素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

目は口ほどに物を言う

2010年04月05日 | 日記
 昨日聴いたヘンデルの大曲オラトリオ「ユダス・マカベウス」。入場の際もらったパンフレットで開演前までの30分間にわか勉強した。まず、オラトリオとは? 

典型的なオラトリオは、次の特徴を持つ。

以下の点でオペラと類似するが、演技はなく、大道具、小道具、衣装などは用いない。
声楽(独唱(群)・合唱)、オーケストラによって演奏される。
歌詞に物語性があり、全体として叙事的である。
単独の楽曲ではなく、いくつかの曲から構成される、大規模な曲である。
レチタティーヴォ、アッコンパニャート、ダ・カーポ・アリア、合唱からなる(まれに二重唱)。
宗教的(キリスト教的)な題材である。

そうか、今日聴くのは物語性のある芝居なのだということを理解する。あらすじは昨日のブログに書いた通り。じゃ配役は?
 
ユダス・マカベウスをテノールの望月哲也さん、イスラエルの女をソプラノの平松英子さん、イスラエルの男とイスラエルの司祭と使者をメゾソプラノの寺谷千枝子さん、シモンとエウポレムスをバスの福島明也さんが担当し大阪シンフォニッククヮイアがイスラエルの合唱を歌う。

 京都市交響楽団とチェンバロの山口佳代さんの演奏とで“勇気・自由・平和・歓喜・感謝のメッセージに溢れた曲の感動が伝わってくる”と期待していたが、今一つであった。英語の歌詞だったので意味がわからないということもあるが、感情の部分に迫ることと意味の理解とは常に一緒にというわけではない。

 ソリスト4人が、電話帳のような楽譜を持って、それを見ながら歌っていたことが一番の原因ではないかと思う。歌い手の目線は常に楽譜にあり、観客席に向けられることはほとんどなかった。言葉だけでは伝わってくるパワーは半分以下である。台本を見ながら演じている役者。原稿ばかり見ている演説家。カンペを読んでいる司会者。なども同様、“目力”の大切さを認識していない。

 大曲であり、上演機会がきわめて少なくなったので暗譜は無理でも(合唱団は暗譜で、心に響く歌を届けてくれたのだから)せめて、もう少し楽譜から目をはずせるようにして舞台に臨んでほしかった。

 “目は口ほどに物を言う”肝に銘じておきたい言葉です。 
コメント
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