のミクロなスケールでは、母と兄とが、被害者/加害者の関係に見えてしまう。下五「戦争へ」には、そうした家族間の小さな世界を、丸ごと巻き取りながら戦争へと回収していくような無情さがある。

・『柿本多映句集』(ふらんす堂)

7.万愚節ひとりふたりとけぶりけり
 エイプリルフール、いたずらレベルの嘘をいつついてもいいという日。何処となくもったりとした空気の流れる春昼のその日、火葬場に集まる機会があった。ひとり、ふたりと荼毘に付され、煙となっていく彼らを見ると、この句の風景自体が、どことなく嘘のようにも思える。中七下五のひらがな表記からも、うすぼんやりとした視界のなか、彼らの煙を眺めている様子が窺える。それから、火葬される時間を「ひとりふたり」と圧縮することで、この人にとって彼らの煙は、一瞬の夢のような風景であったことが表現されていると思う。

8.形代となるまで伏せむ雪の原
 形代と雪、二つの季語があるが、超季の句として読みたい。形代は人間の身代わりとして用いるものであるにもかかわらず、この人は自身が形代となろうとしている。穢れをうつす人間よりも、うつされる形代の方が浄らかだ。「形代になるまで」には、気の遠くなる時間がかかるだろう。そうした永遠で浄らかな時間を体感させてくれる句だと思う。

・『花石』(深夜叢書社)

9.天体や桜の瘤に咲くさくら
 桜の枝を見てみると、瘤が生まれている。調べてみると、サクラこぶ病というらしい。この瘤より先端の枝は、やがて枯死してしまうそうだ。そう思うと、この「さくら」はどうにも弱々しく感じられてくる。しかし、それでも猶と咲いている生命感。「天体や」の切れが、この句の眼点である。「天体」というものがその場にあるわけではない。遥か遠くに、しかし、ある意味ではすぐ近くにある「天体」をこの人は思い浮かべている。その「天体」のエネルギーを付与するための「」である。宇宙スケールの広さが、そっくりそのまま目の前に立つ桜の樹の姿に当てはまる気持ちよさ。世界そのもののエネルギーを指摘しているようだ。

10.生前を覚えてゐたる利腕や
 無季の句。柿本多映の俳句では、前世・来世の存在が前提視されている。利腕はあまりに自分の意思通りにコントロールできるため、かえって違和感を覚えているのだろう。逆に利腕じゃない方の腕の方が自然にも思えてくる。違和感がないことについての違和感に対する、素朴な驚きを詠んだ。

11.頭蓋いま蝶を容れたるつめたさよ
 柿本多映は蝶の句をよく詠む。この句も、自分の分身である蝶を、頭蓋のなかに容れている。句意は明快。一匹の蝶が、頭蓋のなかに入り込む。その際に、寒々しい感覚を覚えたという句だ。「頭蓋」「いま」「容れたる」の「い」の韻律からは、頭蓋のなかが冷たいながらも、独特の華やかな雰囲気で満ちていることを感じさせる。

・『白體』(花神社)

12.提灯の骨のくづれて瓜祭
 ひどく殺風景な様子を思い浮かべる。全国で有名な祭りというよりは、村か町単位でのローカルな祭りだろうか。もしかしたらインターネット以前に途絶えてしまった祭りかもしれない。ともかくとして、せっかくの祭りにもかかわらず、人混みもなく、閑静としているなか、晩夏、神前にぶっきらぼうに瓜が置かれている。一応祭祀であるはずだが、「」という季語は、そうした好い加減さを許容する大らかさがあるように感じた。

13.天才に少し離れて花見かな
 なんの天才だろうか。学業の天才なのか、仕事の天才なのか、はたまた俳句の天才なのかはわからない。しかし、どうにも才能について劣等感を感じる相手がいるようだ。相手が花見に合わせてある程度羽目を外してくれていても、それはおさまらない。だから花見の際でも少し遠ざけてしまう。そうした人間味を詠んだ句。もしかしたら相手も自分を「天才」と思っているから離れているのかもしれないという自負心がはたらくのも、花見という場だからこそだろう。

14.薬瓶さげてみてゐる狐火や
 アンバーガラスの薬瓶だろう。それを手にさげながら歩いていると、不意に青白い火が見えた。狐火である。狐火は、狐の提灯ともいうが、片手に提灯をさげている、架空の狐を想像してみる。薬瓶を片手に歩いている自分とまるで鏡合わせだと感じた。薬瓶を下げながら異常現象に立ちあった際の興奮が下五の「」には現れている。


俳句評 素晴らしきかな、スポーツ俳句 新井 啓子

2024年09月17日 | 日記

  2024年夏、第33回オリンピック・第17回パラリンピック競技大会がパリで開催された。朝起きるたびに伝えられる試合の様子や結果、躍動するアスリートたちの姿に目を奪われた。メダル獲得数も多く、どの活躍も輝かしいと思う一方、予想に反した惜敗には胸が痛くなった。
 また、開場100周年を迎えた阪神甲子園球場では、全国高等学校野球選手権大会が行われ、京都国際高校が、決勝戦では史上初めての延長10回タイブレークの末に関東第一高校に2-1で勝ち、初優勝を決めた。頂点に達するのはただ一校。その裾野には甲子園のベンチで、スタンドの応援で、地方大会で、しのぎを削った約3800校13万人もの野球部員たちがいる。雨の中、傘をさして通りかかった川辺の広場で、大声を出しながら練習をしている少年たち。君たちの、いくつかの夢は甲子園。一瞬の輝きのために積まれる、遠くはてしない時間がここにある。

球うける極秘は風の柳かな 正岡子規 『子規句集』

 正岡子規は大の野球好きだった。体が鍛えられる上に趣向が複雑なところが気に入って、第一高等中学校時代、東京の宿舎でも球を受ける練習に余念がなかった。子規のポジションはキャッチャーだったというが、この句の「風の柳」は、予想した風の通りに落下するフライを悠々と捕球する野手のイメージだ。キャッチャーボックスにいながら、チームメイトが遠くで球の落ちる位置に動くのを眺めている。風に靡く柳の軌跡を追って、自然のままに見事に捕球する姿を惚れ惚れと見つつ、自らの体験と重ねてこれぞ極意と納得しているのだ。喀血後も生き生きと野球に興じて、晴れ晴れしささえ漂う子規のスポーツ俳句は、九人制の野球と同じく九句残されている。

恋知らぬ猫のふり也球あそび 正岡子規 『子規句集』

 1987年8月1日発行『現代詩手帖8月号』で、「素晴らしいベースボール」という特集が組まれた。ユニホーム姿の詩人達のアンケートやエッセイが掲載されるなかに、平出隆が「短詩型プレイヤー子規」という論考を載せ、明治10年代目新しかったベースボールを、「しゃれとか粋とかとはむしろ反対の」、「少し野卑であろうとするダンディズム」の競技だと述べている。そして、子規の「恋知らぬ猫のふり也球あそび」には「反ダンディズムというかたちの屈折したかなり上等なダンディズムが仕掛けられ」、それを支えていたのが「実践の感覚」だったと考察している。子規にとって野球とは、子猫が球にじゃれるような、他愛ない、無邪気な猫のふりをしているようなもの。多くのヒットを打てども得点は叶わずというような、、一筋縄ではいかないベースボールを子規は愉快がり、プレイヤーという実践者として俳句に取り入れたのであった。実物実景を写し取る子規の、実践の次元からの感覚を元に、他のスポーツも見てみよう。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修司 『花粉航海』

頬傷ほてる」が句の中心にあるのは言うまでもないが、下五の「海見ては」が絶妙である。海は勇壮で懐深い。けれど10代の頬の生傷に冬の冷たい潮風が当たったらさぞ痛かろう。それでも、ラグビーで全力を出し切ったあとの、青春を象徴する傷は痛くとも鮮やかだ。試合に勝っても負けても、冬の荒海に対峙して、身体の内側深くから湧き上がる充実と自尊が若者の頬傷を熱く火照らせ、誇らしげでもある。そしてもし負けていたのならさらに、傷は痛みと屈辱そのものとして心身に刻まれ、長く青色の熱を放ち続けるのだ。

ブーツもてサッカーボール一蹴す 樋笠文

 ブーツで一蹴りするサッカーボールには、どんな気持ちが託されただろう。愛情でも怒りでも茶目っ気でもいい。サッカーボールひとつ、そこに転がるまでのいくつもの物語があり、ボールをブーツで一蹴するまでのいくつもの当事者の物語が重なって、最後はたった一蹴りで決着が付く。決着は付くが全てが終わったわけではない。ボールを蹴った先にボールの受け手がいるはずなのだ。それが自分自身である時も。単純なようで単純ではない、そんな世界中で愛され競技されるサッカーの試合運びを越えて、ブーツで蹴ったボールが描く放物線は開放感に繋がっている。

ヨット駆る雲のひゞきの下にひとり 古家榧夫 『単独登攀者』

 学生だった夏休み、友人たちに連れられて小さなヨットに乗ったことがある。琵琶湖のゆたゆたした湖水、船尾で舵棒を持つのが私の役目だった。操るのではなく「持つ」のである。湖は荒ぶる波もなく、オーナーの指示に従い少しずつ動かしていれば大事はなかった。雲高く風白く、湖上のおしゃべりが弾む。そのうちオーナーがセーリングを始める。「ヨット駆る」である。カナヅチだった私はライフジャケットを付け縁にしがみつきながらも、立ち上る白雲がヨットを追いながら「夏だぞ~」と呼びかけてくる気分を満喫した。気楽なものだ。真のヨット乗りであるはずのなかった私。はっと見上げると、雲を背負ったオーナーの眼差しは厳しく、琵琶湖西岸比良山系のかなた遠くに向けられていた。雲を生む太陽と風と水を全身に受け、真っ向から競い合い睦み合ったからこその末の「ひとり」。水上の「ひとり」は水浸しの淋しさに見えた。

 観戦はするが競技は不得手な筆者である。中学高校は名ばかりのテニス部員で、練習も大会出場もしたが、得意なのは応援だった。作品を創っていると、テニスコートで続けるラリーを思い出す。ひとつのボールをネットのむこうの相手と打ち合う。素直に足元へ、ちょっと右へ、左へ、ラインすれすれに。これでよかったかな、ボールに聞く。ボールは正直。創作と同じで、及第などあろうはずがない。それでも打ち合う相手がいる。だから、次は決めたい。揺さぶりたい。いつまでも打ち合っていたい。観戦者であっても競技者であっても、やりきるまではまだまだ遠い。


俳句時評186回 多行俳句時評(12) 鏡の父、這這の父 斎藤 秀雄 

2024年07月29日 | 日記

 前回(「俳句時評182回 多行俳句時評(11) 閉じによる開き」)、上田玄の第二句集『月光口碑』から二作品引いて読んだ。上田玄には多行俳句集が二冊ある。もう一冊が、第三句集『暗夜口碑』。今回はこの句集から引いて読んでみたい。なお、『暗夜口碑』には多行連句ともいうべき、清水愛一氏との「連弾・水の指紋」が併録されており、これが抜群に面白いため、読者諸賢には、ぜひ手にとってお読みいただきたく思う。

撃チテシ止マム
父ヲ

父ハ

 上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《撃チテシ止マム》とは、『古事記』の久米歌から引用された、第二次世界大戦中の大日本帝国のスローガン。「うつ」(攻め滅ぼす、殺す)+「し」(強意の副助詞)+「やむ」(終わる、なくなる)+「む」(意志の助動詞)で、「敵をやっつけて終わろう」の意。ようするに「敵を倒すまで戦いは終わらない」ということだ。
 上田がいうところの《「銃後想望」とでもいうべきモティーフ》(「あとがき」)を中心にした、本句集第二章「耳塚」の冒頭にあって、本句は、文字通り戦時プロパガンダ用語ではじまる。戦時プロパガンダは戦場ではなくむしろ銃後において必要とされるのだろうけれども(だから「銃後想望」なのだろう)、《撃チ》の語が、否応なしに、銃をかまえた兵士の汗と、硝煙の匂う戦場を想起させる。
 ところが、第二行の《父ヲ》に移るとき、奇妙な屈折が生じる。《撃チテシ止マム》には、二つの主語と一つの目的語が省略されている。「誰が」「誰を」撃ち、「何が」止むのか。自明であるから省略されているわけだが、「我々(自国民)が、敵国を撃ち、戦争が止む」はずである。屈折は、「敵国」つまり目的語の位置に《》がすべりこむことで生じている。心象における、戦場の敵兵士の姿が《》の姿に変貌する。
 三行目の空行ののち、第四行において《父ハ》と主語が介入することで、さらに屈折は増す。一つの円環、不気味なウロボロス、向き合った鏡像が完成する。二枚の鏡、向かい合った鏡が、互いに撃ち合い、同時に砕け散る。通俗的な「父殺し」の物語からはズレた(ひねくれた)、襞が描かれている。これを「襞」と呼ぶのは、ここに描かれた《》、二個の《》は、たんに「鏡を映す鏡」であるだけではなく、語り手にとっての投影的鏡像(imaginaire)、自己投影による棄却(abjection)であるからだ。その意味でたしかにこれも「父殺し」であるし、同時に「我殺し」でもあるのだろう。
 ひどくつまらない、というか下品な読み方もできるかもしれない。戦場に出ているのは《》である。敵軍の兵士も誰かの《》である。うんぬん。戦争とはそのように悲惨である(からやめよう)とも、戦争とははらからを守るための戦いである(から英霊を讃えよう)とも、《》のトップが天皇なのだとも、いかように警句的・箴言的メッセージを読み取ることも、可能ではある。可能ではあるけれども、やはり退屈であろう。
 余談になるが、「撃ちてし止まむ」の後半「止まむ」の、通例の現代語訳は「戦争を終えよう」となっているようだ。「む」は未然形接続の助動詞だから、「止ま」は四段活用の自動詞「止む」の未然形、となるのではないか。自動詞だから、目的語をとらない(「戦争が終わる」のであって「戦争を終える」のではない)。他動詞の「止む」は下二段活用で、もしも「戦争を終えよう」と目的語をとるかたちにするならば、「止めむ」となるのではないか。いや、記紀歌謡時代の文法・語用法にかんしてまったく素人だから、これは僕のたんなる素朴な疑問に過ぎないのだけれど(他動詞「病む」の意味の「やむ」には四段活用がある。語源が同じなのだろうか)。末尾の「む」を「意志」の意味で現代語訳するのは、主語が一人称(ここでは「我々」だろうから、一人称複数)だからだが、もし「戦争が終わる」と、「止む」を自動詞とするならば、「推量」の「む」ではなかろうか。しかし推量より意志の方が、なんだか勇ましく感じられるのかもしれない。

この春も
ものの芽湧かず
父は
 漂着

 上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《》というわけだから、反復して物事が生じている。二行目《ものの芽》は仲春の植物季語。手元の歳時記には《特定の木や草の芽ではなく、木の芽も草の芽も引っくるめて、春になって芽吹き萌え出るいろいろな芽の総称》とある。今年の春も、草の芽さえ萌えることがなかった、というのだから、ここまでで、ポスト・アポカリプス的な荒廃した世界が提示されていることが分かるし、卑近な連想をするなら、80~90年代の「核戦争後の共同性」を懐かしく思い出すことも可能かもしれない。
 ここに、異物が混入する。三行目から四行目にかけての、改行・一字空け(ないし字下げ)を無視し、かつ、動詞を補って、「父は漂着する」とひとまず読んでみても、不当ではあるまい。豊かな土地を探るため、この不毛の地を出ていた《》が、どこかの島に《漂着》した――と読んでみても、矛盾は生じないものの、どこか不自然な感触が残る。そうしたストーリーをここで語る、というテクスト内の文脈が無い(見えない)からだろう。
 ここで《》は、この不毛の地に《漂着》したのではないか。俳句の慣習にしたがって、特段の断りが無い限り、語り手は語りの内部を一定の範囲から観察している、と想定することによってであるが――つまり語り手は、視座をこの不毛の地からどこか別の島へと瞬間移動させてはいない。なにより、《この春も》という書き出し、語り口は、「この不毛の地」という特殊な一地域についての、限定的語りではなく、世界についての語りであると感じさせる。この作品にとって、《ものの芽湧かず》とは、世界についての記述なのだ。
 流された蛭子のように(世界各地の神話で追放される「忌み子」は、ヘゲモニーを握ったグループが、劣位に陥ったグループの神を、象徴的に滅ぼしたことの痕跡(ないし痕跡を消した痕跡)であるだろう)、《父は》どこかで失われ、突如としてここに現れる。前掲句において《撃チ》斃され、鏡の奥へ散り消えたあの《》が、ここで蘇ったというのだろうか。いや、まだ《漂着》したことが分かっただけであり、生死不詳ではあるのだが。上田俳句において《》の出現頻度は高い。したがって、我々読者にとっては「さて、今度の《》はどの《》なのだろう」と腕組みしてみせることが、まずは礼儀であるはずだ。
 もったいぶらずに一息に個人的な(確信にも似た)妄想を告白させていただくならば(この手の妄想はおおむね不当さを逃れられないが)、この《》は、重信の《船長》なのではないか。むろん、重信句における《船長》は、重信の顔をしている。その意味で、《撃チテシ止マム》句の《》とは決定的に異なる。そこで《》は上田玄の顔をしているからだ(僕は上田氏の顔を知らないけれども)。
 もちろん上田氏が重信を象徴的父と考えていたなどというエビデンスはないし、《》と呼ぶ「不敬」を犯してみようという意図が感ぜられるというのでもない。重信句の《船長》が、口笛でも吹きながら、飄飄とどこまででも平泳ぎで泳いでゆく姿かたちをしているのに対し、ここでの《》は、うっかり足を攣りでもしたのか、這這の体で岸に打ち上げられた、無惨な姿かたちをしている。こうした無惨さ、というよりも涙ぐましさは、《ものの芽湧かず》ところの上田世界に、なんとか取り入れ、同化しようとすることの、結果ではなかろうか。むろん、完全に、ないし「正常に」同化されることはなく、他者として、異物として残り続ける。上田俳句に感ぜられるメランコリーは、こうした点に見出すことができるのである。

 


俳句時評185回 川柳時評(12) 安定か、嵐の前か 湊 圭伍

2024年07月29日 | 日記

 前回(5月)の後、川柳以外のことで意識がもっていかれる状況が続いていたので、この記事を書くのはほぼリハビリの気分。何より困るのは、前回から今回までに起こった事柄と、それ以前に起こった事柄の区別がぼんやりしていて同時代感覚をすっかり喪失しており、時評らしい時評になりそうにないところだ(と言っても、よく考えれば、これまでも時評らしい記事を書いていたかというとあやしい)。
 とりあえず、前回とりあげられなかった情報としては、まつりぺきん編『川柳EXPO 2024:投稿連作川柳アンソロジー』と月波与生編『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』(満天の星)という二冊の川柳(中心)のアンソロジーが出版されたことがある。
 『川柳EXPO』は2023年より出版が始まって2回目、まつりぺきん(という柳名[雅号]です)がネットで呼びかけて、参加者が投稿した20句連作をまとめたもの。20句連作といってもコンセプチュアルに徹底的に連作を目指した20句から、とりあえず20句出してみましたというもの(すみません、私の作品はこっちです……)まで、連作意識には大きな幅がある。それも含めて、各人の自由度が高いのがこのアンソロジーの魅力だろう。68人の1,360句ということで読みごたえ十分である。2024版では、昨年にはなかった「特集」が最初に置かれており、川柳の「読み」がフィーチャーされている(「特集 先生!正直、川柳ってどう読めばいいのかわかりません」)。「どう読めばいいのかわかりません」って、そんなん自分の好きなように読めばええんや! とも言えるのだが、最初の記事ではおせっかい精神を出したこの私が川柳を読むときのアプローチ法をいくつか紹介しております。また、川合大祐を始めとする川柳作家が一句評を書いており、巻末には小池正博による掲載作品の評も載っている。合わせて読むと、川柳を見てカンカンガクガクできるようになること請け合いである。
 『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』は、旧Twitter(現X)で常時ひらかれているハッシュタグによる句会、「#さみしい夜の句会」の投稿メンバーに、主催の月波与生が呼びかけて、こちらも1人20句でアンソロジーにしたもの。『第Ⅲ集』とあるように、今年で3回目の企画で、『EXPO』と比べたと基調としては、「#さみしい夜の句会」が川柳以外の俳句や短歌、自由詩に門戸を開いているので、このアンソロジーの掲載作品も川柳だけではないというところだ。参加者のエッセイも収められていて、人間的なバックグラウンドが感じられたほうが作品も安心して読めるという向きにはこちらがおススメかもしれない。
 この2つのアンソロジーは私も参加しているので、どうしても宣伝になってしまう。他の動きとして手元にある資料に移りたい。
 ネットプリント「zone川柳句会 vol. 100記念句会」は、しまもと莱浮といわさき楊子が主催している夏雲システム利用のWeb句会(この記事を読む人は当然「夏雲システム」は知っている、という理解でよろしいでしょうか)。月2回というけっこうなハイペースで行われているとはいえ、100回だから期間としてもそれなりになるだろう。新型コロナ禍において一気に増えた川柳のweb句会だが、続けていくのはなかなかに骨である。zone句会は主催に安心感がありそうと見える。
 掲載作品から引く。

百合子と民の密度を測る       雪上牡丹餅
ステッキを百回突いて花にする    石川聡
新宿がどう変わろうと他人事     樹萄らき
藩内の盆踊り派とパラパラ派     しまもと莱浮
きくらげが百枚生える口の中     森砂季
私の歩道橋から落下する       千春
点つなぐ福音館のやもりたち     尼寺透
ソフィストの吐息を追って百足逝く  成瀬悠
夏の終わりのQRコード        いぶき
乾かぬよう河野春三のインク     いわさき楊子
一〇〇とワルツを踊る二〇〇の眼   いなだ豆乃助

 全体の雰囲気としては、ネット川柳と、川柳大会などの川柳がほどよく混ざっているという感じである。
 『川柳EXPO 2024』、『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』、「zone川柳句会 vol. 100記念句会」と読んでみて思うのは、このよく混ざった感じとして、近年にネットを舞台に川柳を始めた人たちの句がひとつの安定したところへ収まりつつあるのではないか、ということだ。ほんの2、3年前は個々の作家、さらには個々の作家のそれぞれの作品も、どっちに向かっていくかまったくの不明で、それが面白くもあり、危なっかしくもあったのだが、今は、川柳というジャンルとして、それ以前から川柳を書いているメンバーと比べても特に違和感なく読め、納得ができる。
 ここから個々の作家が突出して飛び出していくこともあるだろう。だが、より期待したいのはこのぼんやりとした、ただし、一定のレベルを言語表現として継続して生み出すようになったまとまりが、全体としてもっと新しい方向へ転がり始めることで、それが起こるとすれば、それほど先のことではないだろうなと考えている。

 どうも、中途半端に時評っぽくなってしまった気がします。ので、余計なことを付けたし。
 最近、松山の古本屋で、川俣喜猿編『雀郎の川柳学校』(葉文館出版、1997年)という本を見つけて、へー、こんな本あんねんなー、という気分で購入。「雀郎」は、六大家(第二次世界大戦戦前・戦後にかけて活躍した川柳の代表的指導者)の一人、前田雀郎。同じく六大家に数えられる川上三太郎や岸本水府のように派手な活躍はしなかったものの、評論の面ではもっとも説得力があり、現代でも通用するような視野をもった労作(例えば、『川柳探求』)を残しています。
 『雀郎の川柳学校』は弟子の喜猿が、雀郎の句文をコンパクトにまとめた書です。いちばん最後に「雀郎のことば」として、「師匠」の箴言をまとめているのですが、そこからいくつか引いてみます。

 川柳は誰にもつくれる詩であるが、誰にもつくれるような句をやめて常に一歩深くさぐるべきである。

 川柳はしばしば非詩のそしりを受けることがあるが、人間の探求が、その目的である限り、当然であって、そこにこそ寧ろこの詩のユニークな姿を思うべきである。

 他人の姿を借りて、我が感情を述べる、これは小説的手法である詩歌の中にあって、ひとり川柳が小説的、戯曲的、要素を多分に持つのはこのためであり、川柳の普遍性もまたここにある。

 川柳があらゆる人の共感を得るということは、この詩が、その作品の中に作者私、即ち個性を主張せぬからである。没個性の詩、川柳が社会性を持つ所以である。

 材料とは内容、料理法とはその表現方法、川柳における内容というものは表現を得て、初めてそこに生まれるものであって、表現を離れて存在するものでない。

 観察は不断に新しきおどろきを生む。


 言葉の選び方には今からみるとちょっとなあと思うところ(例えば、「人間」とは何ぞや?)もありますが、今に上手く翻訳できれば役に立ちそうなアイデアが並んでいると思います。


俳句時評184回 『夜景の奥』と『日々未来』 横井来季 

2024年07月02日 | 日記
 今月七月号の『俳句』(KADOKAWA)で、板倉ケンタが田中裕明賞についての論評を書いていた。そこでは、田中裕明賞が選考委員の交代にともなって賞の性格が教育的方向にピポットしているという指摘がされている。

 この論評は、あくまで賞の性質が主題にあたるため、言外に滲ませてはいるが直接的に受賞作について評価を下してはいない。ただ、私としては、賞の前に作品があるのだから作品の鑑賞なしに賞の性質を論じるのは、一段飛ばしで階段を上っているように感じた。なので、本稿で受賞句集の、主に物足りなさについて書こうと思う。

 まずは、浅川芳直『夜景の奥』(東京四季出版)である。編年体の句集である。

砂溜る破船の中や南吹く

 本句集では、もっとも良いと感じた。漠々とした雰囲気を醸し出しながら、描写されているのは、破船の中の小さな細部である。南風によって、破船の中の砂粒が震えている。

 ただ、全体として、安定してはいるが、物足りないところもあった。俳句の骨組みはあるが、それで成り立っているような印象も受ける。特に、編年体とはいえ、第一章の「春ひとつ」には、作品の改作が必要なのではないかと感じた。

〈剣道大会〉
一瞬の面に短き夏終る
約束はいつも待つ側春隣


 などの句は、私ならば収録しないように思う。編年体とは言っても、発表当時のものと一言一句同じものにする必要はなく、改変や脚色をしてもいいと思うのだが、おそらくは、そのまま発表している。編年体が句集全体の完成度にあまり貢献していないようにも思えた。むしろ完成度をあえて抑制しており、そこが物足りなさに繋がる。
 ただ、だからこそ、「受賞をきっかけに作者の成長を期待する」という評価につながっているとも、同時に思う。私としては、本句集は編年体をとることによって、完成度とバーターに作者の成長性を演出したように感じられた。

 次に、南十二国『日々未来』(ふらんす堂)。

たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう
蟹がゐてだれのものでもなき世界


 本句集では、世界・宇宙・地球などを詠み込み、大きな枠組みを感じさせる一方で、「たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう」など、一人の生活者を感じさせる句も同時に詠んでいる。この句集の作中主体は、世界という枠組みと、今存在する自分という枠組みの対比を常に意識しているのだと思う。そのため、全体的に句の世界が広い。

 こちらも編年体の句集であるが、ただ、こちらについては、序盤と終盤であまり差異が見られず、良くも悪くもずっと同じように書いているように感じた。

 新鮮な瞬間が多く描かれているが、その手法の安定性については、むしろ物足りなさがある。

息白き「おはよ」と「おはよ」ならびけり
「寝よつか」と言へば「寝よつ」と夜の秋


 たとえば、この二句を並べてみると、全く同じ手法で作られていることが分かる。そうした点で、作風は深化し、手法は変化させていくのが良いのかも知れない。

 ただ、長期間、作風を変えずに詠むというのは、それだけでも大変なことだ。自分の作風に自分で飽きる段階を通り抜け、それでも自分を貫いている点で、『日々未来』には好感を抱いた。

 最後に、本稿では『夜景の奥』と『日々未来』の物足りなさについて書いたが、一読者として全く楽しめなかったかと言えば、そうではなかったと付け加えておきたい。両句集とも、佳句は多く収録されていたと思う。田中裕明賞をとってもとらなくても、作品自体の質は変わらない(取り上げられる機会はもちろん増えるが)。そう考えると「田中裕明賞受賞」という経歴は単なる付箋であって、読者側が剥がして読めばそれでいいのだと思う。