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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評145回 惑星的な俳句について(4)  斎藤 秀雄 

2022年02月01日 | 日記

 一年間、ひとつのテーマ、ここでは〈惑星的〉というテーマに絞って書くことを、みずからに課したのだが、予想以上に骨が折れる試みであった。予想以上に、アクセス可能な世界は、私が〈惑星的(planetary)〉という言葉を用いて批判しようと考えている諸文脈に覆われていたからだ。すなわち、ドメスティックな文脈、およびその覇権主義的な延長・拡張に過ぎないインターナショナルな(international)文脈、グローバルな(global)文脈である。それらの文脈をシャットアウトしてみると、あたかも俳句などこの世のどこでも書かれてなどいないのではないかと感じられる一年間であった(そして、それはじっさいにそうなのかもしれない)。
 論じるべきトピックは無数に残されている。この最終回では、今後私が長く取り組んでゆきたいと考えているトピックに触れておこう。それをひとことでいえば「メタ価値論」とでもなるのだが、あいにく、今回はその素描にとどまることになる。
 問いはこうだ:「よいことは、よいのだろうか」。この一文が、すでにパラドキシカルなものになっている。懐疑されている主語〈よいこと〉と、懐疑の表現となっている述語の双方が、まさに懐疑の対象である〈よい〉を含んでいる。むろん、前者を「よい1」、後者を「よい2」としてみれば、日常的な言語使用のなかに、こうした語法を無矛盾的に見出すことはできる。「法的によいことだが、道徳的によくない」「経済的によいことだが、美的によくない」など。そして際立った文言として――私の考えでは、メタ価値論が取り組むべき最大のアポリアがここにあるのだが――「道徳的に善であることは、倫理的には悪である」という、よく知られた(さまざまなバージョンをとりながらの)テーゼがあるだろう。作品を前にして「よい」と判断したり、複数の作品のなかからひとつか複数のものを選出したりするときの困難も、この〈倫理テーゼ〉に収斂すると私は考えている。
 少し先走りすぎたかもしれない。メタ価値論の前には、とうぜんながら「価値論」がある。価値論には学的な蓄積が膨大にある。その一部を箇条書きにしてみよう:

■古典的価値論によれば、真・善・美などの価値は普遍であり、たとえ時代・文化圏・個人ごとにその内実、具体相(何が価値あることか)が異なるとしても、普遍的である(プラトン、トマス・アクィナスなど)。
■古典的価値論によれば、価値(value)はたんなる〈好ましさ(preference)〉とは区別され、目的論的な合理性が問題になるという意味で、個人の利害関心を超える(この区別を、私はあるていど度外視したい。「好ましくはないが、価値がある」「好ましくはあるが、価値があるとはいえない」という事態が問題になるとはいえ、いずれにしても、「好ましい/好ましくない」「価値がある/価値がない」という選択的な判断そのものを、取り扱いたいからだ)。
■18世紀の思想家コンドルセは、各個人の選好が推移的である(選択肢xyzについて、x>y、 y>zのとき、必ずx>zとなる)にもかかわらず、これを合成しようとすると循環的になる(x>y>z>x……、というような循環)可能性を発見した(たとえば多数決選挙が、誰にとっても望ましくない結果になることがある)。20世紀の経済学者ケネス・アローはこれを定理化した(アローの定理)。
■アメリカの社会学者R.K.マートンは、機能要件にとって貢献的なことがらを順機能、阻害的なことがらを逆機能とよんだ。また、意図され認知された機能を顕在的機能、意図されず認知されない機能を潜在的機能とよんだ。機能要件は多数あるため、「よかれ」と意図された行為が、潜在的逆機能を果たすことが多々ある。これを「意図せざる結果」とよぶ。

 こういった価値論は、教訓的でもあるし、なにより思考の整理に役立つという価値をもつ(!)だろう。が、しかしたとえば、作品を享受して「よい」と判断するとき、あるいは「よい」と表明するとき、我々がいったい何を為していることになるのか、明らかになることがない。したがって、価値(前述のように、私はこれに「好ましさ」も含めている)の存在を自明の前提とする価値論に対し、セカンド・オーダーの観察を、すなわちメタ価値論を開始しなければならなくなる。
 歴史的に古い時代についての記述、たとえば《伝統的美学においては、芸術のコード値は「美か醜か」というかたちで指し示されてきた》(ルーマン『社会の芸術』、315頁)といった記述を目にするときに、我々は少し動揺したような気持ちになってしまう。現在の我々からすれば、「美しい」ことを即座に「よい」という判断に結びつけてしまうことは、とくに芸術の領域においては、なかなか想像しにくいことだからである。たしかに、18世紀にバウムガルテンが「美学(aesthetics)」という学問の呼称を案出したとき、彼は《芸術、美、感性的認識》の三者を重なるものと考えていた(佐々木健一『美学辞典』、4頁)。佐々木によれば、《美と芸術が重ならないという主張が顕在化してきたのは、十九世紀末のことである》(同前)。前回の拙稿とのつながりでいえば、この移行――いわば「美しさ」から「よさ」への力点の移行――にとって決定的な役割を果たしたのは、マネ、そして印象派であったのではないか(佐々木は「自然主義」を挙げている)。余談ながら、印象派についての「語り」が大量に存在するのは、現代の我々の目に印象派の絵画が「美しく」みえてしまう(このことが、通俗的な人気につながる)、というパラドクスに由来するのではなかろうか。《日本での印象派絵画に対するアプローチは、あまりにも「感性」重視であって、美術史におけるその革新性という面が忘れられすぎている。私は自分の経験から、それでは印象派の魅力が半減してしまうと思うのである》(木村泰司『印象派という革命』、53頁)。
 さらに時代を下り、20世紀前半を眺めるならば――非常に大雑把な把握ではあるが――「よさ」の放棄を観察することができるだろう。想起するのは、マルセル・デュシャンでもマックス・エルンストでもよいだろうし、戦後まで時代を下り、ロバート・ラウシェンバーグでも、「具体」「反芸術」「もの派」でもよいだろう。こうした著名な名を想起するとき、作品と対面したときの知覚が必ずしも快感情ではないにもかかわらず、つまりその作品は「よさ」を目指しているのではないことが明らかであるにもかかわらず――「よさ」ではない、別の何事かが目指されている――それらについて語ろうとするならば、ついうっかりとでもいうように、「よい」と述語づけしてしまう羽目になる。「すごく悪趣味なところが……よい」など。亡霊のように、「よい」という言葉が、事後的に到来する。こうした「うっかり」を避けるため、「ヤバい」という語を召喚したくもなるし、口語英語に近年みられるdopeやdrippingなどを召喚したくもなる。
 私は句会において「よさが目指されていないから、よい」と句評することがある(あるいは「ちょっとよすぎるから、微妙」などとも)。こうしたパラドキシカルな言い回しは、レトリックと解されるリスクもあるのだが、選をしなければならない句会という場における、苦肉の策としての「よい」である。当該作品がじっさいに〈よさが目指されていない〉のか否かについては棚上げしなければならないが(作品に内在する性質ではないだろうし、たんに私がそう判断したという表明に過ぎない)、〈から、よい〉という述語づけは、言語拘束的なものなのだろうか。それともこの場合でもやはり、私は何らかの意味での「よさ」を見出してしまっている、ということになるのだろううか。このとき、仮に「悪い順」に選をする、という実験的方法を採用したとしても、無駄である。順位づけは、評価であり、逆向きの「よさ」の(推移的選好の)表明にしかならないからだ。
 もちろん、現実的には、「よい」で終わらせることはなく、「微妙な違和感が醸し出されていて、十分に奇妙である」などと、作品体験を語ることによって、句評は成し遂げられる。ここで語りたいことは、この「作品体験」の方であって、「よい」という述語の方ではない。にもかかわらず、「から、よい」「から、選んだ」という評価・判断が必ずまとわりつくのは、「選」という状況に条件づけられた、状況拘束的な事態なのだろうか。「よい」と語らなくとも、選ぶという行為が、そのまま、「よい」という述語づけとして機能してしまうではないか。
 価値論の手前から、価値論を経由し、メタ価値論へと視点を移動させることができそうな、具体例に触れておこう。先月の本欄(「詩客」の俳句時評)で、谷村行海氏は2021年度の角川俳句賞に言及している。谷村氏は、候補作の牛島火宅「殯」に《最も「作者の哲学」を感じた》と述べている。ここではこの連作の評価(よしあし、価値)は棚上げする。もんだいとなるのは、選考委員による発言である。このうち、この連作に否定的であった仁平勝と正木ゆう子による発言を、谷村氏による引用と重なるが、引いておこう。

仁平 言葉があまりにも大袈裟で、比喩が多くて、鳥とか虫を擬人化している。そういう言葉の遣い方が僕は積極的に採らないという理由です。
(略)
正木 (略)この方がこう詠むということ自体は尊いことだと思うのですが、それを角川俳句賞として推す立場で読むとき、こんな由々しい言葉を多用していいのかと疑問を持ちます。私の腰が引けているのかもしれませんが。例えばこの方の句集が出たとして、その句集を評価することと、角川俳句賞に推すこととは性質が異なります。(『俳句』2021年11月号、91頁)

 仁平の発言には、価値論以前のもんだいが孕まれているようにみえる。仁平には、〈《言葉があまりにも大袈裟》であるならば、その作品は必ず悪い〉〈《比喩が多》いならば、その作品は必ず悪い〉〈《鳥とか虫を擬人化している》ならば、その作品は必ず悪い〉というみっつの命題が真であることを論証する責任がある。ひとつめの命題についてみるなら、仁平発言には、小前提:「この作品は、言葉があまりにも大袈裟である」、結論:「ゆえに、この作品は、悪い」のみがあり、大前提:「言葉があまりにも大袈裟である作品は、必ず悪い」が欠けている。すなわち論証のルールに則った議論がなされていない。ここでは、小前提の真偽も疑わしいのではあるが。「いわゆる論証」は文芸作品の評価には適さない、と思うだろうか。そうかもしれない。ここで適切と思われるのは、たとえば、「本作品においては、比喩が多用されているが、そのことは本作の詩的な質にとって必然的なこととは思われず、かえって損ねているように思われる」といった「読み」ではないか。このとき、やはり諸々の前提が妥当であるか否かについては、論証のルールに則った議論が必要になってくる。ほんとうに喩は作品の詩を損ねているか、そもそも多いのか否か、吟味されなければならない。「擬人化がこの作品の詩を損ねている」という価値判断と「私は擬人化が嫌いである」という好みを、選者は明瞭に区別できているか否か、吟味されなければならない。ここにきて、価値と好ましさの区別が重要になってくる。
 むろん、句友の原稿のチェックをするようなケースでは、縮減した言い回しを用いることはよくある。喩が主要なテーマのうちのひとつであるとは思われない10句連作において、明喩が2句並んでいたなら、可能な限りそれを離す(物理的な距離をおく)ように助言するだろうし、3句含まれていたなら、1句を削除するように助言するだろう。喩表示が、詩的必然性とは関係のないところで「騒がしい」感触をもたらすからだ。S/N比でいうところのノイズが、詩的効果を損なうかもしれない。逆に喩が主要なテーマのうちのひとつであることが明らかであるならば、喩表示の連続は、当該作品を際立たせるマークとして機能するだろう。あるいは「ノイズ」こそが当該作品の主要なテーマのひとつであるならば、ノイズはS/N比でいうところのシグナルと呼ぶべき成分であって、図地は反転する。さらにいうなら、文芸作品において、いくらかのノイズはむしろ詩的な効果を高めるだろう。したがって、軽々しく作品にとってのノイズを排除することは、望ましくないことでさえある。
 正木発言はもう少し込み入っている。《由々しい言葉を多用》することが、その作品の価値を損ねている、と判断しているのではない(かのようにみえる)。いわば「角川俳句賞」の代弁者となっている、言い換えれば判断の根拠を別のなにかに預けているということになる。これが一見するよりも込み入っているのは、たんに客観的な基準にもとづいて判断することにはならないからだ。仮に「角川俳句賞にふさわしい作品の基準」のようなものが明示されているとしよう。一見これは客観的なようだが、この基準と作品を照らし合わせて、合致しているか否かを判断するのは正木である。このときの判断の妥当性はいかにして吟味することができるのだろうか。そして、現実にはそのようなチェックシートは明示されておらず、おそらくは正木の想像上の「角川俳句らしさ」が召喚されているのであり、それはたんに経験的なものの総計ないし平均値でしかないものだ。もしも正木の述べているとおりに「選」がなされているとしたなら、そのとき、一体何が為されていることになるのだろうか。それは「道徳の維持」でしかないだろう。まるで「ケインズの美人投票」のようではないか。
 それにしても、同座談会のなかで正木は《死刑囚は別の言い方をすれば犯罪者なわけでして、それを「美化している」というふうに言ってもいいんじゃないかと思うのです。それが気になります。対社会的にそれはどうなのか。当然、被害者がおられたわけだし》(同前、96-7頁)と述べているのだが、この発言はそれこそ「対社会的に」、PC的にほとんどアウトに近い発言であるように思う。ロジックとしては、入管に収容されている外国人は犯罪者であるから、いかなる権利も主張してはならない(あるいは法を度外視して入管スタッフが懲罰を加えることも、容認される)、といったたぐいの「ネット世論」と変わるところがない。牛島火宅「殯」に「美化」の成分があるとするなら、死にゆく(mortal)ものの命の美化であって、死刑囚の美化ではないだろう。もしもこの作品について批判的に語りうるとするなら、「命は尊い」という通俗的な道徳へのおもねりであり、「俗情との結託」であり、抒情に寄り過ぎている……とでもなりそうだと思うのだが、そして文芸作品の「読み」とはそのようなものであると私は理解しているのだが、そのような「読み」を選考委員がしないことに、理由はあるのだろうか(「殯」の作品としての評価は棚上げする、と述べたが、たんじゅんに好き嫌いでいえば、私は好きではない。理由はいま述べた「批判的語り」のとおりである)。
 私は昨年、とある書評文のなかで次のように述べた。

なぜこの定型拍子が残ったのか、なぜ心地よく感じられるのか、といった問いには「慣れ」の一言で足りる。不慣れな拍子が用いられれば、不慣れである(不快)という理由で排除されるか、例外扱いされるかである。シナプスは更新されず、心的エネルギーはリビドー経済に隷従する。かくして定型という利用可能な意味的沈殿物(コミュニケーション財)は延命する。俳句という概念をいかように分析しても、五七五という成分を発見することはできないにもかかわらず、である。
(略)
必要なことは、習慣に快を感じる自己を否定し、逸脱に不快を感じる自己を否定し、そうした身を切る痛みのなかで書くことであるはずではなかっただろうか。(斎藤秀雄「詩的許容に抗して――藤井貞和『〈うた〉起源考』」『吟遊』92号、23頁)

 これは「いわゆる音数律」について述べたことだが、これは価値判断についてもあてはまると考えている。快(好ましさ)に隷従することは、道徳的であるだろう。それは共同体の延命にとって貢献的に機能するかもしれない。他方、「快を感じる私」を否定してゆくことは、反道徳的であり、かつ、倫理的である。他者へ・外部へと肉体(corps)を内側から切り開く試みだからだ。この痛みをカント的に「崇高」と呼ぼうが、フロイト的に「(喪と区別される)メランコリー」と呼ぼうが、ラカン的に「享楽(快楽は、享楽から自我を守る防衛機制である)」と呼ぼうが、いずれにせよ、いかなる判断とも無関連ではない。芸術(文芸)作品の価値判断にさえ、〈道徳的/倫理的〉という差異は、亡霊のようについてまわるだろう。

 前回までの記事同様、批評の観点から取捨選択し(つまり私が「惑星的」と判断した作品を取り上げ)、個別の作品に評論を行うことにする(批評と評論の区別については、第一回記事参照)。ここでとりあげる作家たちは、私が述べたことに同意しないだろうことも、これまで同様である。作家名を手がかりとしたスタイルの評を書くことは私にとって不本意であることも、これまで同様である。

 詩客のバックナンバーをなんとなく眺めていたところ、笠原マヒトという作家の連作「午後」が気になった。失礼ながら、初めて知った名前である。派手さのあまりない自由律作品であるが、心にひっかかるものがあった(プロフィールに「海紅同人」とあるから、勝手ながら「自由律俳句」とレッテルをはらせていただいた)。

  雨玉砂利の音犬が軒下   笠原マヒト「午後」

 じつをいうと、この作品に、撃ち抜かれたのである。助詞も動詞も極端に省かれたミニマルな構成のこの作品を、要素ごとに切ってみるなら「雨/玉砂利の音/犬が軒下」となるだろうか。同連作には《夕暮れ金網蔦枯れ》という、似た構成の作品があるが、そちらは少し抒情的すぎるように感じた(悪くはないが)。雨が降っていて、玉砂利が音をたて、犬が軒下にいる。まず《》の表記と、《玉砂利》の《》の表記とが、隣り合うことで、表記像の知覚が滑らかに遷移する。このとき同時に意味的像(物表象)の知覚も滑らかに遷移する。一個の雨粒があったところに一個の砂利がフェードインしてくるかのように。この知覚の遷移は、次いで《》に取って代わられる。表記像の遷移・意味的像の遷移のうちの、意味的像が、視覚的なものから聴覚的なものへと変わる。この一連の滑らかさに、異様さがある。
 最大の謎は《玉砂利の音》にあるように思う。《》が《玉砂利》を打つ音か。語り手が《玉砂利》を踏む音か。《》が《軒下》へ移動するときの音か。それぞれに、《》の感触はおおいに異なるにもかかわらず、どれであるか確定は不可能なように思う。が、それは「雨の音」「靴が踏む音」「犬が踏む音」のいずれでもなく、あくまでも《玉砂利の音》なのである。あたかも、雨に打たれる音と、何かが踏む音と、さらにそれとは別に《玉砂利の音》という新しい現実が創発しているかのようにさえ感じられる。

  月高圧電線の間光る   笠原マヒト「午後」

 月が高圧電線の間にみえている。景としてはそれだけである。であれば、《光る》は不要であるかもしれない。が、あくまでも重要なのは《高圧電線の間》が光っている、という現実である。電線の間に正体不明の発光体が出現した、というのではない。あくまでも《》という「光るもの」に媒介されて《光る》のである。「月が高圧電線の間に光る」と表記してしまうと、このポエジーは霧散してしまう。「が」「に」を省いただけで、なぜこれほどのポエジーが生まれるのか、理由はまったく分からない。〈月‐電‐光〉という表記像の遷移のセリー、〈線‐間〉という意味的像から生まれる帯状の空間性の感触、〈圧〉という表記像のもたらす圧縮の感触――これらが、圧縮された表記によって、圧縮されて手渡されるように感じられる。

  石灯籠バッタとまり逆さ   笠原マヒト「午後」

 この連作の一句目は《螳螂逆さ脚突っ張り》であったから、《逆さ》のイマージュに挟まれた一連となっている(《螳螂》と《灯籠》が掛けられているのかもしれない)。《螳螂》と違って、《バッタ》はとまるやいなや《》を折りたたむように思う。《突っ張》ってはいない視覚的像がみえる(ちなみに、逆さまにとまっている虫の視覚的像をみても、軽さの感触しか感じないのに対し、《逆さ》という文字の表記像をみると、内臓がせりあがるような、逆さまの感触を感じてしまうのだが……それは私だけの感じ方かもしれない)。この作品も助詞が極端に省かれた独特の構成をしているが、不思議さは《とまり逆さ》という言い回しにあるように思われる。石灯籠に、バッタがとまり、それは逆さの状態である、というだけなのだが(石灯籠が逆さまなのではない、と思うのだが、なぜそう思うのかは、よく分からない)。「逆さにとまる」としないのは、助詞(または形容動詞活用語尾)「に」を省くためとも、《とまり》→《逆さ》という認識の遷移の表現とも感じられる。動詞も省いて「石灯籠バッタ逆さ」でも成立しそうではあるが、動きが、つまり時間の契機が失われる。つまり《とまり逆さ》という言い回しには、時間の契機があり、語り手(観察者)の認識に一瞬の空白が生じているようにも思われるのだが(「とまり、逆さ」と読点を置くような、あるいは「とまる。逆さ」と句点を置くような感触)、同時に、表記上は連用形によって滑らかになっており、無時間的に知覚が生じているようにも思われるのだ。この作品に限らず、連作ぜんたいが、私にとって学ぶことが多いものであった。

 未補さんの作品をこの欄で採りあげることは、いささか身内感が強い気がするから、禁じ手としてきたのだが(未補さんと私はネットプリント「きりんねこ短歌合評会」の共同発行人である)、昨年「詩歌トライアスロン」を受賞されたようであるし、句会で目にする作品から判断すると、実力はたしかであると思われるため、採りあげることにした。とはいえ、やはりあまりにも多く未補さんの作品を目にしてしまっているために(ボツ作品を含めて)、論評のしづらさはあるのだが。以下、私も同席した句会に出詠された諸作品のなかから、本人の許可を得た3句を読んでみたい。

  蜘蛛の糸うるむ系譜のない水に    未補(第13回プネウマ句会・2020年4月)

 蜘蛛の囲には出自がある。蜘蛛から生まれた糸で編まれたのだから。ところが、非常に強く、非系譜性・私生児性の感触を湛えている。視覚的には、ネットワークであり、文字通りWEBであり、つまりツリー状のロゴスではないようにみえるからだろうか。生んだ蜘蛛自体がその網目から抜け出して、上に載るからだろうか(地面との位置関係によっては、下から張り付いているのかもしれないが)。留守になっている蜘蛛の囲、蜘蛛に捕食されたかもしれないしされ得なかったかもしれない虫が絡みついている蜘蛛の囲、枯葉の破片が絡みついている蜘蛛の囲、これらは、やはり出自があるにもかかわらず、系譜をもたないという感触を、強烈に湛えている。ここで詠まれているのは蜘蛛の囲ではなく《蜘蛛の糸》である。だから、もしかしたら、いままさに蜘蛛から生み出されている一本の糸を想起すべきなのかもしれない。しかしそのとき、不思議なことではあるが、やはり、いよいよ、その系譜性・有出自性の、脆さ・儚さが高まってくる。頻繁に使用される比喩表現によるものであろうか。出自があることが自明であるのに、非系譜性の感触を湛える蜘蛛の囲(ないし「糸」)は、いわば「系譜というものの根源的な私生児性」の表象であるように感じられる。
 《》に系譜がないのは自明であるようにも思われる。「ここにある水」の系譜をたどっても、雲へ、水蒸気へ、海へ、川へ、雪へ、そしてまた雲へ、と循環してしまう。《》という言葉を我々がどのように用いているのか、何を《》と呼んでいるのか、私には判然としないところがあるのだが(この宇宙内にあるH2Oの総体をそう呼ぶのかもしれないし、「ここの水」や「そこの水」といった経験的「水」とは別に《》という言葉があるのかもしれない)、《》はどこからも来ないし、どこへもゆかない、と私には思われる……一神教的なコスモロジーにおいては異なるのかもしれないが……。この作品では、いわば「あらかじめ非系譜的」である《》が、「出自があることの根源的な非系譜性」を表象する《蜘蛛の糸》に、触れている。《系譜のない》という連体修飾語は、自明であるはずの《》に係るように書かれており、そのことによって、いわば見せ消ちのように、「系譜の非系譜性」の感触が、言葉のなかに出現していると思う。

  濡れにゆく小蟹は影を閉ざしけり   未補(第15回プネウマ句会・2020年6月)

 地味な作品のようだけれど、句会で私は高く評価した。たぶん海の《小蟹》はどこかしらつねに濡れているだろうから、沢蟹のように思う。しばらく水から離れて戯れていた《小蟹》が、強い日差しのなかで乾く。そのときの《》が、霧散するのでもなく、薄れるのでもなく、くきやかになり、濃くなる。《影を閉ざし》とは、誰にも思い浮かばない、優れた表現であると感じる。この、くきやかさの感触が、《濡れにゆく》という決意のゆるみのない感触を強めているようにも思う。
 余談になるかもしれないが、事後的に考えれば、ここでの《影を閉ざし》という表現は、未補俳句に頻出する、放射・解放・散逸の感触を湛えた動詞(たとえば「ほぐれる」「はぐれる」「ほつれる」「ほどける」「薄める」「にじむ」など)とは一線を画している。いま挙げたような「放射系語彙」は、ある種の感触を湛えているから、たとえ初めて用いられた語であっても、たとえば句会の無記名の出詠一覧をみたときに「未補俳句だ」と分かってしまう。このことを私は現時点の未補俳句の弱点と考えているのだが――理由はたいしたものではなく、たんに「さいきんの若い人が俳句や短歌で使いそう」という印象を抱いてしまい、結果として、句会では目立っても、大観したときに差異化されないのではないか、と思うからだが――、もちろんこのことは、いわば「市場で求められている感触」に一致しているということであるから、弱点と考える必然性は、さほどないのかもしれない。

  桃めくる色のあわいをめくむかし   未補(LOTUS句会・2021年8月)

 上句・中句には、幽かなよさがある。「よさがある」なら、よいのだろう、といわれると、やはり私としては困る(今回の「メタ価値論」をめぐる記事参照)。桃の皮をゆるゆると剥いてゆくなら、当然に《色のあわい》が出現するだろう。ここには前述の「放射系語彙」の感触が少なからずあるとも思うし、ここだけをみるなら「よさが目指されてしまっている」感じもしてしまう。が、やはり卓越しているのは下句《めくむかし》の地味な奇妙さである。句またがりの「喚く(をめく)」を見出すには、《あわい》は「あはい」か「あはひ」となるはずだ。新かな表記の特権として、《あわい》には「淡い(あはい)」と「間(あはひ)」が掛けられてもいるのだろう。この下句を私は「むかしめく」の接尾語が前方に突き出た、非語の語として読んだ。ひどく奇妙なわけではないと思うが(むしろ地味に奇妙である)、十分に奇妙であるとは思う。ちなみに句会では《かし》は終助詞ではないか、という読みが出た。そのばあい「めくむ(恵む・芽ぐむ、の清音化)」となるのだろうか。いちおう成立しそうではある。私は「マレー語のありがとうを意味する『トゥリマカシ』みたいで面白い」などと馬鹿なことを述べたのであるが。後日作者に尋ねたところ「変なことばを作りたかった」とのことだが、たとえそのとおりだったとしても、生成された「変なことば」の変さ(奇妙さ)の質感の謎は解けるわけではない。
 下句だけをみるなら、やはり「ちょっと変な感じがするよね」程度のことしかいうことができないかもしれないのだが、この「ちょっと変」が重要であると、私は考える。十分に奇妙であることを、私はあらゆる文芸作品・芸術作品に要請するが、十分に奇妙であるためには、「ちょっと変」というだけでよい。そしてこの地味な奇妙さを準備しているのが、上句・中句の「幽かなよさ」であると考える。そして結果的に、「よさが目指されてしまっているという感触の回避」に成功しているようにも思う。

 木村リュウジ氏と初めて出会ったのは、2020年1月25日の「春殴会」だった。よく喋る面白い人、という印象であった。以来、2年弱、彼の作品をみてきて、(錯覚かもしれないのだが)作品の質が格段に上がったと感じた瞬間があった。そのとき私は「酒卷(英一郞)さんに私淑してから、とてもよくなったと思う」と本人に伝えたのであるが、いま考えてみると、作品の質の変化のタイミングと、酒卷さんへの私淑の決断のタイミングが一致していると、なぜ私が考えたのか、よく分からない(決断のタイミングは、彼にしか分からないだろう。彼が三行句を発表し始めたのは2018年であるから、ふつうはその時点から私淑したと考えるだろうと思う)。2021年から私もLOTUS句会に出席するようになった。LOTUS句会での彼は、「春殴会」とはうってかわって真面目で遠慮がちな印象だった。今後、彼の新作が読めないことも、彼の作品の質が変化することがないことも(変化するとすれば、それは「読み」によるものとなる)、残念である。私が主催する「プネウマ句会」にも彼は参加してくれていた。出詠作品から3句読んでみたい。なお、「プネウマ句会」は夏雲システムを利用しており、改行ができないため、改行を「/」で代替するよう強いることになったことは、いまでも心苦しく思う。

  靑鷺の火の
  否と消えて
  乎古止點     木村リュウジ(第31回プネウマ句会・2021年5月)

 いわゆる「青鷺火」は「五位の火」「五位の光」ともいわれるように青鷺ではなく五位鷺のことである、とされているようであるが、よくは分からない。ここでは《》が燃えて(伝承によれば発光して)いる。これがたんに消えるのではなく、《火の/否と消え》る。この滑らかさに、心惹かれる。漢文訓読のための《乎古止點》は、文字を正方形のグリッドに収めた架空空間のようであり、これが《靑鷺》のいる空間に重ねて見出されているのか――田にいる鷺を想像することもできる――あるいは(みえている《靑鷺》とは別に)架空のままであり続けているのか。このグリッドに10前後の篝が並んでいる、と想像してみる。あるいはまた、この篝の正体は《靑鷺》であるとも。《靑鷺の火》が消えたとたん、グリッド内の篝の火が消える。そのとき、それが《乎古止點》であったことが分かる。「靑鷺=乎古止點グリッドの篝」という直接的関係にあるようにも、「靑鷺空間」と「乎古止點空間」は同期した別の空間であるようにも、感じられる。同期しているということは、「靑鷺OFF」のとき「乎古止點ON」と反転した関係にあるのかもしれない。《靑鷺》と《乎古止點》のあいだには、想像を絶する距離が――というべきなのか、次元の差異が、位相の違いが……なんとでも呼べばよいであろう――あるように思う。この距離を確かな橋がつないでおり、この確かさは《火の/否と消え》ることの滑らかさによって導かれているように感じられる。

  錦繡の
  すでに六喩の
  露なる      木村リュウジ(第36回プネウマ句会・2021年8月)

 どんなに美しい織物であっても、織られた瞬間からすでに古びはじめている、つまり無常である、そのことがあらわである、とひとまずは読める(《六喩》は仏語で、一切が無常であることの喩え)。「あらわ」の《》という表記も儚さの「喩」になっている(金剛経の《六喩》のうちのひとつに《》がある)。《錦繍》とは「美しい文章」のことでもあるから、《六喩》とはさまざまな喩、さまざまなレトリックをも示していると読んでさしつかえないだろう。このラインで読めば、古今東西の文学作品についての言及にもなっており、かつ、本作も文学作品なのだから、自己言及でもある。俳句作品など、一粒の露に過ぎない、と述べたうえで《》の表記を置く……と読むように本作は設計されているのだろう。気になるのは、本作が目指している地点に悠々と届いたうえで、しかしそこからさらにはみ出すようにはなっていない、という点であろうか。とはいえ、「はみ出す」ことに対して無欲であるような、余裕を感じさせる作品ではある(《錦繍》と「金秋」が掛けられているのかもしれない。この点は、さほど詩的な効果に貢献していない)。

  白うるり
  秋を燈せば
  方取られ     木村リュウジ(第37回プネウマ句会・2021年9月)

 《白うるり》とは、『徒然草』第60段に登場する盛親僧都が「或法師」につけたあだ名である。《この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける》。「しろうるり」とは何ですか、と問われ、「そのようなものは私も知らないのだが、もしあるとすれば、この僧の顔に似ているのだろう」という。「白瓜」のことではないかとも推察されているが、ようするに語義未詳である。初読、《》を「かた」と読んだ。つまり「かたどられ(象られ)」と。秋灯の明かりのなかに、影としてそのモノのかたちが象られる。ポイントは「誰もそのようなものは見たことがない」という点だろう。目には見えないモノかもしれない。これが灯に影として姿を現す、というマジカルな出来事が起きているのであろう。《》は、「かどばったさま」を意味する「けた」とも読める。「瓜の角(かど)が取られた」と。このとき、瓜=丸いものの、ないはずの角を取る、という、非存在への詩的アプローチが、作品内で行われていると読むこともできる。《方取》にはもっと読み方が多様にあるようにも思われるが、いまのふたつの読みだけでも、魅力的な作品であるように思う。


俳句時評144回 作者の哲学――牛島火宅「殯」から 谷村 行海

2022年01月05日 | 日記

 「新人賞「辣油の花」、准賞「けふの用」は、ともに俳句的表現を獲得しているものの、そのぶん既視感が多くみられ、言葉がまだ言葉としてのみふわんと浮いている頼りなさがある。この「俳句的既視感」はたとえば<水槽に簡単な陸うららけし>(「辣油の花」)のように「簡単な」と印象を付与して「うららけし」と気候の季語で雰囲気をまとめたり、<階段の裏錆びきつて鳳仙花><くろぐろと濡れて朝の焚火跡>(「けふの用」)のように錆びや跡に着目したりする、発想の定型化にある。こういう句は誰かがもう作っている。それを型の継承として是とする考え方もあろうが、それは俳句の平凡化と表裏一体でもある。
(中略)
俳句は型を身につければいくらでも書けてしまうからこそ、なぜ今わたしがそれを詠むのか、作者の哲学が欲しい。質量や体温をもって世界と切り結ぶ言葉を求めたい。

 以上は、『石田波郷俳句大会 第13回作品集』(2021年12月)の「新人賞 選者選評」における神野紗希の評である。読んでわかる通り、今年度の石田波郷新人賞の根木波輝「辣油の花」、準賞の佐々木啄実「けふの用」に対し、手厳しい評価を下している。たとえ受賞作であったとしても、そこに「作者の哲学」があるかどうか。賞の持つ評価以上に、この選評は俳句そのものを考える際に重要な示唆に富んでいる。
 そうして今年度の各種賞の受賞作・候補作を読み返したとき、最も「作者の哲学」を感じたのは、角川俳句賞の候補作品となった牛島火宅「殯」だった。「殯」は獄中や刑場をテーマに詠まれた特異な作品であり、選考座談会でも受賞・次席の是非を巡る議論が白熱していた。以下、引用はすべて『俳句11月号』(角川文化振興財団、2021年10月)による。

  主文死刑以下は野分の被告かな   牛島火宅
  一と日生きのびて一夜の銀河濃し  同
  「秋と逝く」のみ書き遺す自裁あり 同
  死囚徒の自死をうべなふ鉦叩    同
  澄む眼ゆゑ頭巾でおほふ処刑まへ  同
  出獄の刑屍にかざす秋日傘     同
  秋風や浄めて備ふ絞刑具      同
  死を強ひる罰ある獄の聖誕祭    同
  たましひを神に嘔吐す聖夜ミサ   同

 作品に主に登場するのは死刑囚と刑務官。「一と日」などの句は死刑囚の日常を、「澄む眼ゆゑ」などの句は刑務官の日常を詠んでいるように思う。死刑囚は社会的に見れば善悪の悪の立場に立つ。しかし、永山則夫など、獄中で罪を心から悔いる者もいる。そして、刑務官はその死刑囚たちと長い時間を過ごすことになる。だからこそ、社会的に死刑囚が持つイメージと真逆のイメージを見ることもあるのだろう。「澄む眼」をした死刑囚や、罪を犯した己の「たましひ」を「神に嘔吐す」るように激しく打ち明ける死刑囚。そこには一人の人間としての死刑囚があるばかりだ。そのうえで己の世界・生を振り返るとき、そこにはまた別の視点が生まれてくる。作者の世界が色濃く反映されており、「殯」の読後には、映画を一本観たあとのような充足感が残った。
 しかし、「言葉があまりにも大袈裟で、比喩が多くて、鳥とか虫を擬人化している。そういう言葉の遣い方が僕は積極的に採らないという理由です」という仁平勝の言や、「あまりにも由々しい言葉が多出しているのがとても気になりました。この方がこう詠むということ自体は尊いことだと思うのですが、それを角川俳句賞として推す立場で読むとき、こんな由々しい言葉を多用していいのかと疑問を持ちます」といった正木ゆう子の言のように、句の表現は確かにオーバーなものが多い。それは確かにこの作品の持つ傷と言える。しかし、死刑囚と刑務官との日常の連続における感情は、表現を抑えて詠んだ場合には失われてしまう気もしてならない。それこそ、「質量や体温をもって世界と切り結ぶ言葉」が崩れてしまう気もしなくはないのだ。
 「近年、角川俳句賞の作品は作者性が薄まって透明に近くなっていく印象があります。そのなかで、この作品は強烈に作者性というものを押し出してくる。歴代の受賞作品の中でも非常にユニークなものではないか」と小澤實は述べている。最終的に受賞にも次席にも至ることこそなかったものの、この作品がまた別の世界を切り開くのではないかということを密かに願いつつ、私も作句に励みたい。


俳句時評143回 多行俳句時評(2) 木村リュウジ ワレカラを懐にして      丑丸 敬史 

2021年11月30日 | 日記

(1)

  言語野の
  はなばかり見て
  秋の暮                           木村 リュウジ

  はらからの
  そのははからの
  波羅蜜多

  枯尾花
  或る辭失くして
  揺れ止まぬ

 木村リュウジ。本名、木村龍司。1994.8.8〜2021.10.21。突如、木村はこの世を辞した。彼を知る人はまだその事実をしっかりと受け止められずにいる。

 掲出三句は、木村がLOTUS 2018年10月句会に寄せた彼の多行形式俳句デビュー作である。以前、「俳句時評 第130回 多行形式俳句(4)月光魚は帷の淵に」に書かせていただいたように、彼はLOTUS同人の酒卷英一郎の三行形式俳句に魅せられて、LOTUS句会に参加して、自らも三行形式俳句を書き始めた。その記念すべき作である。<言語野の>は、この句会における最高点句であった。華々しいデビューである。筆者は句会が開かれる東京から遠方であるため、欠席投句での参加であったため、木村リュージって何者? 状態になった。

 ここで木村はすでに酒卷俳句の言語遊戯を咀嚼し、彼なりのポエジーの有り様を見出しつつあるように見える。言語遊戯を一段低く見る向きもあろうが、言語遊戯は作者の「はにかみ」であり、「てれ」であり、「矜持」である。言語野は、脳内の言語を司る領域であるが、ものを考える、俳句を作る、全てのことは言語を通して行われ、複雑な思考も言語が仲介する。その不思議な作用を司る言語野に立ち、その領域の端を見渡す。ススキが風に揺れてその太陽はすでに西に傾き最後の光芒を引く。遠くに山があっても良い。まさしく、虚子の<遠山に日の当たりたる枯野かな>の世界が目に浮かぶ。そのイメージを言語野という言葉から紡ぐ。

(2)

  行く秋の
  空に研がれて
  秋の逝く                        2018.12月句会

  花籠めの
  地天返しの
  眠りかな                        2019.4月句会

  花かつみ
  出づれば消ゆる
  祖語なりや                       2019.6月句会

  たなびくは
  夢のたびらの
  ゆかたびら                       2020.6月句会

  實を結び
  泡立ちさうな
  綺語を摘む                       2020.10月句会

  苅萱の
  喃語の我を
  刈るまじく                       2020.12月句会

  揚雲雀
  闇の上がりぞ
  病み深き                        2021.4月句会

 晩秋が渡り鳥のようには空を遠ざかってゆく。その秋を空が研ぎ澄ます。秋はさらに身を細く鋭くし冬の木枯らしのように厳しく冷たい光となって遠ざかりゆく。秋の終わりを地から見届けている。
 花かつみは、古歌に詠まれた花であるが、杜若、姫著莪、真菰、諸説あるが正体不明。「みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人に恋ひやわたらん」(古今和歌集)、正体不明のところが詩心をよりくすぐるのであろう。能因法師や松尾芭蕉がわざわざ現在の福島県の安積の沼まで訪ねたほどである。祖語は、ここでは尊い師匠の言葉くらいの意味であろうか、口にすれば、口にした途端に消える祖師の言葉、それを幻の花かつみと見ている。
 タビラ(田平)とは鯉科タナゴの近縁種であるが、それをここに当て嵌めずとも、揺蕩うような言葉遊びに興じたい。たなびく湯帷子に混じり、たなびくタビラを想えば良いし、わざわざ「夢の」と断っているところに、タビラと湯帷子に何の関係があるのかと問うのは野暮というもの。
 揚雲雀の抱える闇と病み。「」と「病み」の駄洒落、「」、「上がり」、「深き」の対比だけのように見えるものの、揚雲雀の闇に思いを馳せた者がいたであろうか。雲雀が上がるに連れて、その闇も大きく深くなる。

 筆者は、三行形式俳句に形式美を強く感じる。酒卷のものには五七五を単に行分けにしたものが多いが、それだけに見せ方に凝っている。三行書きの必然性をいかに面白く感じさせるか、作者は心血を注いでいる。律を崩す面白さと断絶の凄みのある四行形式俳句に対して、三行形式俳句にも同様に気負いはあるはずだが、三行形式俳句の書き手はその気負いを感じさせず俳句世界に遊んでいる。木村はこの三行形式俳句の軽やかさ、遊びに惹かれていたのであろうか。

 コロナ禍でZoomを用いたリモート句会となった後は、筆者も画面越しではあるが木村と対面した。現在、俳句がどれだけ若者に刺さる詩型かと問われれば、現代詩や短歌に比べればそれは薄い。感情が溢れて溢れて仕方がない、言いたがりの若者にとって、「語らず」の文芸である俳句に己を嵌め込むことは難しい。まだ二十代ではありながらその俳句の骨法を理解し、古来よりの俳句に関しての博識とそれに裏打ちされた木村の俳句の読みの深さにも驚かされることが常であった。ゆくゆくは、俳句という詩型を刷新しゆく推進者になるであろうと、彼の俳句を知る誰しもが期待する俳人であった。

(3)

  言語野の
  あなたから
  われからを享く                      2021.10月句会

 木村が最後の句会に提出した三句のうちの一つ。言葉を、日本語を愛した木村にとって言語野はかけがえのない故郷であったことであろう。その原風景である言語野に彼は再び佇っている。ワレカラ(割殻、破殻)はヨコエビ近縁種の極小エビであり、移動する器官が著しく退化しその姿はとても小さく儚い。言語野の涯を見つめていた木村は、その言語野の彼方(あなた)から祝福としてワレカラを貰い受けた。その小さなワレカラをお守りとして懐に入れ、木村はこれからも詩歌の旅路を続けてゆく。


俳句時評142回 惑星的な俳句について(3)その1 斎藤 秀雄

2021年11月03日 | 日記

 高柳重信は、1970年の論文「『書き』つつ『見る』行為」のなかで、第一句集『蕗子』(1950年刊)を批判的にふりかえっている。いっけん、そこで述べられているのは、個人的な方法論に過ぎないもののようにみえる。すなわち「あのようなやり方で書いた、しかしそこには限界があった、ゆえにそののち、あのようなやり方では書かなくなった」と、少なくとも記述のレヴェルにおいては、述べているようにみえる。しかし結論からいうなら、根拠のないことではないが、ここで高柳は個人的な方法論というよりもむしろ一般理論、俳句を可能にする理論を述べていると読んでよいし、またそう読まれるべきであると、私には思われる。

 その『蕗子』に収められた作品について、いちばん、はっきりしているのは、それらが、まだ、本当に「書かれた」ものと言いがたい点であろう。それらは、要するに、書かれるに先立って、すでに、かなり明瞭なかたちで、ある種の既成の言葉になってしまっている。ある種の発想があり、それが、ある種の言葉と早々と癒着してしまった段階で、容易に俳句形式に出会っているのである。(略)あの発想と呼ばれるもの、あるいは、発想に先立つ感動などというものを頼りにして、それらは書きはじめられていたのであった。更に言い方を変えるならば、それは、作品を書きはじめるに先立って、すでに感じていた何か、あるいは、すでに見えていた何かについて、非常に大きな比重をかけ、むしろ、それを適当な言葉に翻訳するというかたちで、楽天的に制作を進めてゆくやり方であった。
 やや極端に言えば、そこに生まれてくるのは、書かれるに先立って、もう大部分が決定済みの世界である。言葉に書かれることによって、ただ一度だけ、はじめて出現する世界ではなかった。したがって、それは、外観的な大きな差異があったとしても、作者と言葉との関係から眺めるならば、俳壇で普通に「写生」と呼ばれているものと、まず大差はなかった。(高柳[1970→1985: 181])

 書かれたものとしての作品の過去に、知覚内容・作者の実感・感動・発想・想像されたもの・感情や気分、などなどがまずあって、しかるのち、言葉へと翻訳され、作品として書かれることになる――という、いわばひどく古典的な図式(モデル)にのっとって『蕗子』は書かれた、と高柳は述べていることになる。この言葉を字義通りに受け取ることに警戒してしまうのは、「重信の書いた文章だから」ということももちろんあるとはいえ、第一に、『蕗子』を改めて読み返してみても、そのような方法論で書かれたという感触が希薄だからである。少なくとも、『蕗子』に収められた47句すべてがそうだとは、考えにくい。第二に、高柳が(珍しく)素直に素朴にこう述べているのだと仮定しても、20年の期間をおいて自作をふりかえるときに、現在(1970年)の観点からレトロスペクティヴに過去を構成する力が働いていないとも考えにくい。言い換えれば、『蕗子』が書かれたまさにその瞬間の、そのときの体験が、ここでそのまま「再生」されているとは、考えにくい。そして第三に、彼自身、《『蕗子』以後》の彼の《批評と鑑賞の原点》として、いわば一般理論として、次のように述べているからである。

 これは冗談ではなく、『蕗子』以後の僕は、まさに文字どおり、言葉を書くだけであり、そして、きわめて稀に、そこに書き並べられた言葉のなかに、何かを「見る」だけであった。したがって、現在の僕には、発想というほどのものもないし、その発想に先立っての何ものかに対する感動のようなものもない。僕にとって、感動とは、時に言葉のなかに何かを見た場合の感情である。(略)
あるいは、僕の場合は、俳句を「書く」というよりも「見る」というべきかもしれない。そして、この「見る」行為だけが、僕の制作の根幹であり、併せて、僕以外の人たちの作品に対する僕の批評と鑑賞の原点になっていると考えていいのかもしれない。(同前[183])

 方法論として読むならば、かなり誇張されたものとして、おそらくじっさいにはそのようには実践していないだろう、と伝達するやり方で(つまりパフォーマティヴに)述べることによって、ひとつの理論がここでは述べられている。この理論は、使えなくなった古い理論を放棄し、それに置き換えられる、新しい理論として読むことができる。古い理論によるならば、言葉以前の何か――過去・作者の知覚内容・作者の内面に想定されるものごと、など――が、言葉によって描写ないし表現され、作品と成る。作品は読者によって読まれ、もしもうまくいくならば、「以前の何か」は読者へと「移送」される。こうした理論が「使えない」ものであるのは、コミュニケーション理論の文脈においては明らかだ。「移送モデル」とよぶことにするが、仮に言語を用いたコミュニケーションに限定するとしても(俳句においてはまさに言語が用いられているように私にはみえる)、当の目指された「移送」がどの程度果たされたのか、判別する術がないからである(テレパシーのような、別の複雑な理論をもちこむのでないかぎり。しかし、もしもテレパシーが利用可能であるならば、おそらく言語を用いたコミュニケーションへと人が動機づけられることはないであろう)。むろん、かなり長期にわたって、この「移送モデル」は疑われていなかったのであるが、その理由は、コミュニケーションを観察するものが、コミュニケーションの外形や自分の実感に欺かれていたからである。また、高柳のいっていることを、芭蕉の、かの過剰に神聖化された「言ひおほせて何かある」と同一視することも、変奏として読むことも避けるべきだろう。言語を用いて「言ひおほす」ことは不可能だからである(そもそも芭蕉の言は、去来の「いと桜の十分に咲たる形容、よく言ひおほせたるに侍らずや」に対するツッコミに過ぎない)。
 芸術理論の文脈においては、「使えない」と判断するには、もうワンクッション必要かもしれない。この古い理論によれば、作者は「以前の何か」についての似姿・複製・複写をつくろうとしているのであり、いわばミメーシスを旨としている。アーサー・C・ダントーに倣って、「模倣理論」(Imitation Theory)とよぶことにしよう。このとき、オリジナルなものとして存在したものは、作者の知覚内容(想像を含む)であり、作者の知覚したなんらかの情感であり――あえて粗雑な言葉を用いるなら――「実感」であることになる。技巧は、ミメーシスに奉仕する奴隷となる。かくして、作品は、たんなる再生装置に成り下がり、副次的なもの・二次的なもの・複写物でしかないものとなる。こうした古い理論が、現在では不適切であるとわれわれにとって思われるのは、第一に、コミュニケーション理論における「移送モデル」が不適切であるのと同様、読者は作者の知覚内容にアクセスすることができないからである。「この作品には実感が籠もっている」と粗雑な言い回しを用いるとき、そこで意味されているのは「この作品は、『実感が籠もっている』という印象をともなって、読者である私によって知覚されている」という程度のことであると思われる。第二に、「作品は副次的なものであって、再生装置に過ぎない」という説明は、作品がオリジナルな現実として――少なくともなにがしかの知覚の原因として――読者であるわれわれによって体験されている、という、ありふれた感覚に合致しないからである。そして、作品が作品として(詩が詩として、芸術が芸術として)受容され、世界内に新たに登場した新たな現実として迎え入れられた時代のことを、われわれは「近代」(modernity)とよんできたはずである。
 こうしたパラダイムの移行、芸術を可能とする理論の移行を、アーサー・C・ダントーは「模倣理論」(Imitation Theory(IT))から「現実理論」(Reality Theory(RT))への移行として記述している。

この理論(RT)は、新旧いずれの絵画であろうと、絵画についてのまったくあたらしい見方を提供した。じっさい、ヴァン・ゴッホやセザンヌの粗雑な素描や、ルオーやデュフィに見られるかたちと輪郭のずれ、またゴーギャンやフォーヴィズムの画家たちに見られる色面の恣意的な取り扱いはおおむね、それらが非‐模倣であり、なによりもひとを欺かないことを意図しているのだという事実に人びとの注意を喚起する多様なやり方なのだと解釈されるだろう。(略)それはむしろ、一方でリアルな対象と、他方でリアルな対象のリアルな複製とのあいだに新規に開けられた一領域を占めるのである。それを名指すことばが必要なら、それは非‐複製というべきであり、世界に献呈されるあらたな寄贈物である。たとえばヴァン・ゴッホの《馬鈴薯を食べる人びと》は、そのかたちをある仕方で、しかも見あやまることのないやり方でゆがめることの結果として、実在する馬鈴薯を食べる人びとの非‐複製であることがあきらかであり、またこれが馬鈴薯を食べる人びとの複製ではないそのがきりで、ヴァン・ゴッホの絵は非‐模倣として、その絵の主題と推定される実物と同様に、リアルな対象と呼ばれる権利をもつ。(Danto[1964=2015: 13-4]、傍点は太字で表記した)

 知覚を欺くことを旨とするのではない、新しい現実が、日々生起している。古典的な(数百年前の)作品でさえ、新しい現実として日々生起しつづけている。そうした新しい領域が、一定の期間の幅をそなえつつも(芸術の諸ジャンルごとに、時期は異なっている)、歴史上、生成した。現時点においてもまだその生成は完了していない。ダントーは「近代」の語を避けつつも、この転換について述べている。たとえばクレメント・グリーンバーグによる教科書的な記述と、完全にとはいわないまでも、ほとんど一致している。

芸術のための芸術が進展した。芸術は(略)ついにはそれ自体が目的として認識されるようになったのである。モダンであることは、根本的に、より良い芸術のための手段を意味していた。そしてそのより良い芸術とは――芸術のための生活ではなく――まず第一に、芸術のための芸術ということ、それに尽きる(一八五七年にフローベールからボードレールに宛てて。「あなたの著作について、何よりも私の好むところは、初めに芸術があるということです」)。(Greenberg[1983=2005: 55])

 近代についての定義は日々更新されているとはいえ、現時点で広く共有されている考えは、(1)自律性(2)再帰性、このふたつによって特徴づけられる、というものだ(「近代的自我」だとか「産業主義」だとかいった、前世紀中葉ごろなされていた定義は、前世紀後半に棄却されている)。グリーンバーグのいう《芸術のための芸術》、ダントーのいう《新規に開けられた一領域》は、このうち、「自律性」を表現している。そして、グリーンバーグのような「ものの見方」自体が、ダントーのいう《芸術理論》(Danto[前掲: 11])に該当し、こうした理論自体は、「再帰性」によって生成されるということになる。ここで再帰性とは、前々回の私の記事の言葉でいえば「セカンド・オーダーの観察」のことであるし、少し定義の厳密さを緩めていえば「社会の自己記述」のことである(近代社会は、社会の自己観察によって得られた知識を前提にして、次のムーヴを実行する。近代社会に住む行為者たちは、それぞれに得ている知識の内容も量も異なるとはいえ、やはり社会の自己観察を前提に、次の行為を選択する――再帰性を定義するなら、このようになる)。「間テクスト性」「作者の死」「散種」などの20世紀的なアイディアの諸々は、このタイプの芸術理論がなかったならば想像することさえできないであろう。芸術の自律性(芸術のための芸術)という、モダニティの記述について、現在であれば、「アート作品は投機の対象になっている」だとか「景観をよくすることを目的とした作品も数多い」だとかいった反論がありうるかもしれない。しかしその場合でも、そうした認識自体が、アートワークをそれ以外のものから区別することによって可能になっているのであり、これを可能にしているのは、理論である。

こんにちではひとは、自分が芸術の領域に立ち入っていることに、当人にそうだといってくれる芸術理論がなければ、気づかないかもしれない。こうした事態の理由の一端は、それが芸術の領域とされるのは芸術理論のおかげだという事実にある。それゆえ、われわれが芸術をそれ以外のものから区別する助けとなるということに加えて、そもそも芸術を可能にすることも、理論がもつ効用の一つである。(Danto[前掲: 11])

 ありうる誤解を回避するために述べておくなら、ダントーのいう現実理論は、たんに、模倣理論によっては説明ができない諸々の作品が出現してきたことに対応している、というだけではなく、かつて模倣理論が充分に説明できていた事象についても、やはり充分に説明できるのである。《あたらしい理論は、古い理論の効力のうち受け継げるものは受け継ぎつつ、これまでうまく扱えなかった事実をもとりこめるように練りあげられることになる。(略)あたらしい理論を受けいれるための基準の一つは、それがこれまでの古い理論が説明してきたものはなんであれすべて説明できること》(Danto[同前: 12-3])にある。したがって、模倣理論がかつて説明していた諸作品が棄却され、現実理論が説明している諸作品が意義あるものとして新たに採用される、というのではない。棄却されるのは模倣理論のみである。たとえば、次のような諸作品は、模倣理論を用いては、うまく読むことができないのではないかと思われる。

  雁よ死ぬ段畑で妹は縄使う        安井浩司
  おはつにエヴァがる乙りきに瀆すべし   加藤郁乎
  ひらめける手の忘却をかものはし     九堂夜想
  翡翠の記録しんじつ詩のながさ      田島健一

 さらにそのうえで、おそらくは模倣理論によってかつては説明されたであろう、次のような諸作品も、現実理論によって充分に説明可能なのである(下村の「北斎忌」は、模倣理論のリミットであるようにも思われ、むしろ現実理論による受容を待つ作品であるように感じられるが)。

  しぐれんとして日晴れ庭に鵙来鳴く    高浜虚子
  河べりに自転車の空北斎忌        下村槐太
  雲をみてをり春の雲ばかりかな      今井杏太郎
  冷ゆる手のすこし種井をさそふかな    田中裕明

 そのリストはお前の「フェイバリット俳句.txt」ファイルからコピペしてきただけのものだろう、といわれそうであるが、そしてじっさいその通りであるのだが、現実に私が、ここで便宜的にふたつのグループに分けた諸作品の、いずれをも、同様に好み(「似たような感じ」はそれぞれのあいだにほとんどないにもかかわらず)、評価している、という点が重要ではないか。そしてそのとき私の採用している観点は、模倣理論ではありえず、つねに現実理論なのである。
 そして、この文章の冒頭でしつこく「方法論」と「理論」を区別したのも、この点にかかわってくる。すなわち、現実理論にのっとるならば、多くのケースで、方法論は、作家にとってどれほど切実で切迫したものであったとしても、読者にとって、そしてなにより作品にとって、まったく外在的なものであると思われる。もちろん、つねにそうであるといえるかどうかには、議論の余地がある。マネの絵画作品を見ることは、マネによる、メディウムの処理の新しい方法を見ることである、といえるのかもしれない。しかし、『笛を吹く少年』を見る体験は、マネの方法論の生産物を見る体験なのだろうか、それとも方法論そのものを見る体験なのだろうか。他方、ウォーホルの「ブリロ・ボックス」にとって、それが木製であることは、ほとんど外在的であるように思われる。「多行表記」という方法を用いなければ、《俳句形式の本質が多行発想にある》(高柳[1969→2009: 276])というテーゼを知覚可能なかたちで示すことはできなかったかもしれない。しかし、多行形式の作品を読むことと、目に見えて現われている多行表記を見ることとを同一視することは、カテゴリー錯誤であるかもしれない。
 そうした困難があるとはいえ、ここで私が問題にしているのは、作品「以前」があるのか否か、というだけの問題であり、それゆえ、やはりここでは、方法論が外在的であるというケースについて話題にしているのである。つまり、「発想」なるものは、作品にとってあってもなくてもどちらでもよいものであるはずだ(そもそも「発想」なるものが「ある」というときの、存在論的な地位はいかなるものなのか、私には分からない)。あるいは、方法が「写生」であったとしても、そのこと自体は、作品にとっては関心の外に位置することである。いかに「外」を観察したとしても、知覚が生じるのはつねに「内」においてであり、意識の与える「外である」という印象が、知覚にともなうことになる、というだけだからだ。

意識は、直接性という印象のもとで知覚を処理する。しかし脳が営む作動は実際には高度に選択的であり、その働きは量的でありまた回帰的である。それゆえに常に間接的なのである。したがって《直接性》は何ら根源的なものではない。(略)神経システムがなしうるのは自己観察だけであって、自己の作動が回帰する領域において環境との接触を行いうるわけではない。自明のことながら神経システムは、自分自身の境界の外側で作動することはできないのである。(略)意識は神経システムの作動上の閉鎖性を内と外の区別によって、つまり自己言及と他者言及の区別によって補正する。ただしその区別は作動としてはやはり内的なものである(Luhmann[1995=2004: 6-7])

 したがって、「直接性という印象をともなう内的想像」もあれば、「直接性という印象をともなわない外的観察」もありうる。そしてやはり、そうした事実はことごとく、作品にとって外在的なことがらである。
 方法論について、高柳自身は、金子兜太への注文、という体裁で(これは『俳句研究』における高柳と金子兜太の往復書簡に対する、松井満天星による批判への応答として書かれているのだが)、次のように述べている。

だから、あの往復書簡の中で僕が言っていることは、「造形とは何か」などと、現代詩の入門書でも見れば、何処にでも書いてあるような、啓蒙的な一般論はそろそろやめにして、もっと金子兜太その人に即した独自な俳句詩論を展開すべき時が来ているのではないか――、ということであった。(略)
 自分自身の俳句を書く上に、いちばん大切なことは、何でもよいから、なるべく早く、自分の独断を生み出し、これを育成し、構築することである。(略)俳句というものは、要するにそうした独断論の様式化したものである。(高柳[1958→1985: 219-220])

 この文章が書かれる、つい1年半前には、《しきりに「造形」ということを説き、併せて諷詠俳句を否定したのは、きわめて注目すべきことだと思っている》(高柳[1956→1985: 147])と高く評価していたことと合わせて考えると、なんとも趣深いことではある。しかし高柳は正しく、《俳句を書く上》では(すなわち方法論としては)《独断論》でよい、と見抜いている。作品にとっては外在的なのだから、独断でよいのは、当然である。しかしながら、金子の造形論がほんとうに《啓蒙的な一般論》であったのだろうか、という点には、疑問がある(たしかに教科書のたぐいを読むなら、「前衛俳句は兜太の造形論を理論として云々」といったことが書かれてはいるのだが)。というのも、金子はまさに「造形俳句六章」を『俳句』誌に連載した1961年に、別の記事において、次のように述べているからだ。この文章で金子は、彼の作品《粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に》について、その「作り方」を述べている。

この句では、自然や社会の事物を描写し、その描写のなかに自分の感情や考えている内容を投影するという、これまでの俳句の作り方をしていない。ここでは、描写というものに関心はない。関心はもっぱら、自分のなかにある感情や思考の世界を、どのように俳句として組み立てるか、という点にある。描写ではなく、表現といいたい。自分のなかの主題を構成して、一つの詩の像(イメージ)にまとめることだ。(金子[1961a: 7]、傍点は太字で表記した)

 この文が造形論のぜんたいをうまく要約しているとは思わない。また、「粉屋」句が彼の造形論の実践の典型といえるか否かの判断も差し控えたい(私がもっとも愛誦する兜太作品ではあるのだが)。しかしこの文が、少なくとも造形論のひとつの局面を、簡潔にまとめているのも事実である(なお、『朝日新聞』5月30日号のこの文章に対し、山口誓子が同じく『朝日新聞』6月12日号において批判を展開している。詳しくは高柳[1961→1985]を参照)。たとえば「造形俳句六章」の第6章にはこうある。《その〔戦前の俳句の〕大勢を大きく区分すると、次の三通りになります。諷詠的傾向、象徴的傾向、主体的傾向――。このうち、諷詠的傾向は描写的傾向と呼んでもよいでしょうし、後の二者は、まとめて表現的傾向と名付けてもよいでしょう》(金子[1961b→2002: 277]、傍点は太字で表記した)。描写から表現へ、と整理するならば、たしかに、ミメーシスを旨とする模倣理論から抜け出るという、一般的傾向について述べているものとして読むことができるだろう。さらに、金子による戦前俳句の三分類は、兜太が読者として諸作品を読んだときの「感じ」によっているのであろうから、そこに「描写(だけ)でなく表現」がある、ということも、作品「以後」において知覚可能な、一般的傾向であることはたしかなのだろう。さらにいうならば、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アートにおいて作家たちが為していることは「表現」である、ということが気づかれ、作品を「表現されたもの」としてみる・読むことが、まさに一般理論として語られたことも、歴史的な事実である。その意味で、高柳が金子の造形論を《啓蒙的な一般論》とみなすことは、やはり正当なことである。しかしながら、金子の議論の内実が、徹底して作家の方法論として叙述されているということも、またたしかなことのように思われる。金子のいう「表現(expression)」とは、どこから「外へ(ex)」と「押し出す(press)」ことなのか。おそらく作家の「内」から、なのだろう。《自分のなかにある感情や思考の世界》が押し出され、《一つの詩の像(イメージ)》として結実するのであろう。したがって、「内」という過去、作品「以前」について語る金子は、一般論の体裁をとりつつ、じっさいのところ、方法論について語っていると考えても、間違いにはならないはずだ。つまり高柳の杞憂にもかかわらず、金子は十分に《独断論》を語っているといってよい。
 本稿で高く評価したアーサー・C・ダントーの「アートワールド」論文(1964年)に比べて、彼の「アートの終焉」論文(1984年)は、はるかに広く、現在に至るまで、繰り返し読み続けられている。しかし、本稿の観点からすれば、いっけん、理論的には後退しているようにみえる。「終焉」論文のダントーによれば、「アートの終焉」にはふたつの理論が先立っている。ひとつは「アートワールド」論文同様、模倣理論なのだが、もうひとつは「表現理論(Expression Theory)」である。「いっけん」と留保をおいたのは、彼の行論において、「模倣」「表現」「歴史の終焉」のみっつの概念は、入り組んでいるためであるのだが(彼は「ひとつの」歴史哲学のなかでそれらを連関させている)、しかし事後的に(現在の観点からふりかえって)みるなら、やはり後退していると判断することができる。

少なくとも適切である理論の好例は、画家たちは再現(representing)しているというよりもむしろ表現(expressing)しているのである、というものだった。クローチェの『表現の科学および一般言語学としての美学』は1902年に出版された。「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」(The Green Stripe)は、そこに描かれているマティスの妻について、彼がどのように感じているかをわれわれにみせようと試みているのであり、それは鑑賞者側での解釈という手間のかかる行為を要請しているのだとしたら、どうであろうか。
(略)対象(objects)はしだいに認識不可能なものになってゆき、ついには抽象表現主義において完全に消失した。そのために、当然、純粋な表現主義者による作品の解釈は、対象なき情感への言及を必要とするようになったのである。喜び、憂鬱、一般化された興奮〔引用者注:賭け事などの特定の対象へのものではない興奮〕、などなど、というわけだ。(略)
ひとたびアートが表現としてみなされると、アート作品は、もしそれを解釈しようとするなら、われわれを究極的には作者の精神状態へと送り込まなければならなくなる。(Danto[1984=2018: 199]、傍点は太字で表記した。訳文は適宜変更した)

 現実理論という、より一般化の度合いを高めた理論に比べて、ばあいによっては、ここに示された表現理論のほうが、説得力が高いのかもしれない。少なくとも日常的には、馴染み深いものではある。クローチェの例のように、アートに対する「態度」として、歴史上じっさいに存在した、記述可能な理論でもある(ダントーが行論において採用した理由の一端も、そこにあるのだろう)。われわれは絵画であれ詩であれ、作品を前にしたときに「ここでは、このような表現がなされている」とカジュアルに述べる。おそらく「表現」という語の、もっとも堕落した意味においてであろうが。「表現」という語の、語用論上における難しさが典型的に現われるのは、たとえばいわゆる「弱いAI」によってつくられた作品を読むときかもしれない(人のように思考し、精神をもつAIを「強いAI」とよぶ。対して「弱いAI」は、外形的にのみ、人のように思考し、心をもっているかのように、タスクをこなす)。「この作者(AI)は、助詞『の』ではなく、『を』と表現している。そこにこの作品のよさがある」などと語りうるだろう。この語り手は、みずからの知覚内容を「表現」とよんでいるのであって、作者(弱いAI)の「内」や手法(方法論)についてそう述べているのではない。作者として人を想定するとき、まったく自分の自我と同じではないにしても、あるいはその内容は完全に異なっているために通約不可能なものであるにしても、少なくとも形式としては似たところがある、そうした「内」を、よかれあしかれ、他者において想像してしまう。が、「弱いAI」のばあいは、そうした「内」をいっさいもたない(それが「弱いAI」の定義である)。これらのことを総合的に考えるなら、「表現」という語は、「作品以前」と「作品以後」のふたつの領域に所属しつつ、それぞれにおいて異なる意味を担う語ということになる。あるいはより抽象度を高めるならば、模倣理論(ここで私はこの理論に、「作者の内なるイメージやフィーリングを作品に結像させること」を含めている)と現実理論が、互いに互いが環境であるような種類のカップリングを成すように、「表現」という語は機能している、ということができるだろう。そしてやはり、この段階は、歴史的なものである以上、過渡的なものである。クローチェはデュシャンもウォーホルもヴルムも想像することはできなかったに違いない。デュシャンやウォーホルやヴルムの諸作品には、彼らのフィーリングが表現されてはいない、などと述べることはできないにしても、フィーリングにのみ言及することもまた、不適切であると思われる(日本語で「フィーリング」というと軽薄にきこえるかもしれないが、直訳すれば「感情」であり、たとえばカウンセリングの場面では「気もち」と訳される)。ダントーによれば「ポスト印象派以降」ということになるのだが(グリーンバーグによれば決定的にはマネ以降、より広くみればフローベールやボードレール以降)、模倣理論が古び、新たな理論に取って代わられるようになった時代に、一時期、表現理論によってすべてが説明可能であるかのように思われたのは、たしかかもしれない。が、現在の観点からふりかえるならば、現実理論という、より包摂的な理論が獲得されるまでの、ブリッジであった、と結論づけることができるように思われる。
 これは、本稿にとっては余談に属することがらかもしれない(が、今回で3回目になる私の行論にとっては、ここが本題ということになるかもしれない)。ダントーは模倣理論と表現理論の(失敗の)果てに、「アートの終焉」を位置づける。ダントーが描くストーリーは、ヘーゲルの『精神現象学』にもとづくものである。すなわち、ヘーゲルのいう「精神」(Geist)の歴史が、自己-知(self-knowledge)の到来をもって、つまり自己と自己についての知識が一致したときに終焉するのと同様、《アートの歴史段階は、アートとは何であり、何を意味しているのかが知られるときに、終わる》(同前[208-9]、訳文は適宜変更した)。

歴史の終焉は、ヘーゲルが絶対知(Absolute Knowledge)の到来として語るものと合致する。さらにいえば、同一である。知識とその対象のあいだに隔たりがないとき、あるいは知識がそれ自身の対象であるために、主観/主体(subject)が同時に客観/客体(object)であるとき、知識は絶対的である。(略)アート作品がそこに存するところの客体(object)は、理論的な意識によって明るく照らされているため、客体と主体の区分はほとんど乗り越えられている(同前[211-2]、訳文は適宜変更した)

 ひらたくいえば、アートは、「アートとは何か」という問いと同一になる。そのとき、アートは哲学に吸収されてしまう。ダントーは「アートとは何か」という問いに、アート自身が答えることができるのか否か、語っていないようにみえるのだが、あるいはそれは哲学の役割であって、アートは「問いになった」時点でその歴史的役割を終えるのかもしれない(この仮定は、《知られるときに、終わる》という言葉に矛盾すると思われるのだが)。ここに至って、本稿で述べたモダニティのふたつの特徴――自律性と再帰性――は総合される。本稿までに3回にわたって述べてきた、私の論点と接続していうならば、アートが(私の論点でいえば俳句が)セカンド・オーダーの観察そのものになってしまうという事態を、ダントーは想定している。というよりもむしろ、すでに生じている事態であるとみている。これに私なりに反論するとするなら、論点はいくつかあるが、第一に、作品と化してしまったセカンド・オーダーの観察を、観察するとき、この観察もまた、はじめの観察を観察しているのだから、セカンド・オーダーの観察となるのであり、ダントーのいうような(そしてヘーゲルのいうような)絶対知はありえない。いかなる観察であれ盲点が備わっていることに例外はなく、観察を観察するとき、後者の観察はそれ独自の盲点をそなえている。盲点ゆえに観察することが可能になるといってよい。したがって、ヘーゲル流の「歴史の終焉」(それは理念的に、天国、楽園、疎外も階級もない理想状態として想像されるだろう)は、「もしも世界を観察することを継続してゆけば……」という想像の彼方に幻視される消尽点に過ぎないのであって、そうした消尽点は、観察を継続することの動機づけにはなっても、観察の完了をもたらすことはない。そこで生じていることは、盲点の移動である。第二に、これは再帰性にかかわることであるが、いまや、「とは何か」という問い自体が、セカンド・オーダーの観察によって、疑問に付されている。「とは何か、という問いは、いかなる出自をもつのか」「とは何か、という問いには、暴力が根源的に含まれているのはいかにしてか」さらにいうなら「とは何か、という問いはいかなるタイプの『誤謬』であるのか」などの問いが、まさにセカンド・オーダーの観察によってますます可能になってきた。そして、そうした観察における成果物を、再帰的に取り込み、前提としていないのならば、いまやセカンド・オーダーの観察(≒理論≒批評)とはいえないのである。
 前々回前回と、私は「日本の俳句の終焉」について語ってきたが、いかなる意味においても、ダントーの(ヘーゲルの)いうようなタイプの「終焉」について語ってきたのではない。「日本の俳句」は終焉した。だがそれはたんに、セカンド・オーダーの観察(批評)がなされる場所=空間が消失したというだけの理由による。近代社会は、セカンド・オーダーのレヴェルに存在論的な基礎があるからだ。消失の結果、社会的分化の逆行、「脱分出」という事態が生じたのである。他方、アート全般に関しては、批評がますます盛んになっていることをみてとることができる。じつはもうひとつ、アートの終焉の可能性はある。それは、観察の属するレヴェルに関係なく、たんに観察者が消失する、という事態である。ひらたくいえば、参与メンバーがゼロになる、という事態である。日本の人口は下降トレンドに入って久しいが、推計によれば、今世紀中に地球人口は自然減少のトレンドに入る。したがって、想像可能な将来、いかなる領域であれ、必ず終焉は訪れる。もっとも、自然現象よりもよりラディカルに人類が滅んでゆくことを想像するほうが、容易ではあるのだが。

【文献表】
・Danto, Arthur C., 1964, "The Artworld", Journal of Philosophy, vol.61, no.19: 571-84(=2015、西村清和訳「アートワールド」『分析美学基本論文集』勁草書房)
・――――, 1984, "The End of Art", Berel Lang eds., The Death of Art, Haven Publications.(=2018、佐藤一進訳「アートの終焉」『アートとは何か――芸術の存在論と目的論』人文書院)
・Greenberg, Clement, 1983, "Beginnings of Modernism", Art Magazine, April.(=2005、藤枝晃雄訳「モダニズムの起源」『グリーンバーグ批評選集』勁草書房)
・金子兜太、1961a、「現代俳句の誘い」『朝日新聞』5月30日
・――――、1961b、「造形――主体の表現」『俳句』6月号(→2002、「造形俳句六章」『金子兜太集第四巻』筑摩書房)
・Luhmann, Niklas, 1995, Die Kunst der Gesellschaft, Suhrkamp Verlag.(=2004、馬場靖雄訳『社会の芸術』法政大学出版局)
・高柳重信、1956、「暗喩について」『俳句研究』11月号(→1985、『高柳重信全集第三巻』立風書房)
・――――、1958、「俳壇八つ当り」『俳句』4月号(→1985、『高柳重信全集第三巻』立風書房)
・――――、1961、「前衛俳句をめぐる諸問題――山口誓子と金子兜太について」『現代俳句研究』10月号(→1985、『高柳重信全集第三巻』立風書房)
・――――、1969、「批評と助言」『俳句評論』7月号(→2009、『高柳重信読本』角川学芸出版)
・――――、1970、「『書き』つつ『見る』行為」『俳句』6月号(→1985、『高柳重信全集第三巻』立風書房)


俳句時評142回 惑星的な俳句について(3)その2 斎藤 秀雄

2021年11月03日 | 日記

 前々回および前回の記事同様、批評の観点から取捨選択し(つまり私が「惑星的」と判断した作品を取り上げ)、個別の作品に評論を行うことにする(批評と評論の区別については、前々回記事参照)。ここでとりあげる作家たちは、私が述べたことに同意しないだろうことも、これまで同様である。作家名を手がかりとしたスタイルの評を書くことは私にとって不本意であることも、これまで同様である。

 ……という前提を書いておきながら、いきなりここで、例外的なことを行う。作品を評価したのではなく、試みが面白い、という観点から、この作家をとりあげたい。
 私はなぜか、俳句作成プログラム楽園v1.01をAIだとばかり思い込んでいた。ところがプロフィールのどこを読んでも「AIである」とは書かれていない(「AIでない」とも書かれていないが)。プロフィールには《類想回避のため、機械学習を使わない》との文言がある。機械学習を使わないAIというものを、うまく想像できずに、無駄に頭を働かせてしまった、ということも、AIであるという思い込みを長引かせた。仮にAIでないとすると、いわゆるアルゴリズムベースの俳句生成プログラムなのかもしれない。1979年に、水谷静夫が「俳句を作る計算機」という論文を発表している。より身近なところでは、三島ゆかり氏による「ゆかりり」をイメージすればよいだろうか。しかしいずれにしても、このプログラムがどのようなモデルを採用して設計されているのかは、完全にブラックボックス化されている。2021年9月4日に公開された連作「沈黙の水」から引きながら、読んでみたい。

  うしろ手にくるほかはなき秋夕日   楽園v1.01「沈黙の水」(詩客、2021年9月4日)

 主要には、二通りに読めると思う。第一に、字義通りに、(1)「秋夕日がうしろ手にやってくる。秋夕日には、そうする以外にないのだ」と読める。第二に、(2)「秋夕日のなかを、かの人物はうしろ手にやってくる。かの人物には、そうする以外にないのだ」と、おそらくは多くの読者がこう読むだろうという読み方ができる。このどちらの読み方をしても、「うしろ手」の多義性が、さらに関与してくる。「うしろ手」には、「両手を背中側にまわすこと」「後ろの方向」「後ろ姿」などの意味がある。(1)の私の読みを、「私の後ろの方向から秋夕日が差してくる。私は太陽に背を向けているのだから、そうなる以外にない」と解釈した読者もいるかもしれないが(そこでは、「解釈の解釈」が生じている)、私がイメージしたのは「秋夕日が、その手を夕日の背中側に回してやってくる」という像だ。さらに、(2)の読みも、「私の後ろの方向から、かの人物がやってくる」と解釈することもできるはずだが、私がイメージしたのは「かの人物が、自分の背中に手を回して(私の視野内のどこかから)やってくる」という像だ(私が初読でイメージしたのは、この最後の像である)。ここで重要なのは、「多様な解釈が可能である」などといった幼稚な相対主義ではない。多義的であるにもかかわらず、それらの多義性を束ねるようにして、多重露出のように、(2)の読み――かの人物が、自分の背中側に手を回してやってくる――に収斂してゆくように感じられることが問題なのだ。
 収斂「させられる」といってもよい。なぜなら、「俳句に『うしろ手』と出てきたなら、それは人物が背中側に手を回しているのだ」と読む習慣が、読みの空間に権力として走っているからだ。こうした習慣を形成している先行句のひとつに《うしろ手をするには夕焼まだ薄し》(加倉井秋を)がある。もしも(2)の読みだけをするなら、本作は、楽園v1.01が回避しようとした「類想」を、十分に回避できていないといわざるを得ない。本作では中句と下句を、連体形《なき》を用い、「つなげながら、切る」(今井杏太郎)を実践することによって、多義性を多義的なまま確保している点において、際立っている――といいたいところではあるが、これもまた、現在では広く知られたひとつの技法、既知の技術ではある。《石段に空き缶の立つ西日かな》(村上鞆彦)、《手をつけて海のつめたき桜かな》(岸本尚毅)、《にはとりの骨煮たたする黄砂かな》(岩田奎)、など(むろんこれらには、《遠山に日の当りたる枯野かな》(高浜虚子)が先行しており、私自身、この《たる》の謎に迫ろうと、同じ構造を用いて《雨樋を雨流れたる炭火かな》という作品を書いたことがあるが、ついぞこの《たる》において何が生じているのか、明らかになることはなかった。納得のゆく説明を為した者も、これまでにひとりも現われてはいない)。
 もう一点、動詞《くる》もまた、この種の「既知の技術」に属することを指摘したい。本作が「うしろ手にゆくほかはなき秋夕日」であったなら、退屈極まりない駄作になっていたことは間違いない。が、やはり、動詞「くる」を用いるならば、読者に迫るような「実感」を作品内に籠もらせることができる、という事実もまた、「既知の技術」に属することである。今回の記事でいうなら、知覚を欺くための諸技術のうちのひとつである。こうした「手癖」が、プログラムが使うデータセットから、そのまま引き出されている、という感触が、今回の楽園v1.01の連作ぜんたいに、既視感として充満しているように思われる。

  八月を静かな巨船とも思ふ   楽園v1.01「沈黙の水」(詩客、2021年9月4日)

 この作品をとりあげるかどうか、迷ったのだが、「うしろ手」句からの流れで、やはり言及しておきたい。いわば「とも思ふ」俳句の系列に位置づけられる作品。《春川の途中を終りとも思ふ》(柿本多映)、《茶の花の香を骨の香とも思ふ》(加倉井秋を)、《本堂を大きな雪間とも思ふ》(田中裕明)などを想起する。この意味で、やはり前述の「そのまま」という感触が、ここにもある。ただ、それ以上に、であるか否かは別として、少なくとも同程度には、《八月》という、戦後俳句において、過剰な、ごてごてとした意味を、呪いのように纏わされてきた語彙の使用が、この作品に、ある種の不自由さをもたらしている。《八月を》と述べたとたん、その不自由さから逃れられなくなるのは、当然のことではあるのだが、作品がそうした不自由さからどの程度自由になれているのか、という観点から、読みは行われるだろう。そして、おそらく、《静かな巨船》が十分に説得的なフレーズとして、《八月》とのイマージュの融合(《とも思ふ》はまさに融合を為している)を成し遂げるとすれば、むしろ、かの呪いを前提としたときなのである。この意味で、先行する類想句があるとまでは指摘できないものの、既存の俳句の文脈(私がこれまで述べてきた「日本の俳句」)からは当然に導き出される、誰が書いてもおかしくはない作品ではないかと思う。
 中句を大胆に変更することで、自由になれている程度は上昇するであろうが、むしろ私の代替案は、上句を「きさらぎを」としてしまう、というものだ。とくに「よい」作品にはならないにしても、現状の、ひどく強い「がっかり感」に襲われることはないだろうと思う。プロフィールによれば、《v1.01は試作版》とのことで、今後これらの問題点(と私が考えている点)が、克服されるのか、むしろ強められていくのか、見守りたい。

  垂直に枯野のなかをすれちがふ   楽園v1.01「沈黙の水」(詩客、2021年9月4日)

 この作品にしても「すれちがふ」俳句の系列に位置づけられる、とはいえる。《世の中や歩けば蕪とすれちがふ》(生駒大祐)、《菜の花と合はさるやうに擦れちがふ》(鴇田智哉)などを想起する(これらは、同じ「すれちがふ」俳句の系列ではあるものの、詩の作り方からいって、《目をとぢて秋の夜汽車はすれちがふ》(中村汀女)、《雪の汽車吹雪の汽車とすれちがふ》(鈴木牛後)などの作品から区別されるといえるかもしれない)。むろん《垂直に》にしても、現代俳句の頻出語ではあって、いわば「垂直に」俳句の系列、というものも想定できるのだが、きりがないのでやめておこう(さらにいえば、この《》の用法についても……ときりがなくなる)。このきわめて既視感にまみれた連作のなかで、この作品はとくべつ評価できる、というわけではないのだが(むしろ「出来」は悪いと思うし、既視感はこの作品がもっとも強い)、ある種のフィーリングを――本稿でさんざん批判してきた、かの「フィーリングを読む」という堕落した態度を、ここで採用してしまうのだが――かもしだしている作品であるとは思う。描かれている景としては、想像不可能なわけではない。《すれちがふ》とは、二個の事象が、なんらかの意味で接近しながらも、衝突せずに、別方向へと進むことである。だから、ふたりの人物が、《枯野》の平面上の別のルートを進み、接近はしながらも、ぶつかることなく、別の方向へ進んだ、と読むこともできる。そのルートが、直角に交わっているならば、《垂直》の定義に合致するだろう。が、この読みに違和感があるとすれば、まさしく「直角に」ではなく《垂直に》と述べられている点において、であろう。平面上のふたりの人物を観察しようとするとき、あるいはその進行ルートを観察しようとするとき、これはあくまでも語用論的な観点からのみいうのだが、《垂直》という語があてはまる、という「感じ」が生じない。やはり「直角」というのではないだろうか。《垂直》という語にとって適切であるように感じられるのは、平面に対して、たとえばなんらかの素粒子が突き抜けてゆく、といった景(像)ではないだろうか。したがって、枯野を横切ってゆく人物を、素粒子が貫いてゆく(あるいは接近してから遠ざかる)、という景として読むことは、この作品の視点の設定として、無理がないように感じられる。だが、より面白いように私に思われるのは、述定不可能な、何ものでもない事象が(ゼロのモノが、といってもよい)、《枯野のなか》において直交する、といった事態を想像しようとすることである。それは何ものでもないのだから、そもそも想像不可能である。像を結ばない、不可能なゼロのものを、われわれは、詩のなかにみることができる。《言葉のなかに、何かを「見る」》とは、そういった営みではないだろうか。これは、この作品に対してはあまりにチャリタブルな読みであるかもしれないが、AIであれアルゴリズムベースであれ、あるいは翻って、いかなる「作者」に対してであれ、私が期待することは、そうした営みを要請する言葉である。

 2020年に、岩脇リーベル豊美の句集『無題俳句(Haiku ohne Titel)』(R. G. Fischer)が出ている。句集には、まず日本語による作品、次にその読みをローマ字で表記したもの、そしてドイツ語による作品、という順番で掲載されている。巻末には、長い後書き(Nachwort)が付されており、これはドイツ語圏読者のための、「俳句小史」になっている。前回の記事で、私は岩脇氏の作品にからめつつ、私が『吟遊』誌上で発表している日英語対訳作品について、次のように述べた。《オリジナルとしての日本語版に対する、翻訳としての英語版、というようには感じられないのである。同一の作品の、日本語バージョンと英語バージョンがある、というのが実感である》。これについて生じうる誤解に関連して付言すると、ここで「同一の作品」ということで、私は、ふたつのバージョンの「手前」に、書かれないままの「真の作品」が実在している(はずだ)、と述べているのではない。かような「真の作品」などありえない。1980年代、ポップミュージシャンたちは、ディスコで再生されることを想定して、12インチレコードに「extended mix」を収録した。ディスコで再生されることが、そのままプロモーションになったからである。このとき、このリミックスに先立って録音されたバージョンが、「オリジナルバージョン」というわけだ。1990年代以降の、ハウスやテクノの12インチレコードにおいては、この「オリジナルバージョン」は実質的に消失した。そのアーティストによる「オリジナル版」がそもそも、クラブやレイヴのフロアに向けてミックスされた、いわば、あらかじめのリミックスであり、レコードに収録されるものは、「様々なリミックス」となる。短く編集された「radio edit」が収録されることもあるが、それもラジオ放送向けにミックスされた、ひとつのリミックスである。私が想定しているのは、この「オリジナルなしの、様々なリミックス」をまとめて「同一の作品」とよぶ、という事態である。

  マネキン・ピスの性器反りかえりコルク抜く   岩脇リーベル豊美『無題俳句/Haiku ohne Titel』

  Penis von Manneken Pis
  windet sich — zieht
  den Korken heraus

マネキン・ピス》とはもちろん、小便小僧のこと。ドイツ語にある"windet"は、直訳するなら「巻く(winden)」(英語でも「反りかえる、のけぞる」はbend backwardsなどともいう)、再帰代名詞sichがあるから「己を巻く」となろうか。成語としてsich windenは「身をよじる、のたうつ」の意味もあるから、ドイツ語で読むとき、「反りかえるペニス」と同時に「のたうつペニス」のイメージも重ねられるだろう。小便小僧のペニスが反りかえったとしたら、放出される尿は高々と宙へ飛び上がるだろうし、のたうったとしたら、あらぬ方向へ飛び散って、小規模なパニックとなるだろう。しかしこの作品の面白さは、日本語版でも十分に理解可能だ。連用形で切れた直後(ドイツ語ではエムダッシュ)、唐突に《コルク》が抜かれる。ワインか、シャンパンか。種明かしをしてしまうと、「なあんだ」となるかもしれないが、小便小僧のペニスの部分がスクリューになっているワインオープナーがある(だから「巻く(winden)」の語が採用されたのだろう)。この意味では、たんに素朴に写生しただけ、ということに、ひとまずはなるかもしれない(岩脇氏がそう自句自解をしたわけではない)。だがここには、たんに「小便小僧型のワインオープナー」が指し示されただけ、という感触はない。むしろ、「小便小僧のペニスがそそり立つ(そして小便が高々と飛び上がる)」という運動のイマージュと、「ワインかシャンパンのコルク栓が抜かれる」という運動のイマージュが、乗算となって、なんともいえない解放感と、おかしみと、上昇する浮遊感をもたらしている。「引き抜く」と訳されるheraus|ziehenは(英語でいえばpull O out)、字義通りには「外へ引く」であり、まさしく「外へ」の感触、解放感を読者にもたらしてくれる。こうしたことが、日本語版には「外へ」の語がないにもかかわらず、《コルク抜く》だけで分かってしまう。これは驚くべきことのように思う。密閉されていたものが開封される、と抽象化してみるならば、このイマージュは言語を超える。放尿のイマージュが、身体感覚をともなって、どこか気が楽になるようなおかしみをもたらすとするなら、こうした解放感によるのではないだろうか。

  遠邑に時雨るるななめの鬼胎抱く   岩脇リーベル豊美『無題俳句/Haiku ohne Titel』

  Auf dem entfernten Dorf
  die Schrägstriche des Spätherbstregens:
  heimtückisch

 日本語で《鬼胎抱く》といえば、辞書的には「心配する、ひそかな恐れを抱く」という意味。ここでは《ななめの鬼胎》というフレーズが、謎めいていて、魅力的だ。しかも《時雨るる》と連体形になっているから、この《鬼胎》は《ななめ》であり、かつ、しぐれている。こうした、語の活用や助詞によって無関連に思える語をどんどんつなぐことで、思ってもみなかったようなポエジーを生み出す、という手法は、まさに日本語による詩の得意とすることのうちのひとつだろう。《時雨》を不穏なイマージュに結びつける作品には、蕪村の《古傘の婆娑と月夜の時雨哉》《化けさうな傘かす寺の時雨かな》など多くあるものの、本作では不穏さだけではなく、《ななめの》が不思議さを惹起しており、効果的であると思う。ドイツ語版を参照してみると、ひとつも動詞がない書き方に特徴がある。直訳してみるなら「遠い村に晩秋の雨の斜線、陰湿に」となるだろうか(《時雨》が「晩秋の雨」になっているのは、日本の歳時記で初冬とされる11月は、ドイツでは晩秋と考えるのが自然だからだろう)。少し不思議な感じがするのは、三行目にぽつんと置かれた"heimtückisch"の一単語である。便宜的に「陰湿に」と副詞的に(あるいは形容動詞の連用形的に)訳してみたが、この三行のなかで形容詞として働いているのか、副詞として働いているのか、よく分からない(私のドイツ語能力のせいでもあるが)。辞書的には「陰険な、狡猾な、卑劣な、悪意のある」などの意味がある語だが、日本語にある《鬼胎抱く》とはニュアンスが異なるようにも思われる。中国語で《鬼胎》は「悪巧み、下心、やましいこと」を意味し、むしろこちらにドイツ語版は近い。本作は、「いわゆる村社会」の陰湿さを、語り手が思い、恐れを抱いた、ないし恐れが顕在化した、という感情のイマージュを提示するもののようにも感じられる。この感情のイマージュが、日本語版では《時雨るるななめの》という連体修飾語をつくる動的なフレーズによって提示され、ドイツ語版では「雨の斜線」という視覚的イマージュによって象徴的に提示されている。この違いそのものが面白くもあり、しかもそれが「それぞれの言語の肌理(生理)」なるものによってもたらされた違いではなく(「視覚的イマージュによる象徴ないし暗示」こそ、日本語による俳句がながらく得意としてきたもののはずだ)、この作品を成就するという、個別的な理由によってもたらされた違いである、という点が、非常に興味深いものだと思う。

  往く人と森の花の名おしえ合い   岩脇リーベル豊美『無題俳句/Haiku ohne Titel』

  Mit einer Pilgerin
  Namen der Waldblumen
  wechselseitig beigebracht

 こうして改めてこの作品の日本語版と向き合ってみると、とても些細なことがらについて、とてもさり気なく書かれた作品のようにみえる。日常のひとこまを、たんたんと切り取ったような。じつはこの作品には、もうひとつのバージョンがある。『吟遊』88号掲載の連作では、こうなっている:

  森往く人と 蕾む記号をおしえあい   岩脇リーベル豊美「森 詠草」『吟遊』88号

  Mit einer Pilgerin
  Symbole der Waldknospen
  einander beigebracht

 日本語では《森の花の名》《蕾む記号を》と異なっており、ドイツ語では二行目が異なる。『吟遊』88号も、句集と同じく2020年発行であり、どちらが先行するバージョンであるのか、分からない。少なくとも日本語だけをみるなら、《蕾む記号》のほうが魅力的なことを述べているようにみえる。しかしこの作品をみるとき、重要になってくると思われるのは、ドイツ語には"Pilgerin"、すなわち「女性の巡礼者」という、日本語版にはない語がある、という点であると思われる。むしろ"Pilgerin"の一語が、この作品の重量感を、ほとんど決定しているようにさえ感じられる。私が使っている辞書の、"Pilger"(男性の巡礼者)の項目には、男性の巡礼者の姿恰好が図解されている。女性巡礼者の姿恰好を知りたければ、"Pilgerin"で画像検索をするのがよいだろう。ちなみに、2014年に、2回に分けられて、「Die Pilgerin」という、14世紀ヨーロッパを舞台としたテレビ映画がドイツでは放送されている。画像検索でみることができるのは、このドラマの画像がほとんどである。岩脇氏がこのドラマの映像をモチーフにしたことはおおいに考えられるだろうし、なにより、ドイツ語圏で"Pilgerin"という語を用いたなら、現時点では、このドラマから得られた像が想起されるのではないか、とも考えられる。
 本作の場面は、森なのだろう。理由は分からないが、語り手は、森を歩いている(おそらくヨーロッパの森だろう。想像もできないほど巨大な。日本語で「森」というときにイメージされるものは、ヨーロッパにおいてはほとんど「林」とよぶべき規模のものではないか)。そこで女性の巡礼者と出会う。語り手は、彼女と少しの言葉を交わす。これだけで、ほとんど詩になる。ドイツ語のみをみるなら、二行目は、"Pilgerin"の重量感を損なわないように、句集版へと改められた、と想像することもできる(『吟遊』版が先行している、という仮定)。あるいは、句集版ドイツ語がまず書かれ、これに対応するような日本語が書かれ、しかし元のドイツ語にあった感触が失われているために、『吟遊』版の両作(日本語とドイツ語)が書かれた、というプロセスも、想像できる。いずれにしても、こうなってくると、さきに「もうひとつのバージョン」と述べたが、ぜんぶで4バージョンある、とみなさざるをえない。私が先に「オリジナルなしの、様々なリミックス」と述べたのは、こうした事態のことである。この問題について、たとえば「作者」を「知っていると想定された主体」とみなし、書かれた順番について作者に質問してみたところで、たかだか経験的・歴史的レヴェルの事実しか知ることはできないだろう。この事実に意味はない。4つのバージョンの、相互連関が――相互連関から湯気のように立ち昇ってくる「詩」が――重要だからだ。複数の言語のあいだでの「翻訳」を媒介として、こうした新しい現実が開かれている。この現実に、私は興奮させられるのである。

 櫻井天上火50句連作「終焉する歴史、無限」を読みたい。noteに2021年7月13日公開されている。連作ぜんたいの印象は、冒頭がいきなり《火を消して一身体の一世界》であるから、加藤郁乎を手本とした文体練習の趣も、感じられないわけではない(典型的にはたとえば《冬眠を覚めずidéeの窓を開け》)。ただ、独特の奇妙さがあるようにも思う。多くの書き手がしばしば行う文体練習――特定の作家が作品で用いている構造を借りて、別の作品を書いてみる、ということを、私はよく行う――において、どうしても器に隙間ができたりはみ出る部分があったりと、器と言葉との関係が、完全にはマッチしない感触がでてくると思うのだが(音数ではなく、言葉の感触のもんだいとして)、そしてそこに興味深さだったり、「どうもうまくいかないなあ」という感じがあったりするのだと思うのだが、この連作ぜんたいにおいて、言葉と器、文体が、奇妙にもマッチしている。かといって、加藤郁乎が書いた作品のようにも感じられない。むしろ「郁乎ならこの作品は書かないだろう」という感触が、一句一句にそなわっている。この謎は、うまく解けないところではあるのだが、とくに私が好ましいと思った三句をとりあげてみたい。

  接続に無があれば飛ぶ垂直の鳥   櫻井天上火「終焉する歴史、無限」

 使われている言葉から、別の書き方を夢想してみる。たとえば「接続がなかったならば、鳥が垂直に飛ぶ」はどうだろう。私の意識上に浮かぶイマージュは、はじめに、このもっとも詩的でない叙述によって表現されるところのものである。このようには書かれていないにもかかわらず、思考の経済によって、もっとも「楽な」イマージュが到来する。そしてひとまずは、そのように読んでみることも、不適切ではない。《接続》、コンセントやプラグや、あるいはネットワークの、神経間の、意識内の、なんらかの接続が生じない、という、空を切るような運動のイマージュ、ないし、期待はずれのような感情のイマージュ。それに続く、揚雲雀が垂直方向に飛んでゆく、運動のイマージュ。まずはこのふたつが、乗算となって、読む私の意識内に、詩的な領域が確保される。だが、そうは書かれていない、という点が、やはりこの作品にとっては重要だ。英語でthere is nothingといえば「何もない」ことになる。が、字義通り、「nothingなるものが存在する」と読めば、どうだろう。本作も、「無ければ」といわずに《無があれば》という。不可能なものが、不可能なまま存在を付与されている(詩においてはしばしば生じることだ)。この不可能なはずの領域が、はじめに確保された詩的領域の下層に、にじむように広がりはじめる。《垂直の鳥》をひとまず「垂直に鳥が飛ぶ」と把握するのは思考の経済によるものだが、同時に、そう把握するのは無理がある、という感触が、やはり下層に異物のように残る。垂直に立つ鳥、断崖絶壁のように切り立った鳥、三次元空間の垂直方向の軸に棲み着く鳥、垂直という言葉に棲む鳥、垂直という観念に棲む鳥――どのように考えてもよいだろうが、無数の視覚的イマージュや非視覚的イマージュが混淆し、およそ《》とはよびえない何かが到来する。そこに鳥のシルエットがステッカーのように貼りつく。
 前者の、空を切る・期待はずれのイマージュは、不可能なものとしてポジティヴなイマージュに変貌する。後者の、垂直方向への運動のイマージュは、混沌とした諸イマージュの束へと変貌する。さきに「乗算となって」と述べた上層の領域を、この下層のイマージュたちは、指数的に膨張し、食い破る。むろん、よりシンプルに、《接続に無があれば》という魅力的なフレーズと、《垂直の鳥》という魅力的なフレーズとの、二物衝撃と読んでもさしつかえないだろう。このとき、二物が、足し算になれば失敗であり、乗算になれば成功であり、指数になればミラクルが生じている、といってよいと思う。私はここでミラクルが生じていると判断したのだが、どうだろう。《飛ぶ》でなければ指数になっていた、と判断する読者もいるかもしれない。

  六番の獅子の落下によく光る   櫻井天上火「終焉する歴史、無限」

 いっけん、ここでは《よく光る》ものが示されていないようにもみえる。いや、じっさいに示されていない、のかもしれない。つまり番号がふられた諸獅子がおり、《六番の獅子》が《落下》することによって、示されていない何かが《光る》、とまずは読んでしまう。そう読むことは誤りではない。《六番》が光るのだ、としたらどうか。番号がふられた諸場所があり、《獅子の落下に》よって光るのだ。どうも、二通りの読み方を想定してみて、前者のほうがより「ありそう」と感じられるのは、《六番の獅子》というフレーズに、強い魅力を感じるからなのだが、たんに《六番》という場所がある、と想像することが難しい、という、思考の経済によるのかもしれない。《六番》に何か象徴的な意味を見出したくもなり、たとえば「ヨハネの黙示録」で「6」は完全な「7」に足りない不完全な数とされていることを想起するとか、あるいはリーグ内で6位(つまり最下位)となっているライオンズ、といったものを想起することも、誤りではないだろう。あるいは、一般的に「難解」とされる作品の少なくないものについて、その作者が適用している方法論を想像するなら、作者の部屋の棚には何体かの《獅子》が並んでおり、そのうちの《六番》が《落下》し、何らかのものが光った、と想像しても、誤りではない。が、その手の「解釈」ないし「読み解き」(同じことだが)は、作品を「読む」こととなんら関わりあいがない。「一般的に難解」と述べたが、すでに私はこの作品を読んでおり、感銘を受けており、その時点で「読み」は完了しており、そこに「難解さ」は微塵もない。もんだいとなるのは「感銘」を言葉に展開する方法である。
 などと一般論を述べてしまったが、前掲の「接続」句と同様、採用されなかった書き方を想定してみてはどうだろう。《獅子》が光るのであれば、「六番の獅子の落下のよく光る」ですんなりするように感じる。《六番》が光るのであれば、「六番は獅子の落下によく光る」でよいだろう。が、そのいずれでもなく、まさにそう書かれていない点にこの作品の魅力があるのだが、そのいずれも否定されているのではなく、ここでもやはり、諸イマージュが束ねられている、と感じられる。落下運動のイマージュから、輝く視覚的イマージュが生産される。水力発電を考えれば、そうしたエネルギーの変換はとくだん、想像・体感が難しいことではないが、そうした体感(読んで感銘している体内の「感じ」)をすんなりと言葉にまとめあげて安心することを躓かせるのは、まさしく《六番の》にあるだろう。こういってしまうと、よくあるマジック・リアリズムの評のようになってしまいそうだが、あるいはマジック・リアリズム的な作品と読んでも、面白いのかもしれない。「何が光るのか」というもんだいの詮索に、意義があるとは思えないが、世界が光るとも、人には知覚できないほど小さな領域が光るとも、あるいは語り手の全身が輝きはじめるのだとも、感じられる。

  蜜蜂telepathこおりの星は鎖骨あたり   櫻井天上火「終焉する歴史、無限」

 暖かくとろみのある前半と、冷たく硬質な後半とのギャップが面白い。《蜜蜂telepath》というフレーズがいきなり面白いのだが、《蜜蜂》と《telepath》のあいだで切れると考えるのか(蜜蜂とテレパスがいる)、蜜蜂=telepathと同格として考えるのか(テレパスである蜜蜂)、判断は難しい。《蜜蜂》の生態から「テレパシー能力者」を想起する、というのはあまりに安易かもしれない。ここでは《蜜蜂telepath》という新しい言葉が生まれでている、と読みたい。はちみつの甘やかな香りを漂わせつつ、何ものかの意識から別の意識へと、思考内容が瞬時に飛び移る。その軌跡は、空間性をもたないのだから、誰にも知覚できない(直線や曲線によって表象されるのであろうとしても)。この「飛び移り」の感覚が、《蜜蜂》の形態をして、読む私の意識に現われる。運動イマージュの、視覚イマージュ化。後半、一転して、《こおり》の世界に連れ出される。《こおりの星》に太陽光は届いたとしても、人には体感不可能な冷たさだ。後半のフレーズにおいて、この巨大な(と思われる)《》が、《鎖骨あたり》にある・きていると、スケールの狂いが生じているのだが、面白くないとまではいわないにしても、ここに本作のよさがあるわけではない。不可欠な要素ではあるにしても。第一には《鎖骨》の硬質さが、《こおりの星》の冷たさを際立たせるように、そして前半の暖かさ・とろみ・甘やかさを対照させるように働いている。第二に、人体部位語の登場によって、この冷たさは、身体感覚の水準で体感されることになる。そして本作にとって非常に重要なポイントであるが、前半/後半の対照関係において、《鎖骨》の身体感覚はまずは冷たさに所属するものの、同時に、作品ぜんたいを統合するように、暖かさ・とろみ・甘やかさにも所属する。そしてむしろ、世界ぜんたいは、暖かく、とろみがあり、甘やかであるように感じられる。《鎖骨》という点へと冷たさを集約することで、極度の冷たさが、懐柔される。体温のある身体の一部分に氷が押し当てられているかのような。このとき、身体とは、世界であり宇宙である、といってもよいだろうと思う。