素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

光善寺

2021年09月11日 | 日記
 昨日の配達サイクリング、枚方市総合文化芸術センターの他にも立ち寄った所がある。出口にある光善寺である。京阪電車の駅名にもなっているぐらいなので由緒あるお寺だと思っていたが縁がなかった。蹉だ中学校など周辺の学校や施設には何度も行ったが、光善寺は集落の中央にあり、道も狭く袋小路みたいになっているため近くを通る機会がなかった。出口4丁目の方へ資料を届けるついでに自転車であれば2,3分で行くことができた。自転車の強味である。
 思っていたよりも立派な造りのお寺だった。敷地も広かった。

寺の沿革によると、出口御坊光善寺(でぐちごぼうこうぜんじ)は、蓮如上人開基の寺で、文明七年(1475)八月二十一日に福井県の吉崎を退去され舟にて小浜に着かれ、丹波・摂津を抜けて九月五日に河内国茨田郡中振の郷出口村に移られた。
 
出口は京都と大阪の中間地点で淀川の南岸に接し、水陸交通の便利な土地柄で、当時この地には二丁四方(一万四千四百坪)の大きな池があり、それを埋め立てて諸堂を建立したので、山号を淵埋山(えんまいざん)と名づけた。その池は今も小さく残され庭園の一部になっているとのこと。
 
 また池の周囲には梓(はり)の木「現在の植物名-さいかち」がよく茂っていたので、人びとは光善寺のことを「梓原堂(しんげんどう)」とも呼んでいたと伝えられている。今も光善寺庭園の片隅に梓の大木が残っていて、大阪府の天然記念物に指定されている。
 池に面した書院は五百二十数年前の蓮如上人在住当時の姿で残されている。当時は池のすぐそばを淀川が流れていて、三十石船の上り下りする情景や彼方に見える天王山の風景を借景に取り入れた風流な眺めだったが、今は淀川の堤防が五百米以上も西へ移り、その風情はない。
 現在は敷地約三千坪で、本堂は約三百六十年前の建設になるもので、間口は十一間、奥行は八間の大きさ。

 庭園の方にまわる余裕はなかったので、また配達の機会があった時に訪れてみようと思った。
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