素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

朝ドラ♪ごちそうさん♪大団円を迎える

2014年03月30日 | 日記
 昨日、朝ドラ「ごちそうさん」が最終回となった。スタートは食べものの話に終始するのかと興味がなかった。食べものテーマでは「てっぱん」が味わい深かったこともありもう一つ物足りなさを感じた。一生懸命見出したのは関東大震災あたりからである。社会的な事象が巧みに絡んできてドラマに厚みが出てきた。特に、太平洋戦争前から、戦中にかけては市民側から丁寧につくられていた。戦後の2年間で最終回に持っていくあたりが今までにない新鮮さがあった。粋な終わり方だったと思う。

 3月27日の148回、蔵座敷でのめ以子とモリスのやりとりは心に残った。共に料理好きの子供を南方海上と真珠湾で亡くした二人、それぞれの国を憎む複雑な思いがモリスの言葉に込められていた。「憎まずにいるのは苦しい。 でも憎んでもやはり苦しい。憎まずにいたいがそれもできない。」しかし、美味しいものを食べる時の顔は日本人もアメリカ人も同じ。モリスは言う「ココカラスキニナレル」と、そして「忘れてはいけないんやね。 命を懸けて争うほどの違いは 何もないんやって」とめ以子はつぶやく。

 このシーンを見ていて、「原爆の図」を共作した丸木位里、俊夫妻の書かれた話を思い出した。原爆の絵を描き続け「ノーモアヒロシマ」を強く訴えるために渡米した時に、アメリカ人の老夫婦から「リメンバーパールハーバー」と言われ、はたと夫妻は加害と被害は背中合わせだと気づき、国民同士がお互いに憎み合っているだけではだめで、そういうことをもたらした「戦争」こそが憎むべきもの、二度と起こしてはならぬこと。というレベルで連帯していかなければならない。というような主旨だったと思う。

 歴史認識をめぐる日中、日韓のやりとりの現状は「これでいいのか!?」と思ってしまう。今、朴裕河(パクユハ)さんの書かれた『和解のために』(平凡社ライブラリー)を読んでいる。教科書・慰安婦・靖国・独島(竹島)について「なぜ」を追求している。なぜ起こったのか、なぜお互いが事実を自分たちの都合のいいように加工するのか、なぜ対立し続けようとするのかを双方の言い分を虚心坦懐に聞きながら、「和解」への道を模索している。朴さんはあらゆる人間が、被害者の側面と加害者」の側面を持ち、その関係が複雑に入り組んでることを重視している。その姿勢が貫かれているので考えながら読み進むことができる。今日の朝刊の「時代の風」で元総務相の増田寛也さんが国際紛争の解決手段ということで、20世紀初頭に起きたフィンランドとスウェーデンの紛争の裁定に中核的な働きをした国際連盟事務次長だった新渡戸稲造の『賢明な寛容』こそが必要なのではと提唱していた。この『賢明な寛容』という言葉、まだ読んでいる途中なのではっきりとは言えないが、朴さんが考える「和解への道」のキーワードじゃないかと思う。

 考える余地をうまく残してくれているドラマなので、脳がすごく刺激される。明日の朝、ちょっと寂しいかも。
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