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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評152回 川越歌澄句集「キリンは森へ」 歌代 美遥

2022年07月15日 | 日記
 川越歌澄さんは、北斗賞第一回受賞者である。俳句界という俳句月刊誌において、若手の為の賞である北斗賞が創設された。その北斗賞の第一回目の受賞者である川越歌澄さんの第一句集「雲の峰」から九年の空白から期待を待たれた待望の第二句集である。
 句集の表紙絵は、川越歌澄さんご本人の作画である。音楽家でもある作者は音感に対する明敏さと画家の色彩に反応する視覚の鋭敏さが、句に生かされている。

虹彩のはじめの色は雪解川   歌澄
寒林や一語を洩らす大天使   歌澄
立春やキリンのこぼす草光る  歌澄

 キリンは森へ、とあるが動物園のキリンはキリンの獣舎へ帰る。
 しかし、何度も何度も動物園のキリンと対峙して、キリンと会話を交わしている作者の心は、キリンを森へ返し森の中のキリンと、交流を交えて作者も森に立っている。森のキリンは木漏れ日色の独特な角状斑の模様が鮮やかに、キリンの眼差しに作者は包まれている。あの長い首をすくっと伸ばし、静止して森の木と化し森の一部となるあの網目模様が森に溶け込む自然界の繊細さである。
 表紙絵のキリンの描き方が、後姿で振り向く瞳の優しい眼差しが、手前の大きく真っ赤な毒茸と、対比して遠くの暈した描き方に、作者の心象が流伝している。もし、キリンを前面に持ってきて写実な姿を真近くに見た場合愛らしさは、少し薄れる事が想定される。首の長さの重さを前駆に偏らせ、胸から脚の付け根までの筋肉の発達の生々しさ、分厚い唇の可動性に富んだぶるぶる蠢く奥から五十センチメートルはある黒い舌が、鞭の様にしなり採食する生々しさ、表紙絵のキリンとは、受身が変わってくる。隆々とした筋力の迫力を作者は芸術的な叙情を求めていない。作者の表現者としての視覚という感覚に依拠せず、具象に意思を持たせて神の使いのことく好意的な作者の心象が句を湧き出していく。

眠り猫眠さうな猫牡丹雪    歌澄

 歴史的にも、猫は人間の暮らしに浸潤しペットとして愛されてきた。商い屋の入り口に、招き猫をよく見る事があり、日本では商売繁盛のお守りとして縁起物の飾りとして普及されている。俗説に猫が顔を洗うと人を招き寄せると言われてきたことも、招き猫の起源を思わせる。作者は動物愛好者で上野動物園を巡り、動物たちの存在感を全身で受け止め、繊細でありながら雄大な感覚を研ぎ澄まし動物と対峙している。

眠り猫眠さうな猫牡丹雪

 猫という生命力の素材、牡丹雪という自然界の素材に作者はどの様に風景を、感受し命あるものに没我していく時間の流れが楽しい。牡丹雪という純白な自然界を背景に猫という生ある事象を象徴してズームしていく、俳人の着眼が清らかである。
 猫には、伝説が多い。
 江戸時代の吉原の遊女がとても猫を溺愛している姿に、遊郭の主人が、遊女が猫の怨霊に取り憑かれていると思い、猫を殺してしまう。嘆き悲しむ遊女に生命の危機が忍び寄ったとき、猫の霊が助けて恩返しをする。という伝説が福をもたらす招き猫が生まれた。
 句にある眠そうな猫の瞳は牡丹雪の何色にも染まらない純な処女性の色を見ている。人間界の複雑さも見えないほど牡丹雪は天からの贈り物の様に降り続く白さは、作者の心と重なっていく。季語の象徴性を写実的な模写に主観を抑え、超越した目前の裏側を観ている。句集の表紙絵に描かれたキリンの臨模を抑えた構図は、作者の心象を読者に看破を薄弱させる効力を成している。猫は作者と共に生き、人間に抱かれて、人間の心にある傲慢や偏狭の眼差しなど、疑いもせず老いていく。
 情感の客観的な牡丹雪の白妙のひかりは人跡未踏の色彩を放ち、作者の真率さを失わない人生を読者は、感受する。
 素朴でありながら生命の躍動の喜びは、動物の本能を感じる作家川越歌澄さんの愛である。

ただ水のように生きていればいいんだ

 須藤葉子九十一歳。
 この師の言葉を、しっかり受け止め俳句を、水の流れのようにと、清々しい川越歌澄さんという、優しさと強さが見えてくる。

俳句時評151回 猫に厳しく 谷村 行海 

2022年07月01日 | 日記
 猫はかわいい。それは多くの人が思うことで私も猫が好きだ。住んでいるアパートがペット禁止のため、たまに猫カフェに行って愛でたり、いつか引っ越しをして保護猫を引き取る日のために名前を想像してみたりする。猫はかわいい生き物だ。
 しかし、俳句に関しては猫はかわいくてはいけないと思う。もちろん、その猫の描写に捻りがあったり独自の視点があったりすれば話は別だが、猫がかわいいことは自明なのだから、それを俳句にされてもと思ってしまうのだ。
 だからこそ句会で猫の句が出る度、これは本当に選にとってよい句なのかを他の句より真剣に考えてしまう。
 そんな猫のことを考えている折、『猫は髭から眠るもの』(堀本裕樹編著、幻冬舎)が六月に出版された。この本には猫俳句大賞の第一回から第三回までの受賞作・入賞作が299句収められている。
 それだけの数の猫の句があるわけだから、猫がかわいいだけではない句も当然多数存在している。今回は猫が単純にかわいいだけにとどまらない句に焦点を絞って紹介していきたい。
 
お互いの猫のためなる歳暮かな 吉野由美
野良猫の名前の決まる芋煮会 朽木律子
春風や猫に「ごめん」はすぐ言へる 水谷あづさ

 これらの3句は猫のことを愛でながらも人間の存在感が浮き彫りになる。
 1句目はまず猫を思っている。その上で、猫のために歳暮を送りあう間柄にいる相手との信頼関係も見せてくれる。猫のための歳暮だからこそ、そこに歳暮のランクといった社会の俗な一面もかき消してくれている。
 2句目はたまたま芋煮会に紛れ込んだ猫だろう。芋煮会の最中ずっと猫がちょっかいを出す光景が浮かぶが、それにつれて人々が次第に猫に名前を付けようと思案する様子へと光景が移り変わる。また、この芋煮会を一回だけのものではなく、毎週のように行うものととらえても、芋煮会の回数と共に高まっていく猫に対する思いの動きが見える。
 3句目は猫以外に「ごめん」と言いたい相手がいるということ。ここでの猫は脇役に過ぎず、本当に思う相手への気持ちが見える。猫に何度か「ごめん」と言う度に相手への謝りたい気持ちも強まっていく。

黒猫のじつと見てゐるマスクかな あみま
冬籠猫が爪研ぐ初版本 武藤隆司

 両句とも猫と人間の関係を考えさせられる。
 1句目のマスクは人が身に着けている状態のマスクととらえた。視線を送り続ける猫のことをかわいいと人は思うのだが、よくよく見ると視線がマスクのほうに向けられていたことに気付く。気まぐれな猫は人間に興味がなかったという悲しさ。
 初版本とはっきりと書くわけだから、2句目の初版本は稀少性のあるものととった。猫にはその本の価値などわからず、爪研ぎの道具として使ってしまう。これは猫がかわいいで許してはならない。ただし、その本に稀少性という価値を認めたのは単純に人間の勝手であり、猫からしたら初版本には爪研ぎとしての価値があったことになる。猫が勝手なのと同様に、人間がものを稀少・稀少でないとわけるのも人間の勝手に過ぎない。

春暑し猫の開きに手術あと 中分明美
小春日の猫にセカンドオピニオン 土屋幸代

 人間の病を詠んだ句は多い(ように思う)。そのなかで、病を人間から猫にすり替えたものだが、そのなかでもひときわ個性が光る。
 1句目は「開き」が良い。よく猫がぐでっとしながら仰向けになる光景を「開き」ととらえたのだろう。猫の身体が開かれることにより、普段は見えない・意識しない手術あとが眼前にしっかりと立ち現れる。見えないものを見えるようにするということで、「猫の開き」というこの造語は効いていると感じた。
 2句目はセカンドオピニオンという言葉だけで猫への愛情の深さが見えてくる。その町の規模にもよるだろうが、通常の病院と異なり、動物病院は数も限られているように思う。そんななかでも、愛猫のために二つ目の病院へと駆け込むこの心地よさ。単語だけで愛情が十分に立ち現れるとともに、医師の話を真剣な面持ちで聞く飼い主の姿も見えてくる。

猫の恋競りの終はりし港町 板柿せっか

 猫がいることで町の寂しさが浮き上がってくる。競りが終了になると当然、人々はこの町を後にする。この町は外部のものにとっては競りにかけられた魚と同様にビジネスの手段でしかない。そんな人間たちとは無関係に存在していく猫の人生。いつかはこの猫たちもこの町をあとにするのかもしれない。

右足で猫たしなめておでん食ふ 丹下京子

 雑然とした生活の雰囲気が漂う。猫がご飯を求めてやってくるのを手ではなくて足で払ってしまうことで、この句のなかの人物像が浮き彫りになってくる。おでんの庶民性とも合わさり、猫よりもこの人の生活をもっと知りたいという気持ちを募らせてくれる句だ。

猫鴉鳩定位置に春の昼 西澤繁子

 最後のこの句はもはや猫を物体としてとらえている。いつも行く公園などでいつも決まった位置にこの三種の生物が物体的に存在している。この三種が揃って初めて春の昼ののどけさを味わうことができるのだ。気まぐれで一種でもいなければ不安を掻き立てられてしまう。自身とは無関係に存在しているにもかかわらず、あたかも自身の所有物ででもあるかのように猫をとらえたのがおもしろい。


 以上、気になった句をいくつか紹介してきたが、気になるのは人間と猫との関係だった。猫をかわいいと思うには、当然そこに人間が存在する。そのため、猫のことを詠んでいながら、そこからその人間の姿のようなものが出てくる句もある。巷間にあふれる猫がかわいい俳句を脱却するためには、猫を介して人間を詠む必要もあるのではないか。多数の猫にふれることでそのようなことを思った。

俳句時評150回 川柳時評(3) こんとんとビー面 湊 圭伍

2022年06月27日 | 日記
 川柳の世界が活気づいているらしい。去年自分が川柳句集を出しているのだからこんなふうに他人事のように言うのも変ではあるが、逆に渦中にあるからこそどうも見えにくいところもある。冷静に見れば、短歌や俳句のひろがりに比べて、川柳の世界はずうううっと狭い。ただ、狭いところであるからこそ、凝縮されて沸騰しているところもあるようだ。ともあれ、「時実新子」という特異点を除いては文芸らしさとはほど遠いところでしか世間で注目されていなかった川柳から、ちょっとした風穴が外の世界へ開いている現在である。
 そうした状況を示す出来事の筆頭が、暮田真名『ふりょの星』、平岡直子『Ladies and』、なかはられいこ『くちびるにウエハース』という、左右社からの句集連続刊行だろう。ヴィレッジヴァンガードで展開されている『ふりょの星』販売や、紀伊國屋書店国分寺店の企画「こんなにもこもこ現代川柳 いったいぜんたいなんてこったい」フェアなど、ふと立ち寄った書店で、サラリーマン川柳やシルバー川柳以外の川柳の世界に偶然衝突してしまう誰かを想定できる事態も起こっている。
 個人的には、こうしたかたちでのひろがりは、2001年刊のなかはらの『脱衣場のアリス』(北冬舎)でも予感できたものだと思っている。なのでそれから20年、なかはらの句に示されていた新しい軽みというものにつづく作家が登場してくるまでどうしてこれほど時間がかかったのか、という方がじつは疑問である。

 さて、川柳の真に自由な部分が突出してあちらこちらでのぞいているそうした状況の中で、私が個人的にもっとも沸騰しているところと見ているのは、「月報こんとん」や「川柳句会ビー面」の周辺だ。
 「川柳句会こんとん」~「月報こんとん」は暮田真名が企画した句会~ネットプリントで、Google Formsを使った句会からはじまり、投句者のなかから暮田の選んだふたりの作家、二三川練と松尾優汰が暮田と共に川柳句や評論を月一で発表している。また、「川柳句会こんとん」の投句者ササキリ ユウイチが、同句会の他の参加者に呼びかけて始まったのが、「川柳句会ビー面」である。〈夏雲システム〉利用の毎月の句会から、ササキリの編集によってネットプリントやnoteでの作品と選評の公開が行われている。句会活動や作品発表に加えて、「川柳句会こんとん」/「川柳句会ビー面」周辺では、評論においても力がこもった発表がつづいている。「川柳諸島がらぱごす」(城崎ララと西脇祥貴のユニット、1号の「川柳どうぶつえん」より改名)のように、編集に時間と手間がかかる対談形式の川柳論を発表する試みもある。こうした試みでは、従来の結社誌や同人誌と違って、ネットや文学フリマなどの媒体を使ったフットワークの軽い活動が主である。
 川柳をめぐる新しい動きを生み出したのは、これまでの川柳界から見事に切れた場で川柳活動を始めた暮田真名であることは間違いがない(遡ると、暮田に注目し、『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)などでくりかえしとりあげた小池正博の慧眼につながるが、今回はそこまでは視野に入れないこととする)。ただし、上に述べた動きのなかで生まれた作品群には、暮田の川柳だけからは出てこない多種多様なスタイルが見られて、暮田という触媒によって川柳ジャンルの自由度が伝染的に広がっていく様子が見てとれ、そこがいちばん楽しいところである。
 「月報こんとん」と「川柳句会ビー面」から作品を引いてみる。

「月報こんとん」春文フリ特別号(https://note.com/kuredakinenbi/n/nc91d30d2a369)より

不規則に溜池斬ってしまえば         細村星一郎(ゲスト)

二光年先の小さなソーセージ

あっ、えっと、そういう川柳ではなくて、   松尾優汰

Will The Circle Be Unbroken 飛ばない教室

心臓のはやさで鯨だとわかる         二三川練

サバイバルダンス 提喩 サバイバルダンス

ヒントがあれば同じ運命を辿るのに      暮田真名

オートクチュールの日差しじゃないか


「川柳句会ビー面」2022年3月号(ネットプリント)より

栞がない 湾岸で挟む            嘔吐彗星

トランぺッター がラッパーではないです   公共プール


「川柳句会ビー面」4月(https://note.com/sasakiri/n/na10cc69f601e)より

苔の一人称を知った日         小野寺里穂

服装自由、三位一体であること     ササキリ ユウイチ

身から出た錆に魚類と言い聞かす    城崎ララ

視覚的アーメン聴覚的般若      南雲ゆゆ


「川柳句会ビー面」5月(https://note.com/sasakiri/n/n468d16d34881)より

進化論まちがえたかも ほしたべよ    下刃屋子芥子

投降 おれの青いことばは踏むな     西脇祥貴

ご当地のソフトクリームのがらんどう   佐々木ふく

五月から十月まで引き上げてよし     雨月茄子春


 さて、世間一般で流通する「川柳」のイメージからは遠いこうした川柳がどこから来たか、また、どう読めばよいか、といった評論めいたことも書こうかと思ったが、第一回である今回は紹介のみにとどめておこうと思う。気になる方は、上にあげた「川柳句会ビー面」の句の引用元である、ササキリ ユウイチのnoteの各ページに飛んでもらえれば、参加者の熱のこもった読みがどっさりと公開されているので、そちらをご覧いただきたい。

 動きが遅い従来の川柳の世界から自由に、セルフメイドで川柳の場を作っていく動きは他にもある。Twitter上での24時間常時オープン、誰でもすぐに参加可能な「#さみしい夜の句会」(月波与生主催、句会参加者のアンソロジーとして『さみしい夜の句会短詩集Ⅰ』が出版されたばかり)は、川柳のみならず短詩なら(散文も?)投稿OKのこれ以上はないであろう自由な場。『スロー・リバー』(あざみエージェント)、『リバーワールド』(書肆侃侃房)の川合大祐による「zoom川柳講座 「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」(https://note.com/16monkawai/n/n539014c6b790)は、日々、過剰な圧をもって創作をつづける現代川柳作家が創作の秘密を明かす講座(7月17日より開講)。森山文基・真島久美子による「川柳本アーカイブ出版賞」(http://weekly-web-kukai.com/publishing-awards-2022/)は、受賞者をすぐに句集出版につなげる、発信重視の川柳賞。これらの試みは、今回重点的にとりあげた「月報こんとん」と「川柳句会ビー面」のような動きと従来の川柳の世界をつなぐような位置にあると言える。
 とはいえ、今あちこちで自然発生し、バラバラのままで展開している川柳の世界を、従来の川柳界にどうしてもつながなければならないかというと、まあ、それはどうでもいいことのような気がするし、それぞれの試みは単に面白い川柳の場をつくろうとしているだけ、でもある。
 2022年の「川柳本アーカイブ出版賞」受賞作より、数句引いておく。

そこここの氷柱は父と母の指    西沢葉火

電話から僅かにずれている巣鴨

方舟やエレベーターに蝿と僕

ストローが声にならないパピプペポ

 「川柳本アーカイブ出版賞」は、先に書いたように、受賞後すぐに句集が出版されるという企画で、西沢葉火の(第二)句集は11月出版予定。

 さて、結局のところ言うべきことは、みなさんも川柳を始めませんか、今がいちばんいいタイミングかもしれませんよ、ということだけなのである。短歌や俳句のようにエスタブリッシュした場に認められることはないかもしれないけれど、自分(たち)でこれから面白い場を作っていくことができますよ。

俳句時評149回 多行俳句時評(3) 多行形式試論(1)──前衛俳句、定型論争、人工知能   漆拾晶

2022年05月18日 | 日記
 安井浩司が亡くなった。享年八十五、折しも欧州の戦争が始まる一月前である。安井も参加していた高柳重信主宰の「俳句評論」とその後継誌「騎」同人の俳句実作者は現在、昭和六年生まれの岩片仁次を残すのみとなった。岩片仁次は平成以降も私家版の発行を続けているが、現段階で一般に流通する句集は無い(昨年末に刊行された林桂編『俳句詞華集 多行形式百人一句』の後記によれば岩片仁次編『多行形式百人一句』が刊行予定とのこと)。このような状況であるから、生前に用意されていたと聞く安井浩司の新句集は「俳句評論」系俳句運動の実質的な最終句集となるのかも知れない。
 今年の「俳句四季」四月号の特集は「前衛俳句とは何か──21世紀の「前衛」を考える」と題されていた。諸氏の論考の中には「旧ソ連の亡霊による戦禍」という言及があるにも関わらず、安井浩司の死に触れている文章はない。かろうじて安井浩司の句を紹介しているのは「俳句評論」と「騎」の同人だった川名大のみ。21世紀において、いわゆる前衛を実践し続けた俳人がこれほど等閑視される状況を鑑みると、「前衛俳句は死んだ」と簡単に嘯く者を俄には信じがたい。そもそも何をもって前衛俳句とするのか、明確な定義づけさえまだ出来ていないのではないか。

 現代俳句協会によって編まれた労作『昭和俳句作品年表』の「戦後篇」解説において、編者の一人である川名大は前衛俳句の成立過程を以下のように振り返っている。

 兜太が自作「銀行員等」(昭31)の句の創作過程の解析とともに立ち上げたいわゆる造型理論(「俳句」 昭32・2~3)。その背景には高柳重信が、いわゆる「社会性俳句」作家には新しい俳句詩法がないとし、それを嘱望したこと(「俳句研究」昭30・3)、暗喩による心象の連鎖を説いたこと(「俳句研究」昭31・11)があった。したがって、「前衛俳句」の発端は三十一年から三十二年にかけてとするのが妥当である。「前衛俳句」 の範疇の規定は悩ましい。兜太を中心に関西前衛派 (のちの「海程」と「縄」)で括ればすっきりする。早くから暗喩的な表現を多用していた「俳句評論」系は、 総じてテーマも表現方法も関西前衛派とは異なるが、 便法として当時の俳壇ジャーナリズムに倣って、範疇に含めておく。
(中略)
「俳句は本質的に前衛ではない」というのが高柳重信の一貫した認識だったので、重信を「前衛俳句」で括るのは本意ではないが、多行俳句の創出自体は本来の意味で前衛的だろう。


 同解説中で前衛俳句を「イメージと暗喩を主な方法とする」表現であると一応定義した川名は「多行俳句の創出自体は本来の意味で前衛的」として、高柳重信の「多行形式」による前衛性を金子兜太の「造形理論」よりも高く評価していることが伺える。「俳句評論」と「騎」に関わった川名であるから当然といえば当然なのだが、実際のところ、前衛俳句運動が「イメージと暗喩」を初めて俳句に持ち込んだとは言い難い。「イメージと暗喩」とは相容れない「花鳥諷詠と客観写生」を信条としたいわゆる伝統俳句という呼称が使われるようになるのは戦前の新興俳句運動に対応してのことであった。
 一方で多行形式はどうかというと、戦前にも荻原井泉水や吉岡禅寺洞、富沢赤黄男らの先例はある。しかしいずれも雑誌での単発的な発表にとどまり、個人句集に収められることはなかった。句集として刊行される多行形式の実践は昭和二十五年、高柳重信の『蕗子』にはじまる。『蕗子』に収められることになる多行形式の作品が最初に発表されたのは昭和二十二年。高柳重信の「多行形式」運動は金子兜太の「造形理論」運動より十年先んじていたことになる。
 
 堀田季何は「俳句四季」四月号の同特集の中で「現在、俳句の前衛は存在しない」としてその根拠をあげている。

 前衛的な試み(半世紀前の前衛俳句だけでなく、碧梧桐の新傾向俳句や昭和初期の新興俳句運動も各時代の前衛であった)は手法、文体、修辞などで試されていないものは殆どない。最後に俳句の限界を突破して、一種の新たな詩型の創出に至ったのは多行形式俳句だが、同様の突破が将来起こる可能性はないだろう。

 これには私も概ね同意できる。「日本の俳句」の惨憺たる状況を鑑みて、堀田は「世界俳句」に新しさの可能性を見出しているようだが、語学に疎い私は残念ながらその妙を味わうことができない。だが確かに「日本の俳句」はやりつくされている。そしてその傾向は俳句人口の多寡に関係なくさらに加速していくと思われる。
 
 『人工知能が俳句を詠む』なる本が昨年登場した。北海道大学の調和系工学研究室が2017年から続けている人工知能俳句プロジェクト「AI一茶くん」を開発者自ら紹介するという内容。本書によると「AI一茶くん」によって生成された”新しい”俳句はすでに一億句を超えている。現状では有季定型にはまらない句は除外しているとのことだが、「AI一茶くん」が無季や破調の句を詠み始めるのも時間の問題だろう。
 同書によると、観測可能な宇宙の原子数すべてを合わせても、その個数は十の八十乗個と言われているそうだが、この数は「日本の俳句」にも偶然あてはまるらしい。

 俳句で使われる文字を漢字とひらがなのたかだか一万種類程度と見積もったとすると、これが二十文字分続くと仮定しても、俳句としてありえる日本語文は十の八十乗程度に過ぎません。(『人工知能が俳句を詠む』pp.227-228)

 「十の八十乗程度」に過ぎないと豪語するのはさすが科学者というべきか。ちなみに日本語における最大の数詞「無量大数」は一般に十の六十八乗とされている。この十の八十乗という数字はあくまで文字の組み合わせの数にすぎないから、実際に俳句と認められ得る日本語文の総数はかなり少なくなるだろう。「バベルの俳句図書館」はたった今も増設中である。有季定型一行俳句が文字通り書き尽くされる日は近い。

 かくの如き末期的状況において必要となるのが外部からの視点であることは言を俟たない。昭和の終わりから平成初頭にかけて、詩人の飯島耕一は歌人の岡井隆や玉城徹、俳人の金子兜太らとの公開往復書簡を通じていわゆる「定型論争」をひき起こした。飯島は、川路柳虹らが明治初年の新体詩に抗して押し進めた口語自由詩が戦後詩の中心となり、「器なく、通路なく、現代の自由詩は、ひと吹きの風、詩的水たまり一個、といったやり方で来た」が、「新鮮さをとっくに失って、マンネリになって」しまい、「多くの詩人たちは、自由詩は一作ごとにおのれの形をつくる、などとうそぶいてきましたが、もう明らかに無手勝流は行き詰まって」いると当時の自由詩の状況を認識しており、「いま現在は定型模索にのり出すほうが実験的前衛的アクトである」と主張する。(飯島耕一「定型への安住は否定する」一九九〇年七月十四日〜九月一日「毎日新聞」玉城徹との往復書簡)
 俳句への造詣が深く、俳句に関する単著も出している飯島は、自由詩とは反対に俳句は「定型」を疑うべきだとする。

 歌人、俳人の自らの詩型や音数律への過剰な信じこみ方には驚くべきものがある。彼らの方は少し五七五七七や、五七五定型を疑うべきだろう。そして詩人は書き流しの自らの詩のかたちのなさを疑うべきだろう。どちらもマンネリズムの病状は重いと思う。(飯島耕一「自由詩は再検討の時に来ている」一九八九年「詩学」五月号)

 詩は「定型」を求め、俳句「定型」は逆にこのあたりで大きく揺らいだ方がいいのである。(飯島耕一「俳人は「定型」を疑うべきだ」一九九〇年六月二十二日記、「新潮」同年八月号)

 飯島耕一の提言が顧みられなかったことは、散文に改行を施しただけのようなインターネットポエムの氾濫を見ればわかる。それでも飯島の提言は、人工知能が台頭する現代においてこそ真価を持つように思えてならない。管見の限りでは、人工知能にとって書きやすい詩型は一行定型俳句と非定型散文詩ではないだろうか。これらはまさに飯島耕一がそこから離れなければならないと指摘した詩型である。そしてこの「定型論争」より四十年前に、「自由詩の定型化」と「俳句の脱定型」を試みる詩型が用意されていた。他ならぬ高柳重信の「多行形式」である。彼の創出した「多行形式」が書き尽くされたとは言い難い。全編が多行形式で構成された書物自体少なく、日本語の多行形式作品集を刊行した女性はおそらく一人しかいない状況なのだから。
 人工知能の発達を根拠に多行形式の一行俳句に対する優位を主張すると、多行形式もいずれ人工知能に書かれるようになると反論されるだろう。現に海外ではダンテや李白や杜甫を模倣する人工知能が生まれている。しかし彼らはまだ「弱い人工知能」である。シンギュラリティにでも到達しなければ、人工知能は詩を作ることができてもその意味を解することはできない。つまり、ある多行形式作品が一行ごとの内容に沿った改行の必然性を備えているならば、その一句は人工知能が到達することのない深度を有するということになる。

 事態は多行形式のみにとどまらず、「連俳は文学に非ず」(「芭蕉雑談」)と宣う子規が切り捨てた連句にまで波及する。前句を理解することのない人工知能が付句を生成することはできない。多行形式は子規以後の俳句伝統に抗して生まれたが、それはある意味で連句の構造を一句のうちに取り込む試みでもあったと言える。高柳重信は連句の可能性を捉えていた。

 それにしても、連句にかかわる一切を断念するということは、新しい俳句形式に賭ける当然の決意であろうが、また一度、常に自在でありたい一個の詩人の立場からすれば、みずから手を縛ってしまうに等しい行為でもあった。だから、断念は断念として、やはり昔日の俳人たちに許されていたように、七七の短句や、発句ではない自由な五七五などを書いてみたいという潜在的な意欲が、そう簡単に眠ってしまうことはなかった。たとえば、自由律の俳人たちが盛んに試みた短律や、新興俳句運動の渦中での連作俳句や無季俳句の実践などは、おそらく、そういう潜在的な意欲が、おのずから噴出して来たものと思うことも出来よう。そして、また、それらの試行すらが、彼等にとっては新しく俳句に出会うための健気さの現れであったと言うべきであろう。(高柳重信「俳句形式における前衛と伝統」一九七六年)

 連句の無視は季語の絶対視にもつながる根深い問題である。俳諧研究で知られる潁原退蔵の「季の問題」によれば「季を伴わない句は、俳諧一巻の中に数多くよまれる機会が与えられて」おり、「無季の句は平句として自由に存在が許されて」いた(潁原退蔵『俳句周辺』昭和二十三年)。平句は発句、脇、第三、挙句ではない句のことであるから、連句一巻のうちの大半が平句ということになる。現在我々が「俳句」と呼称している詩型の起源は平句ではなく発句とされていて、発句は巻頭の挨拶性が重視されるため、その場での季節感を伴う句になることが多かった。とは言っても無季の発句が全く無かったわけではないから、季語は発句成立の絶対条件になり得ない。俳句にしても同様である。

 前衛と目される詩人や歌人が俳句を詠むと、前衛的な作風になるとは限らず、むしろ有季定型の伝統俳句に仕上がることが多いのは興味深い。高橋睦郎も有季定型を遵守して作句する一人であるが、彼自身の俳句入門書を見ると視野の広範さがうかがえる。

 二十四節気は古代中国の天文学によって分けられ、当時の中国の政治的・文化的中心地の実際の気候を当て嵌めたものである。これをそれまで季節感というにはあまりに鷹揚な年感というよなものしか持たなかった私たちの祖先が文化という以上に制度として採り入れたところからわが国の季節感が始まった。この二十四の項目こそがのちの歳時記の基本になる骨格、といっていいだろう。
(中略)
 じっさいにはわが国では旧暦一月五日頃(現在の暦では二月十日頃)、「蟄虫始めて振く」というようなことはない。そこで江戸時代の学者がこれを「黄鳥睨院」と変えているが、こんな小細工をしてもどうしようもないほど、中国の気候の概念とわが国の気候の実際はずれている。早い話が、わが国で旧暦一月初めを立春といっても寒さきびしく、同じく旧暦七月初めを立秋といっても暑さの盛りだ。しかし、大陸の先進文化が齎した制度はそれこそ海彼から訪れる神にも等しく神聖冒すべからざるもので、制度に近くいる者たちは改変を考えるどころか疑うことすらできなかった。
(中略)
 芭蕉の歌枕をさぐる旅は季節感を点検する旅でもあった。ことに東北や北陸の京や江戸との季節感のずれは、中国から来た暦の上の季節とわが国の実際の季節感のずれとをするどく認識させたろう。その上で芭蕉の句は季という中心において現実と虚構との二重構造をいっそう確かに保証されたのだろう。
(高橋睦郎『私自身のための俳句入門』pp.167-171)

 季節感は日本固有のものではなく「大陸の先進文化が齎した制度」であり、もとより季語は実際の自然現象とは食い違って当然の虚構であると高橋は認識しているようだ。今後は気候変動によって歳時記との乖離がさらに加速するであろう”伝統的”な季節感も虚構にすぎないとなれば、もうすぐ機械に書き尽くされるという有季定型一行俳句にこだわる必要がどこにあるのだろうか。

 連載第一回の本稿では「多行形式」に関わる「前衛俳句」「人工知能」「定型論争」「連句」「季語」という問題を見てきた。次に扱うべきはさらに厄介な「切れ」の問題であろう。連載二回目以降の課題としておきたい。

俳句時評148回 令和の妻俳句鑑賞 三倉 十月

2022年04月30日 | 日記
 妻俳句を読むのが好きである。妻俳句とは言葉そのまま「妻」つまり配偶者を詠んだ句のことだ。この妻は実在、非実在どちらでもいいし、もちろん同性パートナーのことでも構わない。
 俳句歴が二年弱と浅い私でも「妻恋俳句」と呼ばれるジャンルの俳句があり、中村草田男や、森澄雄などの俳人が有名だと言うことは知っている。そうした句も素敵だと思うが、個人的により興味があるのは、現代の俳人が妻を詠んだ句だ。「恋」「愛」「情欲」は、あっても全然いいのだが、表現としては少し抑えて、それ以外も欲しい。もう少しフラットに、妻そのもの、あるいは妻を取り巻くものを詠んでいるものに惹かれる。その為「妻恋俳句」というより、もっとシンプルに「妻俳句」と呼ぶのが相応しいと感じている。

 昨今のSNSには様々な既婚カップルのエピソードが溢れており、素敵なものももちろんあるが、量で言えばネガティブなものがとても多いと感じている。ママ友や、性別問わず既婚の友人、同僚から配偶者の愚痴を聞くこともある。そうした言葉を否定しないし、生きるのに必要なことを吐き出すことは必要だろうとは思うものの、あまりにそうしたものばかりだと、別の角度の話も聞いてみたいと思ってしまうことがある。そう言うとすぐに惚気話?となってしまうが、ちょっと待ってほしい。惚気話は好きだけど、結婚生活は決してその二択ではないはずだ。結婚生活は、常に恋愛初期のような熱い愛で満ちているものではないことは実感を持ってよく知っている。一方で嫌なことばかりではないのも知っている。そうであれば、結婚生活はもたない。つまり惚気と険悪の間に、平凡でおおよそ他者からは不可視な「ふつう」の生活が圧倒的な割合で存在する。そして、平凡な普通の生活の中のちょっとした驚きや、細やかな感動を拾い上げるのが俳句だとしたら、結婚生活においても、そうした瞬間を拾うことは可能だろうと思う。そして私は、そうした取るに足らない瞬間にこそ、生まれ得る妻俳句に惹かれるのである。
 と、いうわけで前置きが長くなったが、幾つかの妻俳句を鑑賞させて頂く。
(タイトルに「令和の」と入れましたが、句が詠まれた時期は平成のものも含まれます)


 まずは、個人的に妻俳句と言ったらの西川火尖さん。ほのかな恋情を感じる妻俳句だ。筆者も会員として所属している結社誌「炎環」より二句。

天の川妻に時計を借りにけり     西川火尖(炎環 2021年11月号)

 妻に時計を借りる、ただそれだけのことに「天の川」と雄大な季語をとりあわせたのが良い。時計を共有することでこの大きな宇宙の中でまったく同じ瞬間を共に出来ていることの驚きや、喜びを感じる。

改めて妻は年上藍浴衣        西川火尖(炎環 2011年11月号)

 「改めて」がとても良い。藍浴衣を着た妻を前にして、少年のような心持ちに一気に戻ってしまう。ほのかな再発見、そして確認。音にならずに漏れただろう微かな吐息に、惚れた側の弱みを感じる。一つ一つの言葉に甘い要素は少ないのだが、この句では「年上」がどうしようもなく甘美に響く。藍浴衣がとても生きている。

 そして、句集『サーチライト』(文学の森)より一句。

椅子引いて妻座らせる聖夜劇     西川火尖

 普段から特別”レディーファースト”な訳ではないのだろう。日常生活のなかでは椅子を引いたりしないからこそ、今宵、特別なこの場面が印象的な一句になる。椅子を引く動作も「座らせる」という言葉も、どこかお芝居がかっていて、それを敢えて楽しんでいる様子が伝わってくる。それが、季語の「聖夜劇」と響き合っている。クリスマスイブ、外はもう暗くて、雪が降っている。石造りの教会は冷えており、足元には古いカーペットが敷かれている。しんとした空間に古い木の椅子を引いた時のぎ、と軋む音が響く。そんな景が浮かぶ。たとえ、実際は、児童館のパイプ椅子だったとしてもだ。


 次は、山口優夢さんの作品をいくつか。「セレクション俳人 プラス 新撰21」(筑紫磐井/対馬康子/高山れおな編/邑書林)より一句。

婚約とは二人で虹を見る約束     山口優夢

 虹はすぐに消えてしまう。空を見上げて「虹だ!」と叫んだ瞬間に、その声が届く範疇にいる人とでないと、一緒に見ることを約束することは難しい。とてもロマンチックなことを言っているように見えて、とても現実的で、だからこそ結婚ってそういうものかもね、と思う。そして、それくらいしか約束できないのも、また事実。

 週間俳句(2017-08-20)10句作品「殴らねど」より一句。

妻は思ひ出し怒るみんみん蝉のごと  山口優夢

 喧嘩をしている時にこんな句を詠まれたら、火に油で怒りが再燃するんじゃないかとハラハラするが、こうやって妻の何度も何度も湧き上がり繰り返す怒りをみんみん蝉みたいと俯瞰的に思って冷静であろうとする視線が、作中主体の必死さを感じて良い。そして、こういう喧嘩ができるのは健全だとも思う。

 次は「炎環 2022年2月号」から、渡辺広佐さんの句。

逆立ちのできる妻なり冬銀河     渡辺広佐

 妻の得意げな顔も見えてくるし、作中主体もどこか得意げである。逆立ちができることは日常生活では役に立たないが、そんなことはどうでもいいのだ。逆立ちができることはかっこいいのだから。この細やかな事実を「~なり」と言い切っているところが
おかしく、そこに雄大な冬銀河という季語を取り合わせたのも愛を感じて良い。ここで言う愛は、恋愛を包括する、銀河のように大きな人間愛である。
 こちらは、炎環の500号記念の「私の好きな私の一句」という特集から引いたものだ。つまり、渡辺さんのお気に入りの句なのだろう。そんなところも素敵だ。


 少し不思議な妻俳句も見てみたい。中村安伸さんの句集『虎の夜食』(アヲジ舎)から四句。句集全体が掌編小説のような散文と、そのあとに続く連作俳句で出来ていて、現実と非現実の曖昧な部分が描かれている。その中にたびたび妻俳句が登場するが、これはイマジナリー妻なのか、リアル妻なのはわからない。しかし景がとにかく美しいので鑑賞させて頂く。

風船の難破見下ろす遠き妻      中村安伸

 手を離れて飛んで行ってしまった風船と、それを見ている妻。どうして「見下ろす」なのかと思ったのだけど、これは、主体が風船なのだろうと思った。あるいは、風船にぶら下がっている人物か。絵本の、あるいは絵画の1シーンのよう。妻はどんどんと遠ざかっていくのに、その表情が見えるようだ。不安げなのか、それとも、どこかほっと安堵しているのかは、読む人によって変わりそう。

涼しさや時間旅行をして来し妻    中村安伸

 これも物語の場面のようで不思議で美しい句。歴史展や、美術展から出てきた場面のようにも思える。涼しさや、という季語で妻の横顔が見えてくるようで良い。夏の木漏れ日のような陰影も感じる。

雪しまく妻の読書は遅々として    中村安伸

 外は吹雪いている。本を読んでいる妻はなかなかページを捲らない。おそらく吹雪の激しさとは裏腹に部屋の中では時間の流れがとてもゆっくりで、安心に満ちているのだろう。こんな日には確かにじっくり読書をするか、じっくり好きな人を見つめているのに適している。

実験に妻が必要つばくらめ      中村安伸

 実験という言葉が不思議で面白い。なんの実験なのかはわからないが、おそらく仕事で行う実験ではないのだろう。それよりももっと個人的な興味による実験か、はたまた、作中主体は博士なのかもしれない。どちらにしてもここで書かれている妻は助手なのか、被験者なのか、それともただ作中主体が、ただ、妻に隣にいて欲しいのかはわからないが、妻がいないと成り立たない。そんな実験なのだ。燕が周りを飛んでいる。青空、旋回。きびきびとした清々しさを感じる。

 最後は、少し不思議な世界を描いた田島健一さんの句集『ただならぬぽ』より二句。

妻となる人五月の波に近づきぬ    田島健一

 「妻となる人」という表現がたまらなく良い。まだきっと「」と呼ぶには早い、あるいは、そう呼ぶには照れくさい時期。その絶妙な距離感をそのまま表現するところに、妻となる人へ対する繊細な誠実さを感じる。五月の波に近づく妻となる人もまた、波とその微妙な距離感を保っているように思える。引いては返す波の音、潮の香、それらに包まれていても視線は「妻となる人」しか見ていないのだ。

鏡中のこがらし妻のなかを雪     田島健一

 鏡に窓が移りこんでいて、そこから木枯らしの様子が見える。同時に、妻の中には雪が振っている。この雪は妻の中に積もる冷たい感情の比喩ではなく、静寂の比喩だと読んだ。ふと、思い出したのは茨木のり子の詩「みずうみ」の中にある「人間は誰でも心の底にしいんと静かな湖を持つべきなのだ」というフレーズ。
 老若男女関係なく、人間の心の底に抱える「しいんと静かな湖」。そこに雪が静かに降りていく。外では木枯らしが吹いているけれど、今の妻には関係ないことだ。彼女は彼女の中に降る雪を見つめている。とにかく静かで、隣にいるからこそ感じる、美しい句だと思う。


 ここにあげた以外にも、世界には様々な妻俳句があるのだろうと思う。もっといっぱい読みたいのだが、なかなか探し切れていないというのが正直なところだ。そういうつもりじゃなく句集や俳句雑誌の連作を見ていて、ふっと妻俳句が登場すると、お! と、嬉しい気持ちになる。珍しいからこそ、印象に残る。
 もちろん妻俳句だったら何でもいいわけではない。前時代価値観で何某かの付属品のように描かれる「妻」には(もちろん内容によるけれど)むむむという気持ちになることもあるし、属性で人を見るような「人妻」という言葉も否定はしないが個人的には惹かれない。そして妻俳句に限らないが、謙遜のふりして身内を貶めたり、あるいは揶揄したものには悲しくなるのは言うまでもない。
 令和の妻俳句というのは、そうしたものを意識的に通り越えた先にあるものだと思う。
 一番近い他人(=人間)としての妻を、誠実な距離感で詠んだ俳句。そんな句を読むと、老いてから思い出のアルバムで懐かしむ家族の写真を、今先回りして見せてもらったような、そんな不思議でこそばゆい気持ちになるのだ。
 ちなみに余談であるが私はBLを嗜む人間であり、また俳句のいわゆる”BL読み”が好きだ。そして、おそらく同じような心のときめきを持って妻俳句を読んでいる。つまりは、人間二人の間にある、恋愛を包括するが決して恋愛だけではない、対等だが必ずしも対称的とは言えない、揺らぎを含む関係性というものに惹かれているのだと思う。
 ちなみに夫俳句はダメなのかというと、もちろんそんなことはない。でも妻俳句よりさらに見ない気がする。素敵な句、面白い句があったら教えて頂けると大変嬉しい。