素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

久しぶりの上天気

2010年04月25日 | 日記
 朝から、雲ひとつない青空。窓から見える寝屋川のゴミ焼却場の煙もまっすぐ上に昇っている。こんなに天気の安定した日は本当に久しぶりだ。午前中に家の用事を済ませて、午後から、京都府京田辺市の「天王の牡丹」として知られている牡丹園「無二荘」に出かけた。

 天王は大阪府と京都府と奈良県の境界に位置している。山深い急斜面に集落はあるが、旧石器時代の遺物もでているように、古くから人々が住み、日本の歴史や文化に深く関わってきた所である。今はずい分開発されてきたが、以前は人里離れた山奥という感じであった。テスト期間中で、少し早く学校を出ることができる時など気分転換に、氷室から天王に入り生駒まで抜ける舗装されていないカーブの連続する道でワイルドなドライブを楽しんだものだ。そこに、牡丹園があることを知ったのは5年ぐらい前だった。

 「無二荘」は枚方市の市役所に勤めていた辻尾さんが、花好きだった曽祖父、祖父の遺志を受け継ぎ、個人で管理し、無償で一般公開されているものである。開花した花を多くの人に楽しんでもらう10日間余りのために、1年間目に見えない苦労をされているということが「まんだ」という雑誌に掲載された。園内に記事のコピーが貼られているので読むことができた。最近は、観光施設と勘違いしてやってくる人のマナーの悪さに頭が痛いとのこと。記事の中で2つの言葉が目に留まった。

 花を 見ている  花も 見ている 

 「花の見頃?」と問われれば 花に聞いとくれと答える 

 自分本位に振る舞い、要求するという風潮が広まっているが、もっと目に見えない苦労とか思いに心を馳せ、感謝するという気持ちを大事にしていかないと生活から潤いがなくなっていくのではと思ったりもしながら歩いた。

 帰りに少しだけ回り道をして「普賢寺ふれあいの駅」に立ち寄った。1990年に8人で始めた朝市が原点だそうで、現在は約100名の出品生産者が新鮮野菜を中心に、お茶、花、加工品などを、毎週火・木・土・日曜日(午前8時~午後3時)に販売している。

 2時30分ごろに行ったので、野菜はほとんど残っていなかったが、“ふれあいの駅”という通り、あたたかい雰囲気のある所だった。駅裏に普賢寺川が流れていて、その川向こうにある《舞妓の茶・本舗》に行ってみると、おばちゃんが「お茶淹れてあげるから、どうぞここへおすわり」と囲炉裏を囲むようにあるベンチに案内してくれた。

 炭火の上にかけられている茶釜からお湯をとり“しあわせ茶”を淹れてくれた。味もさることながら話もなかなか面白く、見知らぬ客どうしが囲炉裏を囲み、お茶を飲みながらほっこりした気分で笑いあったりして楽しいひと時を過ごした。後でわかったのだが「名物おばちゃん」だそうで、遠くからわざわざ買いに来る人も多いとのこと。

 そこから徒歩数分の所に「観音寺」があった。私の寺巡りのバイブルみたいになっている本、『目覚めよ仏欲!隠れた(宝)寺、教えます。関西の寺』にもありマークはしていたが、まさかこんな所にあるとはビックリという感じだった。

  知らなければ通りすぎてしまうぐらいひっそりとした、何の変哲もない小さな寺である。本堂に近づいてみると30cmぐらい引き戸が開いていて中から声が聞こえるので覗くと「どうぞお入り」と老僧の声がした。「そこにお賽銭あげてお参りしなはれ」と毒舌を交えながら寺のことや本尊の十一面観音像について話してくれた。

 今は小さな寺だが、千三百年前に天武天皇の勅願によって開基され、次いで聖武天皇の御願により伽藍を増築した歴史のある寺で、往時には諸堂十三、僧坊二十余の大きな寺であった。今でも、大御堂とも呼ばれている。

 本尊の十一面観世音菩薩像は天平16年(744)に安置されたもので、全国で国宝に指定されている十一面観音像七体のうちの1つである。175cm余りの均整のとれた美しい姿であった。木心乾漆の像を本当に間近で見ることができる住職のおおらかさも嬉しかった。

 適当に行った割には、いろいろな人の話を聞くことができ、結構、充実した半日になった。
コメント
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